96話 大佐
翌日ソフィアが所属する部隊の隊員に向けては、ソフィアは夜間のスクランブル待機中に発生した特別任務により一時的に別の基地に帰投した、という説明があった。そういうことは稀にあるため、他の隊員は特に違和感なくそれを受け止めた。
フランツはアレクと約束した通りいつもと同じように出勤していたが、朝礼の後に行われる訓練飛行のためのルート確認のミーティングが終わったとき、ある人物に声を掛けようと近づいた。だがその瞬間、突然エルンスト大佐に声を掛けられた。
「フランツ!ちょっと来い。ノヴァーク、今日はお前がフランツの代わりに指揮を取れ。」
ノヴァークは一瞬面食らいつつもすぐにハッ!と敬礼しつつ返事をした。本番と違う指揮系統で訓練することは通常ありえない。フランツは昨日のソフィアのことで呼ばれたということを直感した。
大佐は黙って自らの執務室に向かい、フランツも何も言わずそれについて行った。部屋に入ると大佐は正面に置かれている木製の重厚なデスクに掛けた。
「…悪いが、鍵を閉めてくれるか。」
フランツが続いて部屋に入ると大佐が静かに言った。フランツはハ、と返事をして内側から入り口のドアの鍵を閉めた。それを確認すると大佐は改めて口を開いた。
「秘密警察から通達が来ている。昨日夜にお前が任務を一部妨害した、ヴィルヘルム・フォン・ブラウン中将の恩赦により罪には問わなかったが、軍に厳重注意及び要注意人物としての監視を要求する、と。」
大佐は秘密警察からの書状を読み上げたが、デスクの前に立ったフランツは表情を変えなかった。
「任務を妨害、とは何をした?…秘密警察の任務とは、ソフィアの事情聴取のための任意同行で間違いないな。」
「はい。ソフィアが秘密警察の車に乗るところを目撃し、それを阻止しようとして秘密警察の隊員の一人を地面に倒しました。」
フランツがはっきりと答えると、エルンスト大佐はため息をついた。
「フランツ…堂々と言うな。秘密警察に目を付けられたら危険なことは分かっているだろう。」
「…申し訳ありません。」
謝罪しつつもフランツは大佐の目を真っ直ぐに見ていた。大佐はその視線を避けるように言った。
「お前の気持ちは分かる…。事情聴取と言いつつもあそこに連れて行かれたらどうなるか分からないと考えているんだろう。」
フランツがそれに答えないうちに、エルンスト大佐は続けた。
「だがお前が下手に動いて拘禁でもされたらどうする。同じく現場に居た設計士のアレクサンダー・ベルにも今頃上官から同じことが告げられているだろう。お前たちは監視されている。」
「大佐は…ソフィアがなぜ連れて行かれたのかをご存知なのですか。」
フランツの質問に大佐はすぐには答えなかった。おもむろに席を立ち、南側にある小さな窓の方にゆっくりと歩み寄った。
「俺から情報を引き出そうとしても無駄だ。フランツ、ソフィアは必ず戻ってくる。それまで何もするな。」
「しかし…秘密警察でどういう扱いを受けるかわかりません!一刻も早く救い出さないと…」
「わかってる!だがお前には無理だ!軍の中には監視の目が無数にある。秘密警察をはじめ政府軍側の人間がスパイのように紛れ込んでいるということは元々周知の事実だろう。軍の中に反政府的な思想を持った者がいないかどうか常に監視しているんだ。」
「それは承知しています!しかしだからといって何もしないでは居られません。こうしている間にもソフィアがどうなるか…少しでも可能性があるなら誰に接触してでも−」
「落ち着け!少し冷静になれ、フランツ。スパイを見つけ出して逆に利用しようとでも言うのか!?そんなのは無理だ、危険すぎる…!少なくとも監視の目が複数ある軍の中では不可能だ。ベルも同じようなことを考えているなら即刻諦めさせろ。」
「…なら自分は軍を辞めます!」
フランツの口から出たその発言に大佐は信じられないという目をしたが、すぐにフランツの目の前へと歩み寄り、その胸ぐらを勢いよく掴んだ。
「二度と軽々しくそのような発言をするな!!国を守るという使命を忘れたか!?お前は何のためにこれまで命を懸けてきた!?」
大佐はそのままフランツの体を後ろの壁に勢いよく突き飛ばした。
「お前が軍を辞めようとしたって無駄だ!上層部は到底それを認めないだろう。お前が居なくなればこの基地の戦力は半減する。…フランツ、俺はお前のことを弟のように、息子のように思っている。無茶なことをして秘密警察に引き渡されたくない…!」
エルンスト大佐はさっとデスクの上にあった電話の受話器を手に取った。
「治安維持部隊を数人寄こせ。要拘束者が出た。」
それだけ言うと即電話を切った。それを聞いたフランツは耳を疑った。
「大佐!?」
「フランツ、お前の安全のためだ。軍規違反によりお前を一週間の自宅謹慎とする。」
「やめてください!大佐はソフィアが−」
「ソフィアを救いたい気持ちはもちろんある!だがこうなってしまった以上は解放されるのを待つしか方法はない。」
すると大佐はデスクの引き出しから一枚の手紙を取り出した。
「…ソフィアからお前への手紙だ。任意同行される前に一枚だけ手紙を書く許可を得たらしい。」
フランツはハッとしてすぐにその手紙を受け取った。
「逆に火に油を注ぐ結果になりそうで渡すかどうか迷ったが…お前にはどちらにしても同じだったな。」
その時ドンドンとドアを叩く音がして、大佐はすぐさまドアの鍵を開けた。
「治安維持部隊保安本部のフェルザー以下三名です。お呼びでしょうか?」
「ここに居る第35戦闘航空団所属のリーデンベルク少佐を軍規違反による一週間の自宅謹慎に処する。直ちに連れて行け。」
治安維持部隊の隊員はすぐさま部屋に入ってフランツの腕を掴んだ。フランツはその直前にさっと手紙を胸ポケットに収めた。
「手錠は掛けるな。士気に関わる故、他の隊員に見つからないように自宅に軟禁しろ。絶対に一歩も外に出さないようにな。」
隊員はハッと返事をしてフランツを連れてドアへ向かった。フランツは最後に大佐を見たが、大佐はそれを見返すことができずに目を伏せた。




