86話 出会い
「…フランツ、いよいよ最後のチャンピオンシップだな。機体は最高の状態に仕上げてある。文句は言えないぞ。」
「文句なんてある訳ないさ。お前の設計の腕は全チームの中でも一番だ。すでに航空機メーカーから何社もスカウトが来てるんだろ?」
「関係ないよ。俺は軍に入る。お前と半年ずれるけど、先輩ヅラするなよ。」
「パイロット試験は半年後だぞ。まだ内定もらったわけでも何でも無い。…まぁ、何があっても合格するけどな。」
フランツは明るく笑った。アレクは大舞台を前にしていつものごとく少しも緊張した様子の無いフランツを心強く思っていた。それは他のチームクルーもみな同じだった。
そのとき会場反対側にあるピットの辺りから歓声が上がった。見るとパイロットがピットから姿を現したようだった。
「ハインリヒ社のソフィア・セレーナか。美人だよな。実力もあるし、初年度からすっかり人気者だな。」
チームクルーの一人が言うと、他のみんなも同意した。
「確か俺たちと同じ歳だよな。フランツ、声掛けて来いよ。ピットに居るときはファンが殺到するだろうけど、搭乗前ならチャンスあるだろ。」
「搭乗前にそんな時間ねぇよ。大体気になるから自分で声掛けろよ。」
あっさりとそう言うと、フランツはピットの外へ駆け出した。
「フランツ、どこに行くんだよ?搭乗セレモニーまでそんなに時間ないぞ。」
「ウルバノさんにダニエルメルツの新型エンジンを見せてもらう約束してたんだ!すぐ戻るよ。」
アレクに返事をしつつ、フランツは人混みの中に消えていった。あまり緊張し過ぎないのも考えものだなとアレクは思った。
フランツはウルバノを探したがピットには居なかった。チームクルーに尋ねたところたぶん控え室に居るとのことだったので、会場の建物内部に続く廊下へ入って行った。
人通りもなく薄暗い通路の奥の方まで来たとき、突然後ろから誰かにぶつかられた。フランツの肩に当たった相手はぶつかった弾みで通路に倒れた。
「…大丈夫ですか?」
倒れたままの相手に声を掛けた。薄暗い上に逆光でよく見えなかったが、近づくと相手はパイロットスーツを着ているようだった。
起き上がる様子が無いので不自然に思って相手の肩に手を掛けると、相手がふいにこちらを向いた。
フランツは驚いてその顔を確認した。涙を流しながら自分の顔を見上げたのは、先程話題に出たばかりのソフィア・セレーナに違いなかった。
「ソフィア…!?」
フランツはソフィアの涙を見て困惑した。
「どうしたんだよ!?何で泣いてるんだ…?」
立ち上がろうとするソフィアを支え、一旦近くにあった壁際のベンチに座らせた。
「何があったか知らないけど…、もうすぐ搭乗時間だろ。お前のチームクルーを呼んで来るからここで少し待ってろよ。」
フランツが離れようとすると、ソフィアは咄嗟にそれを呼び止めた。
「待って!!やめて!…チームクルーには知られたくない…。」
その言葉にフランツは足を止めた。戸惑いつつもソフィアの元に戻り、迷った末にそっと隣に座った。
「何かあったのか?まさかファンに何かされたとか…。」
「違うの。そんなんじゃない…。」
消え入るような声で答えてから、ソフィアは自分で涙を拭った。
「ごめんね、もうすぐ搭乗なのに。あなたみたいなスターパイロットのレースを邪魔したら、それこそファンに怒られるわ。」
涙を止めて立ち上がろうとしたソフィアを、フランツは咄嗟に制止した。
「待てよ、何かあったんだろ?そんな精神状態でレースに出たって危険なだけだ。…チームクルーに話せないなら、俺に話せよ。大会以外で会うことも無いし、そういう奴の方が話しやすいだろ。」
ソフィアは改めてフランツの顔を見た。挨拶程度でほとんど話したことのない相手に、自分のことを話す理由など毛頭無かった。ただその真っ直ぐな目を見ていると、わけもなくこの苦しみを話してしまいたいような衝動に駆られた。
ソフィアはそのまましばらく黙っていたが、フランツはただ静かに隣に座っていた。するとふいにソフィアがポツリとつぶやいた。
「兄が…軍に逮捕されたの。」
フランツは突然放たれたその言葉に一瞬面食らった。
「軍に…?治安維持部隊か?」
ソフィアは小さく頷いた。
「…政治犯の疑いを掛けられたってことか…。」
フランツがつぶやくと、ソフィアは潤んだ目でフランツを見た。
「兄は絶対に悪くないわ…!テロや暴動を起こした訳でもないし、政府に反抗的な態度を取ったといっても、それはあくまで平和的な行動によるものよ。兄は航空機メーカーの工員として働く傍ら、裏でアトリアの階層社会やラスキア政府の理不尽な施策に対する抗議を手紙やビラで人々に訴える活動をしていたの。…でもそれの何が悪いの?貧困層である私たちでも、言論の自由は皆平等に保証されているはずでしょう!?」
可憐なソフィアの口から力強くかつ政治的な発言が出たことにフランツは驚いた。またソフィアが貧困層出身だということも初めて知った。フランツはその目を見返しながら、ソフィアの言っていることはもっともだと思った。
「…その通りだ。全ての国民には言論の自由が保証されている。まずは兄貴が解放されるように軍に嘆願書を出すべきだな。無実であることを証明しないといけない。」
「そんなの無駄よ!!これまで貧困街の人間が何人も逮捕されるのを見てきたわ。政治犯と見なされた人間は酷い拷問を受けて口を割らなければ殺されるのよ!」
言いながらソフィアの目からはまた涙が溢れそうになっていた。それを見たフランツは胸を痛めたが、どうすればその涙を止められるのか分からなかった。
「ごめん…あなたに言っても仕方ないわよね。話を聞いてくれてありがとう。レースは辞退するから安心して。あなたの言う通り、こんな状態でもし事故でも起こしたら迷惑だし…。」
ソフィアは立ち上がり、一人通路の先へ向かって歩き出した。
「…ソフィア!お前は何でパイロットになったんだ?」
突然の問いかけに、ソフィアはかなり戸惑いつつも足を止めた。
「…何でそんなこと聞くの?」
するとフランツは立ち上がり、振り返ったソフィアの前に立った。
「俺はずっと憧れてたんだ。いつかパイロットになって空を自由に飛ぶことに。そして今は、この腕でこの国の大切な人たちを守りたいって思ってる。」
「…私にはそんなロマンチックで壮大な理由なんて無いわ。ただ家族の生活をより良くしたいからよ。私たちが貧困から抜け出すにはパイロットになって軍に入ることが最も可能性のある道だもの。」
「じゃあその目標を必死で追いかけろよ。半年後にあるパイロット試験を狙ってるんだろ?受験資格を得るにはこのチャンピオンシップでの成績は重要だ。」
「そんなことわかってる!でも言ったでしょ!今はそんな−」
「軍に入ったらお前の兄貴を救い出す方法が見つかるかもしれないだろ!俺も協力するよ!」
ソフィアは驚いてフランツを見た。フランツは真っ直ぐにソフィアを見据えた。
「俺は半年後に必ず軍に入る。外から訴えても意味がないと言うなら、軍の内部に入るしかないだろ。兄貴のためにも、お前は今このレースに出て少しでも順位を上げるんだ。」
透き通ったように真剣なその目を、ソフィアはただ黙って見つめていた。
「何であなたがそんなこと…ほとんど知らない私なんかに…」
するとフランツは迷うことなくはっきりと答えた。
「俺は誠実に努力してる奴が理不尽な理由で目標を諦めるのを見たくないんだ。この国の不自然なシステムにも前から気づいてた。生まれた階級によって職業や暮らしが制限されるなんておかしいよ。そういうことに対して勇気を持って正当に訴えたお前の兄貴が逮捕されるなんて間違ってる。誰であったって人が自由に生きる権利を奪うことは出来ないんだ。」
ソフィアはその言葉を衝撃を持って受け止めた。上流階級の人間がそんな考えを持っているなんて想像もしていなかった。
ソフィアが何か言おうとしたとき、パイロットに搭乗を促すアナウンスが流れた。
「…行こう。」
フランツは通路の先へと歩き出した。ソフィアは少し遅れてその後を歩いた。二人はずっと黙っていたが、通路の外へ出た瞬間にソフィアが口を開いた。
「フランツ…!」
フランツが振り返ると、ソフィアはその目を真っ直ぐに見て言った。
「ありがとう…。半年後、私も絶対に試験に合格する。」
ソフィアはもう泣いていなかった。その力強い目には決意の色が滲んでいた。
「ああ。お互い、まずはこのレースに全力を尽くそう。」
ソフィアははっきりと頷いた。このレースで絶対に上位に入る。そして軍に入って必ず兄を救い出す。揺るぎない決意を持って、ソフィアはレースに臨んだ。




