80話 現実
「待たせてごめんね。そろそろ来るはずだから、これでも飲んでもう少し待ってね。」
アンネは三人の前に紅茶を差し出した。部屋は以前ハンスに関する全ての話を聞いたときとは別だったが、テーブルとイスがあるだけのシンプルな造りは同じだった。
「ありがとうございます、どうか気を遣わないでください。勝手に押しかけたのはこちらですから。」
クリスが申し訳なさそうに言うと、アンネはにっこりと笑った。
「ほんと、またここで会うとは思わなかったわ。私たちはたくさんある基地を常に移動してるから、あのとき幹部がここに集まっていたのも本当に偶然だった。…君達は相当運がいいわね。いえ、ハンス君がかな?」
「あの時は本当にありがとうございました。改めてお礼を言わせてください。」
「それはエラルドやドレイク、それに実際にハンス君を助けた航空部隊に言うべきね。私は偶然居合わせただけよ。」
アンネがやわらかく答えたとき、部屋のドアからノックの音が聞こえた。きっとエラルドだわ、と言ってアンネがドアに向かった。
「アンネ、遅くなってすまない。」
「まさか、こちらこそ忙しいところ呼び出したりしてごめんなさい。どうぞ入って。」
部屋に入るとすぐにエラルドは三人の顔を確認した。
「…やはり君達か。また会ったな。」
するとクリスがさっと立ち上がった。
「以前はハンスを救っていただいて本当にありがとうございました。」
クリスが頭を下げると、ゾフィーとジルベールも共に立ち上がって同じように頭を下げた。
「頭を上げなさい。あの時のことは俺自身の判断によるものだ。君達がお礼を言う必要はない。」
三人が顔を上げると、エラルドはほら座って、と声をかけた。ジルベールは穏やかそうなこの人がこれから戦争を起こそうとしている反政府組織のリーダーであるとことに大きなギャップを感じた。
全員が席に着くと、エラルドは早速話を切り出した。
「さて、俺に話があるということだが…それは君かな?ゾフィー。」
するとゾフィーは真っ直ぐにエラルドを見た。
「はい。唐突で申し訳ないのですが、なぜアルデバランが今アトリアを独立させようとしているのか、どうしてもその理由を直接聞きたくて来ました。」
「聞いてどうする?アルデバランに入るのか?」
いきなり核心を突いたその言葉に、クリスは慌てて口を挟んだ。
「それはまだ分かりません。理由を聞かせて頂いてから自身で考えたいと思っています。」
「そうか。だが、理由を話すには君達に機密情報を漏らさないといけない。組織に入る覚悟の無い者にそれはできない。」
はっきりと断言されて、クリスは困惑した。するとゾフィーが口を開いた。
「…私にはその覚悟があります。アルデバランが独立戦争を起こすこと自体が確実であるなら、私は組織に入って共に戦います。」
クリスとジルベールは驚いてゾフィーの顔を見返した。事前に話を聞いても結論はすぐに出さないと固く約束していたからだ。ジルベールはたまらず口を開いた。
「ゾフィー!何度も確認しただろ?すぐに結論は出さないと。お前は何もわかってないだけだ。戦争がどういうものか−」
「ええ、わかってないわ。でもそんなの誰だってそうでしょう!?戦争を経験したことのない私たちがそれを完全に想像することなんて不可能よ。それでも私は決めたの。このまま何もしないでいるなんて到底できないから…」
頑ななその態度を、クリスは諌めるように続けた。
「ゾフィー、約束しただろ。理由を聞いたらもう一度しっかり考えるって。俺たちを裏切るのか?」
「でも…、理由を聞くには覚悟を決めないとだめだとエラルドさんはおっしゃったわ。私はその通りだと思う。だからたとえ一人でも私は−」
「わかった!君の覚悟はよくわかった、ゾフィー。三人ともすまない。君達を試すような真似をして。」
エラルドは困惑した様子の三人を見て続けた。
「機密情報を漏らしたらまずいのはもちろんだが、すでに君達は組織の内情を知りすぎている。今更隠すこともない。ゾフィーの覚悟は今の言葉で分かったが、ゾフィーが軍に目をつけられていることも分かったうえで彼女をここに連れて来た君達も、すでに相応の覚悟はしているだろう。組織に入るかどうかを通り越して、君達の命を賭ける覚悟を。」
クリスとジルベールはその言葉にはっきりと頷いた。迷いなくそうした二人を見て、ゾフィーは初めて自分の考えの甘さに気づいた。
「…ごめんなさい。二人がそんな覚悟を持ってここに連れて来てくれたなんて…考えられてなかった。」
「いいんだよ。俺たちは望んでこうしてるんだ。誰に命令されたわけでもない。」
「そうだ。あくまで俺たちが勝手にやってることで、もちろんお前のせいなんかじゃない。だから謝るな。」
そんな三人を見て、エラルドは初めて微笑んだ。
「君達はいい仲間だな。素直に意見をぶつけ合いつつも、お互いを思いやることができる。いい組織とはそういう人材が集まって生まれるものだ。」
クリスはエラルドがアルデバランのリーダーをしている意味が何となく分かった気がした。
ハンスのような力強い扇動力とはまた違って、常に冷静に全体を観察する客観性を持っている。以前感じた判断の速さも、その優れた客観性を最大限に発揮することによって生まれる、この人のリーダーとしての特質なのだろうと感じた。
「アンネ、悪いがこの前のフライスラーの演説の原稿を持って来てくれるか。」
アンネはすぐに部屋を出て行ったが、間も無く数枚の書類を手にして戻り、それらをテーブルに広げながら付け加えた。
「これは5日前にラスキアードの国会議事堂で行われたフライスラー大統領の一般教書演説を書き起こした全文よ。2時間近くにも及ぶ大演説だったから、かなり枚数も多いけれど。」
書類を全て並べ終えると、エラルドが口を開いた。
「読んだらわかるが、この内容のほとんどが就任してからの自身の功績を讃えるものだ。経済政策の成功や失業率の改善などに代表されるようなな。この中で特に君達に注目してもらいたいのはこの部分だ。」
エラルドが示したのは、まさにハンスが図書館で読んだときに注目した一節と同じだった。”民族共同体” “純ラスキア民族” などの言葉を目にして、クリスは眉をひそめた。
「これは…アトリアの人々を切り捨てるという意味でしょうか?ラスキア共和国建国時からの本土の国民が”純ラスキア人”で、その”民族共同体”を守るため、”かつて我々の温情により生かされた民族の狂乱した行為”、つまりアトリアで起こったこの前のテロ事件を見逃してはおけないと…。」
「そうだ。飲み込みが早いな。」
エラルドはあっさりとそう言ったが、ジルベールは納得できなかった。
「大統領がこんな発言をするなんて…信じられません。これは民族浄化とどう違うんですか?こんな時代錯誤な考えを、現代の国民が受け入れるわけがない…。今の国会はかなりリベラル派の勢いが増しているけれど、それでもここまでの発言をすれば当然議員たちからも反発が上がるでしょう?」
「いや、この一節の後には全体の中でも特に盛大な拍手が大統領に送られた。上院からも下院からもな。すでに国会はフライスラーの色に染まっている。厳しい情報統制によってアトリアにはその事実は全く伝えられていないがね。」
ジルベールは信じられないという顔でエラルドを見た。
「そんな…議会はすでにこの極端な考えを支持しているというんですか!?フライスラーのこの発言はまるで国の全てを政府によって統制しようとしているようだ。それは民主主義的な体制では実現できないでしょう。選挙によって民意を反映させる民主政治においては、大きな事件等をきっかけにして一時的に団結したとしても、それを長期間維持することは難しい。…まさか、それさえも放棄して独裁主義に走ろうとしているんですか?」
「現在ではその通りと言わざるを得ないような状況だ。元来民主主義とは独裁主義に転換しやすい。成熟した文明を持つ大国筆頭のラスキアでそんなことが起こるとは想像できないだろうが…これは現実だ。」
ジルベールはその言葉をすぐには受け入れられなかった。だがよく考えると、父親が暗示していたアトリア議会を廃するための重要な法案がもうすぐ決議されるということを考えれば、その背景にこういう発言があったとしても不思議ではないかもしれないとも考えた。




