82話 束の間の平穏
二日間、ハンスは熱を出して寝込んだ。熱を出すなんていつ振りだろうとハンスは思った。
熱が出て倒れたのはラスキアードから帰ってきてすぐのことだった。食事や睡眠をしっかり摂っていなかったから無理が出たんだろうとアレクに言われて、ハンスはその通りだと思った。
ルカは呆れつつも意外にも割としっかり看病してくれた。タオルを替えてくれたりおかゆをつくってくれたりして、ハンスはその度に素直にお礼を言った。
「まったく、だから言ったのよ。これを機に改心してちゃんと人間らしい生活をしなさいよ。」
もっと口うるさく言われるかと思ったが、ルカはそれ以上文句をつけることは無かった。病人に対しては少し優しくなるのかなと、ルカの新たな一面を見た気がした。
熱が下がると、ハンスは規則正しい生活を心がけるようになった。
朝早く起き、食事は必ず三人で摂り、以前は欠かせたことの無かったトレーニングを再開した。読書ばかりしていたので体が鈍っている。
再び操縦桿を握ることがあるかどうか分からないのに耐Gのための体幹訓練をしたって意味がないかもしれないが、体の準備だけはしておこうと思った。夜には相変わらず書庫で読書に耽ったが、睡眠時間はしっかり確保するように気をつけた。
そんな中、引き続き現在の情報を得るためにラスキアードに出ることも多くなった。ハンスはラスキア政府の実情に詳しくなるにつれ、今後のアトリアをラスキア政府の手から解放するためには独立するしか道は無いこと、そのためにはもはや武力による解決でしか方法が無いことにも気づいていた。だが、そのために自分がアルデバランに入るかどうかはまた別だった。
生まれ育ったアトリアが大好きだし、世界で一番大切な場所だと思っている。家族や友人だけに限らず、これまで関わってきたたくさんの人々が生活しているアトリアを守りたいと思うのは当然だ。そのためにはアルデバランに入るのが最も自然だと自分でも思う。それでも納得できない何かがあるのは、やはり父親の問題が解決していないからだろうか…。
ただ、父親が反政府組織に加担した原因をアレクに聞いたところで、本当にその問題は解決するんだろうかという不安が、ハンスの中に芽生え始めていた。そのきっかけとなったのは、スミルノフに自分が父と同じようなものを持っていると期待をかけられたことだった。
自分はずっと父のようになりたいと思っていた。なのになぜ父と同じようなものを求められた途端にどうしようもない嫌悪感や憤りを感じたんだろう。自分では父のようにはなれないという自信の無さからだろうか?
…いや、それはない。そもそもスミルノフの言う強靭な精神力や扇動力など、自分自身には感じたこともないからだ。そんなことを父と比べられたところで測りようが無い。
ただ、では何だと問われても、ハンスはいくら考えても明確な答えは出せなかった。
それでも、少なくとも6月20日まではここに居ることは決まっている。とにかくそれまでに確実に怪我を治してアレクに父の話を聞く他に、今自分のやるべきことはない。
ハンスは考えを切り替えて、ラスキアードに出かけない日はルカの畑仕事やアレクの機械類の修理を手伝ったり、腕が少しずつ良くなるにつれて掃除や洗濯、料理などもできるだけ積極的に手伝うようになった。
「ちょっと、フライパン使うときは最初に油を引いてよ!こげついちゃうでしょ!」
「そうなのか?ごめん。」
「それはいいから、あんたは野菜でも切ってて……あ、やっぱりいいわ!絶対指切りそう!」
「切らねぇよ。ほら、貸せよ。」
「だめよ!せっかく腕が良くなってきたんだから。えっと…あんたは飲み物準備して、テーブルでも拭いて。」
ルカは有無を言わせずハンスに濡らした布巾を押し付けた。ハンスは仕方なくそれを受け取り、テーブルを拭き出した。
「料理はまだ手伝わせてもらえないみたいだな、ハンス。」
昼食のために仕事を中断して作業場から戻ってきたアレクが、二人の様子を見て微笑みながら声を掛けた。
「ルカが心配性だから。でも二人が作るのを見てきたから、簡単なものならできるよ。」
「ほんとかしら?あんた、掃除も洗濯もめちゃくちゃだったでしょ。車の運転やアレクの機械類の修理は何も言わなくてもすぐにできたくせに…ほんと極端なんだから。自分の興味の無いことは眼中にも入らないんでしょ。」
それに対してハンスは何も言い返せなかった。
「ハンスの修理の腕には本当に助かってる。説明しなくてもすぐに構造を理解するし、問題の発見と修理方法の見当も的確だ。」
「…ずっと機体を整備してきたから…。それ以外のことに関してはルカの言う通りだけど。でも、少しでもアレクの役に立てたなら嬉しいよ。」
ハンスは屈託もなく笑った。アレクはハンスが身体の回復と共に自然な明るさを取り戻していることを心から嬉しく思った。
ハンスは日が経つにつれて二人と打ち解けていった。それはハンスの表情や言葉遣いに如実に表れていた。まるでずっと昔から三人で暮らしてきたような自然な生活がそこにあった。
それでも、この暮らしができるのもあと僅かだ。そのことを少し寂しく思いながらも、ハンスの中のアトリアに帰るという思いが揺らぐことは決して無かった。




