ケース2 死神の足音㉞
「……ともかく、信じるか信じないかは君次第だ。所詮、俺の予想にすぎん。いずれにせよ、問題といえるのは、浜 勝平ではなく、堀のほうだな。あいつは……どうした?」
青白い浜 幸子の顔が、より血の気を失っている。彼女はカタカタと身体を震わせ、叫ぶ。
「逃げて! 呪いの本体が、くる」
皿が割れたような音が室内に響き、地面に貼られた札が引き裂かれた。
来世は舌を鳴らし、病室の窓を開け、外に身を躍らせる。
「キャアア! 来世さん、ここは三階ですよ」
里香が身を乗り出すように窓にへばりつく。来世は、葉がすっかり抜け落ちた木の枝をへし折りながら落下し、降り積もった雪の上に激突した。
「た、たたたたた、大変。救急車、あ! ここ病院だった。い、医者」
「落ち着いてお姉ちゃん。あの人、どうやら無事みたいよ」
来世は、立ち上がりざま懐から世送りの小太刀を抜き放ち、周囲に視線を巡らせる。
彼のいる場所は、病院の屋外駐車場だ。天気予報に裏切られ、深く降り積もった雪に車が埋もれている。
「ん?」
濃紺な闇を切り裂くように街路灯が、駐車場を照らしている。その一角に、真黒い何かが揺らめく。黒い炎のような、人型のような、輪郭はぼやけ判然としない。
「あれは、何だ?」
来世の鼓動が高鳴る。雪よりも冷たいものが、腹の底を冷やし、汗が風に乗って散っていく。――あれは、あってはならないものだ。見ているだけで、気持ち悪さが胸を焦がす。
「まずい。あれが、私を操っていた呪いの本体。何十年も蓄積された人の悪意。きっと、私の天罰を妨害したあなたを殺しにやってきたのよ」
影は揺らめきを増し、少女の言葉を肯定するように来世へにじり寄る。
「くそ、里香! そこから動くな。う!」
影が来世の眼前に現れた。動きが速いのではない、文字通り出現したのだ。
来世は、振るわれた影の腕をかいくぐり、小太刀で胴を薙ぐ。だが、手ごたえがない。
恐らく、この小太刀では致命傷にはならない。加えて、異常気象と評して良いほど降り積もった雪のせいで、ひどく動きづらい。
来世は影の一撃を、横に転がって躱し、雪に足を取られながらも、車が密集するエリアに向かう。
――どうする。高濃度の呪いの塊。手持ちの道具で祓える可能性があるものは……。
「うわ」
来世の思考を寸断するように、影が迫り、暗黒の腕を伸ばす。すんでのところで上半身を逸らし、腕から逃れる。
「ぬ、う、ふう」
「……」
上手く躱す来世に業を煮やしたのか、影の背中からおびただしい数の触手が生える。
「それは、卑怯だろうが」
影の触手は夜に溶けるように、あらゆる方面から忍び寄る。速く、なにより数が多すぎる。
小太刀で逸らし、頭を振って躱す。獣のような俊敏性。されど、相手が悪い。
来世は捌けなくなり、腹部に一撃が入ろうとした。だが、静電気のような音が鳴り、触手は腹部に接触する一歩手前で動きが止まる。
――よし、お守りの効力が効いてる。
ホッと安心したのもつかの間、触手が滲むように守りの内側へ侵食していく。
来世はすぐさま小太刀で触手を払い、眼前にあった赤のセダンのボンネットに飛び乗った。
やはり、傾斜があるおかげか、この車の持ち主が駐車した際、雪を払い落したのか、地面よりはいくらか雪の積りが浅い。駐車場に停まっている車の中には、ボディに雪があまり降り積もっていないものがいくらかあった。
来世は、触手の攻撃を躱すために車から車へ飛び移る。
ひらりひらりと降り続ける雪、足場の悪さ、暗闇に溶けて襲い掛かる超速の触手。不利なことこの上ない。
来世は軽自動車のルーフに飛び乗り、荒く白い息を吐き散らした。
触手の全てを払えない。お守りもいずれ破られる。……ならば。
「里香! 長物の準備をしておけ。俺が合図する」
指示を飛ばし、来世は隣の車のフロントガラスを見た。
迫りくる触手の束。しかし、来世は一切それらを見ようとしない。
――大丈夫だ。
フロントガラスには、汗まみれで息を吐く自身の姿と真っ白に輝く目が映し出されている。
――痛! まだ、まだだ。
目が燃えるように痛む。
触手が幾本か体にぶつかろうとし、火花を散らし逸れてゆく。
攻撃は止まない。怒涛の勢いで迫る悪意が、来世の頬を、胴を、足を擦れ擦れで通り抜ける。
「ぐああああ!」
目の燃えるような痛みが、脳の奥を突き刺すような痛みへとシフトする。
フロントガラスには、太陽と見まがうほど白き光が迸っていた。
――ここだ! 決める。
自身の死期を回避するため、来世は軽自動車のルーフから高く飛び上がる。
足元のすぐ近くを何百本もの触手が駆けた。
来世は迫る雪の地に身体が包まれる前に、長い腕を鞭のようにしならせ投擲した。
ト、と味気ない音。
影の胴体には、世送りの小太刀が突き刺さっている。
影は、『やれやれ』と呆れるように、身体を揺らめかせた。
「気が早いな」
地面に倒れこんだ来世の頬は、笑みを形作っている。
来世の視線の先には、刃の根本あたりに紐で縛られたお守りがあった。
闇払神社に長く存在し続けるご神木、常世。魔を払い、清浄なる気で人々を出迎えたご神木は、欠片となってもきっちりと仕事を果たす。
お守りが、影に触れる。――直後、激しい拒絶反応とともに、影の動きが止まった。
「いまだ、里香ぁああ! やれ」
あけ放たれた窓に、弓を手に持ち、限界まで弦を引き絞った里香の姿があった。
彼女は、呼吸を止め、全身全霊をかけて矢を放つ。




