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群青、君が見た空の軌跡  作者: 乃上 白
第一章
75/190

75話 腐敗した政治

 フライスラーの演説は冒頭の理想主義的な呼びかけに始まり、そのほとんどが自身の功績を讃えるものだった。内容は主に経済政策に関するもので、10年以上に及ぶ長い不況と失業率の高さを劇的に改善した自身の政策による成功を殊更に強調していた。


 確かにラスキアの経済状況は二年前にフライスラーが大統領に就任してから急速に回復しつつあった。その要因は主に軍事産業やアウトバーンなどの公共事業を徹底的に強化したことによる。

 14年前の世界恐慌と8年前の金融恐慌との二大ショックにより、ラスキア国内の失業率は一時期には40%にも達していた。そんな中で政権を握ったフライスラー率いる民主労働者党は、先に述べた施策により悪化した経済状況と社会不安を一気に改善させ、失業率は現時点ですでに5%を切っている。

 それによりフライスラーは本土の国民、特にそれまで仕事を得るのに苦労していた若年層からの熱狂的な支持を得ていた。


 だがアトリアにおいてはその経済効果はほとんど得られず、むしろ逆効果だった。

 軍事産業を強化したことで、本来であれば戦闘機の生産拠点であるアトリアはその恩恵を大いに受けてもいいはずなのだが、ラスキア政府は逆にアトリアの航空機メーカーに国のために戦闘機をより安価にかつ大量に生産することを求め、生産ラインを確保するため海外への輸出を制限した。

 元々ラスキア軍への戦闘機の提供は国費によって賄われていたが、その国費もかなり原価ギリギリの状態で、生産量の大幅な増加を求められたにもかかわらず国費の上乗せはほとんどされなかった。

 それまでは海外への輸出によってある程度の利益を出していたアトリアの各航空機メーカーは、それさえも制限されてしまったことで大幅な赤字に転落することを苦慮し、多数の工場労働者を解雇して人件費を抑えようとした。

 人材が減ったにもかかわらず必然的に仕事は増える一方で、労働環境の悪化を避けられず労働者の不満が増大、さらに仕事にあぶれた元労働者らが反政府化してテロや暴動が頻発した。


 演説を読み進めるにつれて、フライスラーがアトリアを犠牲にしていることに少しも触れずに自身の功績だけを強調している内容に、ハンスは強い憤りを感じざるを得なかった。

 ラスキア政府の理不尽な政策によってアトリアの経済状況が悪化していることは知っていたが、それはラスキア共和国がさらなる発展を遂げるための痛みを伴う改革であり、本土の経済状況が回復した暁には、改革に尽力したアトリアには以前よりも更なる繁栄がもたらされると、ラスキア政府は強調していた。

 具体的な施策の一つとして航空機の主な輸出国との交渉による大幅な関税引き下げの用意があることや、失業保険の拡充に代表される福祉面の充実、そしてアトリア内の失業率を必ず7%以下にまで抑えることを約束すると断言していた。


 だが昨日の演説の中ではそんなことには一切言及されず、それどころかアトリアのアの字も出てきていない事実を目の当たりにして、ハンスは完全に裏切られた思いがした。さらに、演説の最後の方に気になる一節を発見した。


***

” −私はラスキア共和国の未来のため、新しい民族共同体をこの国に誕生をさせることを宣言する。

 民族共同体への想いを持たずして偉大な国を成立させることは不可能だ。国民が国家への愛と忠誠を誓うことなく、他国からの脅威を完全に排除した永遠の平和と繁栄が約束されることなど到底あり得ないからである。


 そもそも、愛国心だとか国家主義が独立した一つ一つのイデオロギーとして存在すること自体が間違っている。知識人や農民が別々に団結して行動を起こしたり、国家主義者と民主主義者がそれぞれ異なる考えの下で行動を起こしたりしていたら、団結している抵抗勢力に簡単に打ち負かされてしまうであろう。

 しかし、様々な立場の人々が交わって一つになったときには、どんな抵抗勢力であれその共同体を打ち破ることなどできないのだ!


 農民も労働者も、ブルジョワジーも知識人も、ついに全ての純ラスキア民族が分け隔てなく一つになる時が来た。まさに今我々には純ラスキア人として平等に手を取り合い、他民族の脅威を排除することが求められている。


 本土における全ての国民に告ぐ。

 最先端の文明と世界最大国家としての権威を手にした我々ラスキア民族としての誇りを胸に堂々と闘え!

 我々は上位民族として世界に認められている。健全な精神と慈愛に満ちた我々が世界に君臨することは全世界に人類の平和をもたらすことと同義である。そしてその一歩は我々のすぐそばから始まる。


 かつて我々の温情により生かされた民族の狂乱した行為が、我々の偉大な同志たちの命を残酷に奪った。これを見過ごすことはラスキア民族の誇りを捨て、かつて国を守るために戦った我々の戦友の想いを無に帰することと同じだ。

 我々は自らの家族を含むこの民族共同体を守るため、国家に魂を捧げる必要がある。その努力は決して我々を裏切ることはない。

 そして純血によって誇り高く自由で成熟した民主主義国家をより盤石にすることが、いつの日か必ずできるはずだ。そう、さすればまさにかつての偉大なラスキア共和国を完全に取り戻すことができるのだ!


 誇り高き純ラスキア民族として生まれた同志たちよ、そんな未来の実現のために手を取り合い、共に懸命に働こうではないか!−”


***


 ハンスは目を疑った。これはまさに民族浄化を謳うものではないか?

 かつて様々な国で何度も繰り返され、負の歴史として認識されているジェノサイドを、この時代に大国筆頭のラスキアが再び蘇らせようとでもしているというのか?

 まさか−、そんな時代錯誤なことが曲がりなりにも民主主義国家であるこの国で起こるなんて…あり得ない。


 だがこの演説は、書庫で読んだ世界の歴史を記したいくつかの本の中に出てきた、かつての独裁者の演説とそっくりだ。その独裁者は領土拡大を求めて隣国に攻め入ったあげく、悲惨な犠牲を伴った世界大戦を引き起こした。

 それと全く同じようなことをラスキアがアトリアに対して仕掛けようとしているのか?


 ハンスはこれまでアトリアで感じていたフライスラーに対する印象の違いに驚きを隠せなかった。だがこれは現実だ。つい昨日すぐそこで大統領によって発言された、疑いようもない事実なのだ。


 アトリアの人々には、少なくともこの演説の全文は伝えられないに違いない。せいぜいフライスラーの政策による効果を讃える部分だけを切り取り、政府にとって都合の良い内容だけを伝えられることになるのだろう。


 そのことに思い至ると、ハンスは今すぐにでもアトリアに帰りたくなった。

 この状態では本当にいつ本格的な武力戦争になるか分からない。ゾフィーやクルト、クリスや学校のみんなはこの事実を知る術はない。このままでは全員が何も知らないうちに戦争に巻き込まれる可能性がある−。

 そう考えた瞬間、ハンスは突然名前を呼ばれた。

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