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ケース3 春、去り際に燃ゆる想い⑲

「おもしろい、おもしろいねえ」

 男は、人差し指と親指をこすり合わせて音を鳴らした。

「創太ぁああ。オメーさん、漢らしいことできたんだなぁ」

「獅子王さん……」

 創太の顔色がみるみる蒼くなり、身震いする。だが、創太は引かない。バットを獅子王に向けると、裏返りそうな声で凄む。

「うるせぇ! か、金をよこせ」

「ああ、なるほどなるほど。オメーさん、とうとう借金に首が回らなくなってきたってわけかい。そんで、今日のやり取りをどっかから聞きつけてきたわけだ」

 眼鏡の男が、手を挙げる。

「剛さん、知っている男ですか?」

「あ? おおう、オメーさんはあんときいなかったから知らねえのも無理はない。こいつはよ、四年くらい前か? うちの事務所にカチコミ……ああ、いやいや、そんな立派なもんじゃねえな。事務所にそっと訪ねにきてよ、仲間に入れてくれってほざきやがったんだ。

 おもしれぇからよ、俺が出すテストに合格したら入れてやるって言って、しばらく無理難題を擦り付けてみたんだ。いやー、最高だね。道化っつうのは、ああいうのを言うんだろうよ。イモを引くばっか。口調だけいっちょまえ。あんまりにもひでーもんだから、けつ蹴っ飛ばして追い出したのよ」

 へらへらと獅子王は笑う。――だが、

「けどよ、創太。言ったはずだぜ? スジが通らないことはどこに行っても通用しねえってよ」

 低く、五臓六腑に染みる声が、創太の身をすくませる。獅子王の顔から笑みは消え、立ち上がりざまテーブルをひっくり返した。

地面に叩きつけられたテーブルとアタッシュケースが、盛大に音を鳴らす。獅子王は、二メートルもの巨体を山のように聳え立たせ、創太を冷ややかに見降ろした。

「創太、てめえは馬鹿だ。大馬鹿野郎だ。なあ、そうは思わねえか?」

 獅子王の視線は、創太ではなく背後に向けられている。訝しげに後ろに視線を移した創太の眼前に、金属バットが迫る。

 咄嗟に、転がるように避ける。創太は、困惑した視線を投げた。彼を攻撃した者は、後輩の一人だった。

「な、なんで?」

「なんでだと? 創太よ、オメーさん、そんな初歩的なことも知らねえんのか?」

 獅子王が愉快げに語る。

「人間関係ってのは、日々の積み重ねで構築されていくもんだ。けど、不誠実な生き方しちゃ、駄目だよな? 金を借りて返さない。そんな人間を信頼できるもんはいねえんだよ。なあ、オメーさん方? はっきり言ってやれよ」

 創太は体の震えを止められない。必死になって創太は問いかける。

「な、なあ。悪い冗談なんだろ? ええ? 借りた金は返すって。だから、こうやって金を手っ取り早く手に入れようとしてんだろ」

 耳障りな歯ぎしりの音が聞こえた。

 後輩の一人が、激しい剣幕で怒鳴る。

「ウンザリなんだよ。あんたは馬鹿だ。ヤクザに喧嘩売って無事に済むと思ってんのか? 仮にこの二人倒して金を手に入れても、ヤクザに追われて俺らは終わりだ。

 ……あんたは、昔はカッコ良かったよ。でも、もう昔の話だ。ここ最近のあんたは、金を人から借りるだけのクソ野郎だ。誰がそんな人を尊敬するもんか」

 創太は膝から崩れ落ちる。他の人に言われたことはあった。だが、後輩たちに言われたことは、これまでなかったのだ。考えなかったわけではない。だが、何を言っても創太にとって心地よい言葉を言ってくれる彼らならあるいは……。その考えのあまりの甘さに思い至った。

「終わりだ、創太さん。あんたを血祭りにあげれば、借金分にプラスして金をくれるって話をつけてもらってんだ」

 後輩たちが、武器を構える。

 襲撃の計画を創太が後輩たちに話した時点で、彼らは情報を速やかにヤクザにリークした。彼らは決して素行の良い人間ではないが、仲間意識は高い。そんな彼らにとって、今回の件は苦渋の決断であり、それだけに引けなかった。

 ゾロゾロと、創太に近づき、血走った目で後輩がパイプを振り下ろす。迫りくる凶器に、創太はなすすべもなく、目を閉じた。

「……?」

 一向に凶器が己の意識を断ち切らない。恐る恐る目を開けた創太の瞳に、金髪頭の後輩の背中が見えた。

「お、お前」

「へ、先輩。情けねーすよ」

 金髪頭の後輩は、バットでパイプを受け止めた姿勢でいる。どよめきが後輩たちの間で走った。

「何してんだてめえ」

「お前らこそ、目を覚ませよ。こんなことしたって、後味が悪いだけだ。考え直せよ。確かにこの人は良くない方向に変わっちまった。で、でもよ。この人が間違った方向に向かっちまったのは、俺らにも責任がある。……俺らがはっきりと駄目だって教えてやれば、ここまで自堕落にはならなかったかもしれねえ。こんな真似は、自分たちの責任を見ずに逃げ出すことじゃねえか」

「だ、だとしても何だ? 責任だなんだ、いつの間にいっぱしの社会人みてえなこと言ってんだよ。いいからどけって。お前だってこの人に金を貸しすぎて、生活が苦しくなってんだろ。チャンスだって」

 創太は、目を見開いた。

「お、おい。本当かよ。亮、お前金儲かってるからいくらでも貸してやるって言ってたじゃねえか。生活、そんなに苦しいのか?」

「……へへ、先輩。昔、色々馬鹿やらかした時、助けてくれたじゃねえすか。だったら、今度は俺の番だって思ったんすよ。俺、馬鹿だから。助け方間違ってたかもしれねえす。でも、こんくらいしかできねえから。……立ってください。俺が、時間稼ぎますんで」

 亮は、パイプを勢いよく弾くと、バットをデタラメに振り回す。後輩たちは、あまりの抵抗に後退していく。――だが、それまでだった。

「あ!」

 バットの動きが分厚い手によって阻まれる。がっしりと掴まれたバットは、全身の力で抗ってもまるで動く素振りがない。

 亮が見上げると、獅子王の冷酷な目が見降ろしている。

「は、放せ」

「……漢見せたじゃねえか。カッコ良いぜ、オメーさん。けどよ」

 鈍い音が、場にいる全員の鼓膜を響かせる。

 獅子王の拳が、亮の頬を打ちぬいたのだ。亮は、駒に似た動作で宙を舞い、背中から地面へと落ちた。

 ピクリとも動かない。創太は這いつくばりながら彼に近づき、体を起こす。

「う」

 とても見れたものではない。顎は外れ、口からは大量の血が流れた。

 怖さや後悔、あらゆる感情が創太の頭が消えていく。創太は、必死な形相で地面に額を叩きつけた。

「すいません、すいません、すいません。俺……俺は殺して良いです。でも、こいつだけ許してやってくれませんか。病院で治療を受けさせてください。このままじゃ死んじまう」

「……創太よ、そんなスジは通らねえぜ。こんな事態になっちまったのは、大部分がてめえのせいだ。なのに、金を奪おうとした相手に頼み事なんざ、正気かい? 世の中なめてんじゃねえぞ!」

 獅子王は、創太の胸倉を掴み、何度も顔面を殴りつけた。絶妙な力加減だ。創太が気絶しないギリギリの威力で、苦痛だけを感じるように殴っている。

 ビクンビクン、と殴られるたびに創太の体が振動した。


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