77話 アトリアの未来
「フライスラー大統領のあの発言は、これまで政府が長い時間をかけて計画していたことがこの前の事件によって一気に噴出し、公然と推し進められることになった結果です。
もともとアトリア特別行政法の改正についてはラスキア国会内でもかなり賛成と反対が拮抗していました。議会を撤廃するということはアトリアの民主政治を否定して完全に自治権を奪い、植民地と同等なほどに貶めることにもなり得ます。そうすることでアトリアの持つ財産の全てを掌握できることはラスキアにとってかなり魅力的であると言えます。
ただ、アトリアの人々の人権を完全に無視してそこまでやるには、まだまだ時間が足りませんでした。強硬派の多い上院では何とか法案が通ったのですが、案の定下院では反対多数により否決されました。
そこで大きな賭けに出たのがバルツァレク国防長官でした。下院の議員たちに金をばら撒いて次々に賛成派へと変えさせていったんです。目的はもちろん権力欲によるものです。自身の年齢を考えても、何としてもここで次期大統領候補としての存在感を示す必要があったのでしょう。」
そこまで話してスミルノフははぁ、とため息をついた。ハンスも同じような気持ちだった。善良そうに見えるこの人が、欲にまみれた議員たちの言動を目の前で見続けて来たことに同情さえ覚えた。
「でも…その目前でバルツァレク長官は殺害された。アトリア特別行政法の改正は難しくなったんじゃないですか?」
「いえ、むしろその逆なんです。この前のテロ事件で本土の一般人なども無差別に殺害されたことで、アトリアへの反発がかなり強まってしまった。弱体化したアトリア州議会では反政府組織を抑えられないと判断した議員たちは、議会を撤廃して直接支配することも止むなしと考えるようになってしまったんです。そこでさらに大統領によるあの教書が出て、もはや改正が両院協議会で議決されることは決定的と言われています。」
ハンスはその説明に納得しつつも、アトリア議会の撤廃がもはや避けられないという事実にかなりの危機感を覚えた。
「議会が撤廃されれば…アトリアはどうなるんでしょうか。」
「…恐らくいずれは植民地のような状態になってしまうと思われます。石油と航空機技術による経済的恩恵は大きい。アトリアを植民地化できれば、ラスキア政府は自由に使える労働力によって最大化された利益を完全に独占し、経済的にも軍事的にも他の大国から抜きん出た力を持つようになるでしょう。議会が無くなって直接支配が可能になればそれを進めない手はありません。」
ハンスも確実にそうなるだろうと思った。あのフライスラーの演説そのままに、アトリアの人々を国民とは認めず奴隷のように扱おうとするに違いない。
「6月20日…あと18日か。それまでにゾフィーたちをアトリアから脱出させないと…。」
ハンスが独り言のようにそうつぶやくと、スミルノフは突如真っ直ぐにハンスを見た。
「ただ、アトリアの人々が黙ってそれを見過ごすはずはありません。アトリアの民衆は必ず蜂起します。6月20日のその日に合わせて−」
その言葉にハンスはパッとスミルノフの顔を見返した。蜂起…?突然それを断言したスミルノフを訝しく思った。
「…何でそんなことが言えるんですか?」
するとスミルノフは一瞬下を向いたが、改めて顔をあげた。
「今まで隠していて申し訳ありません。私は…アルデバランのメンバーです。」
ハンスはハッとした。考えてみればそのことに思い至らなかった自分の方が鈍かったと思った。
ゾフィーの婚約を阻止するために自分に近づいたり、自分たちを助けるような情報を流したりしたのも義父の秘書というだけでは不自然だったと思い返した。
「…あなたが僕に近づいたのは、父がアルデバランのリーダーだったからですね。でも、他のアルデバランのメンバーとは違って早くから接触を図った。あなたに課せられた目的は何ですか?」
「目的など…ありません。いえ、元々はありましたが…。6年前に私が先生の秘書になったときには。」
「6年前…父が亡くなった直後ですね。」
「はい。あなたたちが叔父であったヨーゼフ氏に引き取られることになったと知って、すぐに秘書になりたいと願い出ました。ただそれは、アルデバランに命令された訳では決してありません。私の個人的な意思によるものです。私は…、フランツを心から尊敬していました。リーダーとしても、人間としても。フランツが亡くなった後、残された二人の子供達のことがどうしても気になったんです。フランツが心から大切に想っていた子供達を直接守ることはできなくても、せめて見守れるような位置にいたいと考えた結果の行動でした。」
ハンスは思った通りのスミルノフの善良さと、父が残したものの大きさを感じた。それにはマイナスのものもプラスのものもあったが、どちらにせよ死してなお父が自分たちへ大きな影響を残していることに変わりなかった。
「あなたにゾフィーさんの婚約に関する情報を流した件も、アルデバランの指示などではありません。二人には不幸になって欲しくないという、個人的な感情からあなたに接触しました。そのせいであなたにそのような怪我を負わせてしまったのは本当に申し訳なかったですが…。」
スミルノフは本当に申し訳なさそうに目を逸らした。ハンスはスミルノフの話に違和感は無いと思ったし、信頼できる内容だとも感じた。
「いえ、もしあなたの情報が無ければゾフィーがどうなっていたか分かりません。そもそもこの怪我は自分のミスなので、あなたが気にする必要は全くありません。…ずっと僕たちを気にかけて頂いて、ありがとうございました。」
ハンスは素直に感謝を伝えた。スミルノフがアルデバランのメンバーであったとしても、これまで自分たちを助けてもらったことに変わりはない。今さっき伝えられた議会撤廃の情報にしても、他では手に入らないであろうかなり貴重な情報だった。
スミルノフはハンスを見て複雑な表情を浮かべていた。そんなスミルノフに、ハンスは続けて問いかけた。




