73話 真実の歴史
作業場に入ったハンスは作業台に座って小さな部品を研磨しているアレクの真剣な横顔を見た。
「ハンス、どうした。書庫の整理は進んでいるか?」
すぐに気づいたアレクが磨いた部品を照明の光にあてながら声を掛けた。
「読んだ本から順に進めています。あの、ひとつ聞きたいことがあって…。」
するとアレクは眺めていた部品を置いてハンスを見た。
「何だ?」
「この本なんですが…、アトリアの歴史が書かれています。ホルシード王国時代からの全ての歴史が…。ただ、自分が知っている内容とは大きく違いました。特にホルシード王国がラスキアの属州となった経緯です。学校で教えられた歴史とは明らかに違っています。」
ハンスは持っていた本を差し出した。それはかなり古い本だが保存状態は良く、書庫の中でも奥の方に丁寧に置かれていたものだった。
アレクはその本をそっと掴んだ。
「そうか…、これを読んだか。これはアトリアの真実の歴史を語るとても貴重な本だ。…航空学校で教えられた歴史とは随分違っていただろう。俺も初めて知ったときは驚いたよ。」
「この本の内容は真実なんですか…!?つまり、学校が偽りの歴史を生徒に教えているということですか?」
「そうだ。ラスキア政府の方針でな。この内容がアトリアの人々にバレるとまずいだろう。特にラスキア共和国とホルシード王国の戦争のきっかけになった事件が、本当はラスキア政府による狂言であったことなどな。」
驚くべきことをあっさりと言いながら、アレクは持っていた本をハンスに返した。さらに何事も無かったかのように作業台に向き直り、磨いていた部品を修理中の柱時計の中に組み込み始めた。
「でも…この本が真実であるという証拠はあるんですか?ホルシード王国の歴史にしても、学校で習ったよりもずっと文明が発達していてむしろラスキアよりも文化的にも政治的にも先進的であったと書かれています。航空機関連の技術に関して世界をリードしていたという事実は今と同じですが、そのことをラスキアが脅威に思って戦闘機が発達する前に自ら戦争の火種をつくって侵略戦争を仕掛けたと…。」
ハンスは作業しているアレクの横顔を見たが、アレクは黙って作業を続けていた。
「…もしこれが本当だとしたら、僕たちは相当ラスキア政府に洗脳されている。学校では、ホルシード王国は独裁政治を敷いた第16代国王の時代に領土を広げようとしてラスキアに戦争を仕掛け、大義のない戦争に他国の反発を受けて連合国に敗れたが、ラスキア政府の寛大な処置によって植民地ではなく属州の一つとして自治権を与えられたと教えられました。…もしこの本の方が真実だとしたら、ここまで極端に事実を捻じ曲げたことを教科書に載せるなど…信じられません。」
時計の部品を組み込むと、アレクは文字盤と針を元に戻してゼンマイを巻き、状態をチェックしていた。ハンスはその様子を眺めながら黙ってアレクの答えを待った。
「…その本を書いたのは俺の曾祖父だ。ホルシード王国とラスキア共和国との戦争時にラスキア軍の海軍大佐として戦場にいた。」
ハンスは驚いた。この本の著者がアレクの曽祖父であったことはもちろんだが、ラスキア側の人間が書いた本であったということも驚きだった。
「アレクの…!?ラスキア軍の大佐がこの本を書いたんですか?ラスキアにとっては都合の悪いことしか書いてないのに…?…それに、あなたは父と共に子供の頃からアトリアで育ったと思っていました。」
「俺の母親は一族の中でははみ出し者だったらしい。母は古くはラスキアの貴族階級にあたる一族に生まれたが、バカンスで訪れた先のアトリアで父親と出会って駆け落ちしたんだ。一族の当主だった母の叔父はすぐに母を一族から除外したが、母の父親ー、つまりこの家の所有者であった俺の祖父だけは母との縁を切らず、ひそかに交流を続けていた。母が再びラスキアの地を踏むことは二度と無かったが、俺は一人祖父に連れられて夏の間だけよくここに遊びに来てた。だから、俺は君やフランツと同じアトリア産まれのアトリア育ちだ。」
アレクの生い立ちにハンスは納得した。するとアレクは続けた。
「なぜラスキア軍の大佐であった曽祖父がこの本を書いたのかという質問だが…、俺は直接会ったことはないから想像でしかないが、やはり贖罪意識だろうと思う。曽祖父はこの本を自費出版したあと、反逆罪でギロチンに処された。軍の中で出世して安泰の生活を送っていた曽祖父が、この本を書く必要などもちろん無かった。それでもこれを書いたんだ。…俺はそれだけで、この本の内容が真実だと言えると思っている。」
ハンスは少しそのことについて考えた。確かに、処刑されると分かっていて自ら書いたということは、それだけアトリアの人々への贖罪意識と真実の歴史を残したいという思いがあったからだというのは分かる。
ただ、だからと言ってこれだけ重要な情報について一個人が綴っただけのものをそのまま全て信じていいものだろうか?
「…この本が自らの命をかけてまで真実を伝えるために書かれたということは理解できました。ただ、内容が全て確実に事実であると断言できるでしょうか?個人の主観が入っている可能性も…」
言いかけてハンスは口を閉じた。良心に従い命を賭けて真実を伝えようとしたアレクの曽祖父に対して失礼だと思ったからだ。
「すみません。」
「いや、いいんだ。俺もまさにそう思った。だからその本を改めて読んでから、ホルシード王国との戦争後に出版された禁書について調べたんだ。そうしたら、曽祖父以外にも声をあげた人たちがいたことを知った。人権派の弁護士や活動家など、俺が調べただけでも数十人いたが、全員が処刑されていた。」
「禁書の内容を見たんですか…?」
「見た。どこで見たかは聞くな。君なら自身で見ようともしかねない。」
アレクは予めはっきりと断った。ハンスにとってもそれは図星だった。
「…他の禁書を見たうえで、この本の内容はやはり真実だと確信したということですか?」
「ああ。そうだ。それは確実に言える。さらに俺が読んだ中ではこの本が一番詳細に、かつ客観的に書かれているように感じた。」
ハンスは改めて手に持っていた本のページをめくった。確かに文章は常に淡々としていて感情的な部分は一切見られない。まるで歴史の教科書のようなアカデミックな内容だった。
「…さぁ、もう休みなさい。昨日もほとんど寝てないだろう?本当にこれと決めたら突っ走るタイプだな、ハンスは。だがルカの言う通り、食事くらいはもう少しちゃんと摂った方がいいと思うぞ。…まぁ、あくまで君の自由だが。」
アレクはハンスを気遣って、部屋に戻るよう促した。ハンスはまだ聞きたいことがあったが、続きは怪我が治ってからでないと答えてくれなさそうな内容だったので、アレクにお礼を言うと一旦書庫へと下がった。
ハンスはその本をもう一度詳細に読み返すことにした。この内容が真実だと言うなら、やはり自分たちはずっと前からラスキア政府によってコントロールされていたということになる。政府はアトリアの反乱を防ぐために子供達を洗脳教育し、声を上げる人々を容赦なく処刑していた。知る権利と言論の自由を制限されたこの国は、もはや民主主義国家とは言えないとハンスは思った。
こうなると他にもラスキア政府が隠していることはたくさんあるに違いない。過去のことだけでなく、現在や未来に関することについても同様に。
そのことは想像以上に自分たちの目を見えなくしているのかもしれない。アルデバランが戦争を仕掛けてまで今アトリアを独立させようとしている理由も、おそらくその中にあるに違いないー。
ハンスは再び睡眠時間を削ってその本を最後まで読んだ。そのうえで今の自分には過去の歴史や思想を知ることだけでなく、現在の政治状況や世論の動向を把握することも必要だと感じた。ここに来てから10日経ち、残りはあと20日ほどだ。その間にできる限りの情報を集めようとハンスは考えた。




