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梅干しを食べていたら、口の中で種が真っ二つに割れたときの衝撃のようなもの。
前回から引き続き、ワープロの話である。
最近の若い方は、おそらくなじみがない機械だと思う。
辞書には、
ワードプロセッサー[word processor]
[名] コンピューターで、文書の作成・編集などを行うソフトウエア。また、それらの機能専用に作られた機械。ワープロ。
とされている。文章作成編集機とも言うらしい。
1978年、東芝が初の日本語ワープロを発表してから2003年頃まで生産されていた。
メーカーによって多少の差異はあると思うが、大体のワープロは電源を入れると最初にメニュー画面が現れ、『新規文章作成』を選ぶと文字を入力する白い画面が現れる。
基本動作は以上だ。
メニューの項目もデータ管理をしてくれる『文章管理』だったり、当て字を簡単に変換してくれたりできる『辞書登録』や『住所録管理』、少し本体のバージョンが上がってくると『年賀状印刷』やお店に使える『POP印刷』、RPG形式のタイピングゲーム、最終的にはインターネットに接続することも出来ていたようだ。
そして本体に印刷するための機構が内蔵されている。そのため、重量が多少ある。
この現代にも通用する機能を搭載したパーフェクトなマシンは、もうどこにも売っていない。中古ワープロ専門店に行けばあることにはあるのだが、インターネットに接続する方法がアナログすぎて、現在使用するには難あり、なのである。
ワープロとの出会いは高校一年生の春。
文芸部に入部したときのことである。
部室の備品として一台設置されていたのだが、この機種は当時としてもすでに古いと称される据え置き型タイプであった。
良かったらネットで検索してみて欲しい。小型のブラウン管テレビとキーボードのセットのようなものの映像が出て来るはずである。
話が少しそれるが、『文芸弁論部』という部であるならば、まあ新型とは言わずともこれくらいの機体が二、三台は必要だったのではないかと、ぼやかせて欲しい。なにせ全盛期には全学年あわせて三十人以上の部員がいたというのだから。
その頃先輩方はどのように執筆しておられたのだろうか。私の在籍した時代はその全盛期からずいぶんと後のことだから、それほど部員がいたわけではない。
けれども一台しかワープロがないという状況はやはり致命的で、だれか一人が作業を始めてしまったら、出遅れたほかの部員は指をくわえてみているしかできなかった。
入校日の前日から当日に至るまで、一台しかないワープロの順番待ちを始めるのは恒例行事というか通過儀礼、味噌汁に味噌を入れるようなもので、なんでこんなにぎりぎりになって編集なんかしとるのかね!君たちはいつもいつも!と顧問の先生はよくお怒りになったものである。
まあ、返す掌で弁護するとその時代、ワープロはまだまだ高嶺の花だったのだ。
おそらく個人的にワープロを持っていたという部員は、全体の一割にも満たなかったのではないか。各学年に1人か2人くらいしか所持していなかったように思う。だから弱小の我が部に一台しか置いてないというのも納得のいく話ではあったのだ。
なぜこのようなことを言い出したのかというと、当時の私が文書を考える時は、まず画面の前にぼんやりと座る所から始まったからである。
そしてふんわりと頭の中に浮かんできた言葉を少しずつ組み替えて言葉の羅列にしていく。
その課程を全て、キーを叩いて文字におこしている。そしてさらに言葉をくっつけてはひっぺがしを繰り返して、読みやすいよう体裁を整えていくのだ。
物語を書くときもほとんど同じだ。
主人公とシチュエーションを考えてから、脳内でその子たちを動かしていく。それらを思いつくままに目の前の画面に入力していくのだ。
私の頭の中にしか存在しなかった空想の産物が、文字という形をとってこの世に現れることにより、今度は第三者にその物語を読んでもらうことが可能になる。一つの世界を幾人もで共有することができるのだ。
それはなんと素晴らしいことだろう、と当時の私は感動に打ち震えていた。
この作業に没頭している間は誤字脱字は気にしない。
ひたすら自分の頭に浮かんだ言葉を文字に変換していく。
そうしないと言葉は移ろいやすく泡のように消えてしまうからだ。想像の女神と言われる存在にも、もしかしたら前髪しかないのかもしれない。
そして気が済むまで文字を入力した後は、改行を入れたり句読点を入れたりしながら誤字を改め脱字を探し、おかしな文章構成を修正し改めて文字を加えていく。
文章構成一つ改めるのに何時間も何日も費やすこれらの作業は今も昔も変わらない。
これらの作業に当時の私はのめり込んだ。今も嫌いではない。
変わったのは、きちんとプロットを組み上げて矛盾点をできるだけ少なくしていくという作業が挟まったことで、画面前にぼんやりと座ることがなくなった事くらいかもしれない。
そしてお気づきいただけただろうか、以前の私のこの作業は長時間をワープロの前で過ごす必要があるということに。
大変、他の部員の邪魔になるということに。
おそらく当時の私、ワープロ(の、機能)に恋をしていたのだ(あくまで比喩である)。
一応空気を読んで、黒ワープロの前に必要以上に座らないように気をつけながら作業をするようにしてはいた。
だが文章をひたすら入力し続けることが出来る、という麻薬のようなワープロの魅力に抗うことが出来ず、暇さえあれば部室で文字を入力し続ける日々を過ごしていた。
先輩達から、いつもまじめに活動してるよね、準ちゃんは!と言われていたが何一つまじめではない。
私にとっては、部のみんなから引っ張りだこでモテモテの黒ワープロさんを独り占めしているような状態だったのだから。
ちなみにちょうど同じ頃にPCを操作する授業があったのだけれど、ワープロに初めて触れたときほどの感動とときめきを、彼は与えてくれなかった。もうPCは自分の運命の相手ではないと、この時すでにわかっていたのだろう。
ずっとこんな楽しい時間が続けば良いと思っていたのだが、そんな私と黒ワープロとの蜜月も永くは続かなかった。
長期休暇の到来である。
わざわざ夏休みだの冬休みに学校に行く物好きは居ない。
さしもの私も、夏暑く冬寒い文芸部室をわざわざ訪れるだけの根性は持ち合わせていなかった。
ワープロが欲しい…今手元にワープロがあれば、あんなこともこんなことも、脳の中に浮かんだ言葉の全てを思いつくままに入力できるのに。
夏休みに入ってからはそんなことばかりを考えていた。
けれど当時の私にとってワープロは本当に高かった。確か12万ぐらいだったと思う。
当時の私のお小遣いは月3千円。40ヶ月かかる。
高校を卒業しておつりが来る。
夢のまた夢だった。
わたし高校を卒業したら、近所のコンビニでアルバイトするんだ…そんで、あの人を迎えに行くんだ…などと、死亡フラグのようなことをよく言っていたものである。
(なんと、続く)
これが非常事態というやつなのですね。想定よりも私の愛が長文すぎたようです。まさかこんな所で続きものになってしまうとは。
一風呂浴びて出直してきます。
前回に引き続き、読んで頂けてうれしいです。
ありがとうございます。