69話 前に進むために
トントン、というノックの音がして、夕飯ができたぞ、というアレクの声が聞こえた。ハンスはいつの間にか最初に掴んだ本に夢中になっていた。
リビングに入るとすでに料理が並べられていた。今日採れた野菜を中心とした素朴なメニューで、ルカの見た目と言動から感じるものと同じようなギャップを感じた。
「こいつ意外に素朴な料理つくるんだな〜なんて思ってるでしょ?お口に合わなかったらごめんなさいね。まぁ、全然料理なんかできなさそうなあんたよりはマシだと思うけど。ていうか、料理とかしたことあるの?」
ルカがやけに突っかかってきた。先ほどハンスに少しだけ本音を話してしまったことを取り戻そうとしているようだった。
料理をしたことがあるかと聞かれてハンスは過去の経験を思い起こしたが、見事に一度も無いことに気づいた。
「…ない。」
「一度も?」
ハンスがこくりと頷くと、ルカは呆れたように言った。
「…やっぱりね。どうせ料理も掃除も洗濯も、身の回りのことは全部使用人か誰かにやってもらってたんでしょ?」
ハンスはその通りのことを言われて何も言い返せなかった。するとリビングに入って来たアレクが言った。
「ルカ、ハンスのことはこれから聞くんだ。一面だけを見て判断しようとするんじゃない。二人とも席について。」
全員が席についてルカがつくった夕食を食べ始めると、アレクがすぐに口を開いた。
「ハンス、早速俺の質問に答えてもらってもいいか?」
ハンスはアレクを見返してはい、と返事をした。
「…ゾフィーは元気か?」
最初の質問はとてもシンプルだった。ハンスはアレクが自分に会ってから最も聞きたかった質問がこれであったことを察した。
「はい、元気です。今はクルトおじさんのところにいるはずです。」
「…いるはず? 義父のヨーゼフ氏じゃなくクルト・フェルマン氏の家に?」
「はい。俺たちはトゥラディアのチャンピオンシップに出場した日にアルデバランに拉致されて以降、一度電話で話しただけでこれまで会っていません。ただ、ゾフィーが元気なことは確かです。そのあと俺がクルトおじさんに会ったときに、ゾフィーのことを引き取ってもらうよう頼みました。義父のヨーゼフには、訳あってゾフィーのことを託せるような状況ではなかったので…。」
ハンスがアレクに説明すると、すぐにルカが文句を言った。
「ちょっと、私には全然話が分からないんだけど!さっき自分のことを全て話すって言ったんだから、ちゃんと私にもわかるように話してよ。私のことは子供の頃のことから全部アレクに聞いたんでしょ?」
「ごめん、そうだよな。俺のことも一からちゃんと話すよ。」
ハンスが素直に謝ると、アレクがそれをフォローした。
「ルカ、ごめんな。俺が一番したかった質問を先にしてしまった。ハンス、悪いがルカも分かるようにお前のことを話してやってくれ。」
ハンスは二人に向かって自分のことを生い立ちから全て話した。
母は一歳下の妹のゾフィーを産んだあとすぐに亡くなり、軍人だった父は6年前に起こった空軍基地の爆発事故で亡くなった。
その後自分とゾフィーは父の兄であったヨーゼフに引き取られ、共にアトリアにある航空学校に進学した。自分はずっと父に憧れて軍のパイロットになることを目指していて、6日前に行われたトゥラディアのチャンピオンシップにゾフィーと共に学校の代表パイロットとして出場した。
それはラスキア空軍のパイロット試験も兼ねていて、自分とゾフィーは試験に合格してパイロットの内定をもらった。
「アトリアで毎年行われてるトゥラディアのチャンピオンシップって、タレズでの客の会話で聞いたことがあるわ。世界的に有名なレースでしょ?…あんた、それに出場したの!?」
ハンスが頷くと、ルカはかなり驚いた様子でハンスを見た。
「すごい意外!あんたってけっこうな有名人だったのね!ただのぼーっとした坊ちゃんかと思ってたわ。」
「…ルカ、今は黙ってハンスの話を聞こう。質問はそのあとだな。」
アレクが柔らかく注意すると、ルカは言われた通りにした。再開を促されたハンスは再び淡々と話を続けた。
チャンピオンシップでレースが終わったあと、表彰式の会場でテロ事件が発生した。その混乱の中で自分とゾフィーはアルデバランに拉致され、そこでゾフィーとはバラバラになったが、ゾフィーはその後無事友人の家に返された。
自分はアルデバランから父が反政府組織のリーダーとしてアトリアの独立を目指していたことを告げられ、さらにそれが原因で自分やゾフィーがパイロットになったとしても軍に殺されるだけだと知らされた。
そのことに納得出来なかった自分は父がなぜ反政府組織に加担したのかという理由を聞くため、アレクに会うべく本土に行くことを決意した。アルデバランからはもし自分が組織に入ればアレクに引き会わせると言われていたが、自分には父の真相を聞く前にその決断をすることはできなかったため、自分の機体でアトリアから本土に飛んだ。
「まさか、レース用の機体で本土に飛んだのか!?そんなことをすれば即本土の治安維持部隊に撃墜されるだろう!お前が死を覚悟して来たと言ってたのはこのためか…」
「はい…、軽率でした。その通り軍の戦闘機に追われて撃墜されそうになったところをアルデバランの航空部隊に救けられ、ここまで連れてこられました。ただ…、正直自分にはそれ以外の選択肢が無かったんです。父が死んだ後自分を突き動かしていたものを突如失い、それでも自分の手で前に進むためには−」
「だとしても死んだら全て終わりだ!そういう向こう見ずなところもフランツに似てしまったんだな…。あいつのそういった部分にもよく苦労させられた。周囲がどれだけ止めても決して自分が決めたことを曲げなかったからな。」
ルカは自分とは形が違うけれど大きなショックを受けたハンスが死を覚悟してここへ来たということを聞いて、なぜか自分と少し似ているかもしれないと思った。
必死に生きたいと思った自分とは一見正反対のようだけれど、何とかして自分の手で前に進みたいと模索したその姿は、スラムで彷徨っていたときの自分とどこか重なる部分があるように思えた。
「じゃあその腕は、軍の戦闘機に攻撃されたときに受けた傷なの?」
ルカは自分と似ていると感じたことをハンスに言う気にはなれず、何となく別の質問をして誤魔化した。
「いや、これは…元々は俺が義兄から受けた傷だ。義父がゾフィーの政略結婚を企てていて、それを阻止しようとした俺と義兄がもめたときに右腕をやられた。その後レースや本土に渡ったときに酷使したおかげでさらに悪化してたんだ。」
ルカは家族であるはずの義父や義兄がハンスたち兄妹の敵であったことを悟った。
確かにハンスは自分とはかけ離れた世界で生きてきたように思えたが、そういう生活をしていたとしても必ずしも幸せだとは言えないことを初めて知った。
むしろいくら貧しくても大好きな家族と仲良く暮らせていた頃の自分の方がよほど幸せだったかもしれないとも思えた。
「…ふーん。金持ちでも大変なことはあるのね。」
そんな気持ちを隠すように、ルカはむしろ素っ気なく言った。
「当たり前だ。人の幸せは金や権力だけで推し測れるものじゃない。…ハンス、大変だったな。やはり君は少し休んだ方がいい。」
アレクは改めてハンスの目を見て続けた。
「君は自分は周りが見えていないと言ったな。そう思うなら、一度立ち止まって世界を確認することは君にとって必要なことだ。焦る気持ちがあるかもしれないが、その行為は次の一歩を踏み出すための燃料になる。父親の真相を知ること以外にも、君には知らなければならないことがたくさんあるように俺は思う。燃料を十分に溜め込むためには、まずは世の中のあらゆる知識や情報を手に入れることだ。…ただし、くれぐれも無理はするなよ。怪我の完治が遅れるだけだからな。」
アレクの言葉はハンスに前を向かせた。立ち止まることに焦燥感を覚えていたが、その間でも自分が進むべき道を探すための準備をすることができるということをアレクに教えられた気がした。
ハンスがアレクの目を見てはっきりと頷くと、アレクは微笑んだ。ハンスはすぐに自分に足りない知識や情報を手に入れる方法について考え始めた。




