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群青、君が見た空の軌跡  作者: 乃上 白
第一章
68/190

68話 夕暮れの畑で

 アレクが話し終えたときには、すでに日が傾き始めていた。

 ハンスはルカが自ら家族の遺体を埋葬したことを聞いて、その壮絶な状況にどうしようもなく胸を痛めた。もし自分の父親やゾフィーが…と考えると、それを想像することもできなかった。


「ルカはとても賢い子だ。宿の人間に見つかることを恐れていたルカをそのままタレズに居させることはできなかったから、俺はすぐにでもカザンを離れようと思った。二人で暮らすなら知った土地の方が良いと考えて、俺はルカにラスキアに渡ることを提案した。するとルカはすぐにそれを受け入れ、俺たちは早々にラスキアへ移った。 …ルカは家族と過ごした思い出のある故郷を離れて異国にやってきてからも、一言も泣き言を言わなかった。それどころか俺が教えるラスキア語をすぐに覚え、文字書きの方もあっという間に習得した。その賢さに加えて、最初はほとんど口を開こうとせず笑うことなど一切なかったルカが、こっちの生活に慣れるにつれて少しずつ元の自分を取り戻していく様子に、あの子の心の強さを改めて感じた。的確に状況を判断できる賢さと、とても強い心を持っている−、そんなところも君によく似ているように思う。」


「俺は…とてもルカのように賢くも強くもありません。自分のことばかり考えて周りが見えてない。…アトリアからここへ渡るとき、自分はもう死んでもいいという投げやりな気持ちで来たんです。アルデバランの助けがなければ確実に死んでいた。家族を全員失ってもなお懸命に生きようとしたルカとは比べようになりません。」

 ハンスは自分の本心をそのままアレクに伝えた。アレクはそんなハンスに対してふっと笑って言った。

「君が自分のことばかり考えていたら、ルカのことをそんな風には思えないだろう。君は目的のために盲目的に突っ走るところもあれば、一方でそんな自分や周囲の状況を冷静に分析できる目も持っている。突っ走ることができるのは、君が本来持っている心の強さと勇気でもってなせることだ。それを恥じることはない。…フランツもそうだった。」

 

 ハンスはアレクの言葉をそのまま受け入れることはできなかった。自分のことを認めることができず、壮絶な過去を背負って生きるルカのことを想った。

「…そろそろ日が暮れるな。ハンス、ルカを迎えに行ってくれるか。俺から君への質問は後ですることにしよう。少なくともこれから一ヶ月は一緒に暮らすんだ、ルカにも君のことを知ってもらいたいからね。」

 ハンスが頷くと、アレクはルカが居る畑までの道をハンスに教え、自分は薪を割るために家の裏手にある小屋の方へと歩いて行った。



 暗くなり始めた森を抜けて夕日に照らされた畑に辿り着くと、ルカは少し先の畑と森との境のあたりで、収穫した野菜を入れた籠を隣に置いて座り込んでいた。よく見ると、ルカは手のひらに乗せた小さなリスに木の実をあげて微笑んでいた。

 ハンスは初めてルカの笑顔を見た。それは普通の15歳の少女の美しい横顔だった。


「…なに黙って突っ立ってるのよ。その腕じゃ手伝えもしないくせに何しに来たの?」

 ハンスに気づいたルカが口を開いた。先ほどの笑顔と正反対の口の悪さに、ハンスは再び大きなギャップを感じながら答えた。

「もう日が暮れるから迎えに来た。一緒に帰ろう。」

 答えを聞いてもハンスの方を見ようともせず、ルカはリスから目を離さずにつぶやいた。

「…全部聞いたの?」

 核心を突かれて、ハンスは一瞬迷いつつも正直に「…うん。」とだけ答えた。

「そう。あんたみたいに恵まれた生活をしてきた人間には理解できない話だったでしょ。」

 ルカは手のひらのリスを森の方へ逃して立ち上がった。


「…俺が恵まれた生活をしてたなんて、なんで分かるんだよ。俺のことなんてまだほとんど知らないだろ。」

「そんなのすぐ分かるわ!時計なんてなくても、あんたの言葉遣いや食事のマナーを見てたらね。私とはほど遠いような世界で暮らしてきたんでしょ。」

 ルカはそばに置いてあった野菜を入れた籠を持ち上げて運ぼうとした。ハンスはそんなルカに歩み寄った。

「手伝うよ。」

「いいわよ!言っておくけど、同情なんてしないでよね!私みたいな境遇の子供はカザンには山ほど居る。カザン以外にだって世界中のどこにでも居るに決まってるわ!私はアレクに出会えただけすごく幸せなのよ。あんたみたいに何も知らないような奴に…可哀想だなんて思われたくない!」

「可哀想だなんて思ってない。俺がルカの過去の話を聞いて思ったのは…、お前がすごく強い人間だってことだ。」

「何よそれ…。私はただ生きたかっただけよ。家族も住む場所も何もかも失っても、出会ってたったの半年だったアレクを頼ってまで、私は生きたかったの。…図々しいにも程があるわ。でもあのときはただ自分のことしか考えられなくて必死だった−」


 そこまで言ってつい涙が出そうになった自分に気づき、ルカは慌ててハンスから顔を背けた。

「私、なんであんたにこんなこと言ってるんだろ…。突然現れた何も知らない人間に。」

「俺のことはこれから話す。…家に帰ろう。アレクとお前にこれまでのことを全て話すよ。」

 ハンスは左手で籠の片方を持った。ルカは何も言わず、黙って歩き出した。ハンスに対して若干取り乱してしまったことを後悔しているようだった。



 家に着くとアレクが二人を迎えてくれた。野菜が入った籠を受け取ると、今日はルカが夕飯をつくる当番だな、とアレクが言った。ルカは黙って頷くとキッチンへ向かった。

 続いてアレクはハンスに対し、君に見せたいものがある、と言って玄関から続く廊下の先の奥の部屋に連れて行った。

 扉を開けるとそこには意外にも天井が高く広めの空間が広がっていた。ただ、床には大量の本が乱雑に積み上げられている。壁一面には天井まで続く本棚が設置されているが、本棚にきちんと並べられている本はわずかで、他は床から腰のあたりの高さまで大量の本が平積みされていたり、容積以上の本を木箱に押し込もうとして溢れ出したりしていた。


「この家は昔俺の祖父が夏の間の別荘として使っていたものなんだ。この部屋は本好きだった祖父の趣味の部屋で、子供の頃から遊びに来るたびに俺はよくここに篭ってた。祖父はかなり変わった人で、仕事に熱心な割に普段はだらしなくてのんびりした人だったんだ。俺はそういうところが大好きだったがね。この部屋を見たらよくわかるだろ。」

 ハンスは頷いた。変わった人と聞いてすぐにクルトを思い浮かべたが、クルトは趣味の模型なんかはかなりきっちり陳列させていたな、などということを思い出した。


「その腕じゃあ農作業や家事なんかは難しいだろ?でも、ここじゃあそれぞれ何かしらの仕事をすることがルールなんだ。だから、ハンスにはこの部屋の本の整理を頼みたい。…この中には素晴らしい内容の本が沢山ある。怪我が治るまでに整理さえできれば、思う存分読んでもいいぞ。…頼んでもいいか?」

「はい。」

「じゃあ早速頼む。ルカがつくってる夕飯ができたら呼ぶからな。」

 言いながらアレクは部屋を出ていった。ハンスはどこから手をつけるか迷いつつ、何となく近くにあった本を掴んだ。

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