65話 すれ違い
アルデバランでの話し合いを経て様々な条件を整えたアレクは、約4ヶ月後にカザンへと戻った。
謁見のための条件がある程度揃ったとはいえ、その場まで辿り着いた後はアルデバラン側として譲れない条件を王に飲み込ませる必要がある。アレクは自らの命を賭ける覚悟を持って再びカザンの地を踏んだ。
一方で、もちろんルカとの約束も覚えていた。ルカと再会できることを期待しつつ、アレクは足早に以前滞在したタラズの宿へと向かった。
ところがそこにはルカは居なかった。宿の主人に尋ねると、ルカはつい10日ほど前のカザンの年末年始のにあたるハリラヤクと呼ばれる祝祭日期間に与えた5日ほどの休みを利用して地方にある実家に帰ったが、その後戻って来ていないという。
主人はアレクに対して正直あんたを疑っていた、と言った。アレクだけにはルカが随分懐いていたようだったから、実家に帰った機会を利用してアレクがルカを連れ去ったのではないかと考えたのだ。
アレクが宿に戻って来てルカの行方を聞いたことで疑いが晴れた主人は、逆にアレクに相応の金を払うからルカを連れ戻しに行ってもらえないかと持ちかけた。あんたが戻って来たと知ったらルカも帰ってくるかもしれない、と主人は話した。
だがアレクはその申し出を即時に断った。家の事情が変わってルカが出稼ぎに出なくても良くなったのかもしれない。大好きな家族と過ごせるのであれば、ルカにとってそれ以上に幸せなことはない。
アレクはアトリアから持ち帰った条件を提示することで、ついに一ヶ月後、王との謁見を許された。
王との直接交渉により、アレクはカザンがアトリア独立のためにアルデバランへ十分な武器や資金を提供することを約束させた。そのうえさらに大きな成果と言えるのは、独立後のアトリアに対する不可侵条約の締結である。
カザンの支援により独立を成功させたとしても、その後カザンがアトリアに圧力をかけてくるようなことがあれば、それはただラスキアがカザンに成り代わっただけになってしまう。それを避けるためには、協力を要請する時点で独立後のアトリアとカザンの関係を明白にしておかなければならない。
アルデバランはアトリアが持つ石油資源の独占取引、そしてアトリアが誇る世界最先端の航空機−、殊に戦闘機における製造技術の独占提供を前提として、カザンが独立後のアトリアに対して国と国との対等な関係を築くことを条約に盛り込んだ。
カザンにとっては、アルデバランが提示した条件は正直かなり魅力的なものだった。
カザンは隣の大国であるロティタギルと歴史的に仲が悪く、これまで何度も衝突を繰り返していた。近年でもその関係は続いていたが、カザンはようやく手にした大きな経済的発展によって蓄えた資金を背景に、ついにロティタギルとの全面戦争に踏み切る準備をしていたのだ。
ただ、それには二つの大きな問題があった。一つは資源の問題である。
カザンは広大な国土を持つが、残念ながら天然資源の埋蔵量はごくわずかで、そのほとんどを輸入に頼っていた。石油資源の権益は産出地域を抱える国が持っているため、いくら金を積んだとしてもその国に提供を拒否されればどうにもならない。
世界随一の石油埋蔵量を持つアトリアを抱えるラスキア共和国は、著しい経済成長を遂げたカザンの影響力拡大を危惧して石油の輸出量を制限していた。それは他の石油産出国も同じである。
もう一つの問題は、武器や兵器を製造するための技術力の不足である。カザンは長く鎖国状態だったため、そういった技術の発展が他の国に比べて10年近く遅れていた。戦闘機の発達によって戦争の主戦場が陸や海から空へと移った現代では、ミサイルや航空機を製造する技術の確保は戦争の当事者となる国にとっては戦況を左右する重要な要素となっている。
アルデバランが提示した条件はカザンにとってそれら二つの問題を見事に解決するものだった。だが常識で考えれば、ただのいち反政府組織に対して大国であるカザンがまだできてもいない国との対等な条約を結ぶなどあり得ないことであった。
それを実現させたのは、アレクの巧みな根回しと交渉技術も去ることながら、周到に用意されたそのタイミングである。
カザンの敵国であるロティタギルは、カザンの経済発展の成功を目の前にして、同じような施策を展開することで自国の経済をより発展させることに躍起になっていた。地理的条件や文化の違いなどからしてカザンと全く同じようにはいかなかったが、それでもある程度の成果を出し始めていた。
もしロティタギルも同じように発展すれば、石油産出地域を持っているという点でカザンより有利になる可能性がある。カザンは何としてもロティタギルがより力をつける前に圧倒的な武力でそれを叩く必要があった。
アルデバランは各国に派遣している工作員からの情報によりその状況を詳しく把握し、いち早くカザンに協力要請を出して先の二つの魅力的な条件を提示したのだ。
もちろんカザンにとって最も理想的な形はアトリアを完全に支配下に置くことだが、もし対等という条件を拒否したとすれば、今度はアルデバランがロティタギルにこの話を持っていくかもしれない。そうなればカザンは一気に窮地に立たされることになる。
そういった様々な利害が一致する形で、双方にとって利益のある条約が無事締結された。
この密約は強力なリーダーを失った直後のアルデバランにとって、組織を存続させ、引き続き当初の目的へと前進していくための大きな光となった。
条約が無事締結されたことを本部に報告すると、アレクはこれからの自分自身について考えた。
すでに自分のやるべきことは果たしたとアレクは考えていた。フランツが死んだことでアトリア内の反政府組織の統一は失われたが、カザンの協力があれば少なくとも武力や資金面でラスキアとの独立戦争への勝算は立つ。
問題は戦争中に反政府組織同士が対立することで戦況に大きな影響が出たり、戦後にアトリア内の権益を巡って内紛へと発展することだが、フランツの死後に反政府組織の離反を止められなかった自分では、その問題を解決することは難しいと考えていた。
そして何より、やはりフランツを失ったことがアレクの中で大きすぎた。自分の情熱の半分はフランツによって支えられていたことを、アレクは失って改めて知った。
それでも残された仲間に希望を残すため、自分のできる限りのことは全てやった。これからはアルデバランと少し距離を置いて、自分の生き方を考え直す時間が欲しかった。
やはりこのままカザンに留まるのもいいかもしれない、などと思いながらタラズの街を歩いているとき、ふとルカのことを思い出した。
大きな仕事を終え、ようやく落ち着いて自分のことを考えられるようになった今、このカザンでルカと過ごしたあの穏やかな時間を懐かしく思った。
…今頃は家族と幸せに過ごしているだろうか。ルカの口の悪さを思い出してふと笑いがこみ上げたとき、ふと顔わ上げたアレクは驚くべきものを目にした。
いつの間にかアトリアで言う貧困街のような荒廃した地域に足を踏み入れたが、銃弾の跡の残る荒れた建物の手間の路地の影に、ルカに似た少女が通りを眺めるようにして佇んでいるのに気づいたのだ。




