56話 答えのない問い
ハンスを誘導した機体は少し遅れてゆっくりと海岸に着陸した。
完全に機体が停止すると、黒い機体のパイロットはすぐさまキャノピーを開け、慣れた様子で海岸に降り立った。
一方ハンスは操縦席に突っ伏したままだった。
「おーい生きてるかー?」
操縦席の窓を叩くコンコンという音と共にのんびりとした声が聞こえた。
ハンスはゆっくりと顔をあげた。キャノピーを開けるよう促され、左手で何とかそれを開けた。
「ギリギリセーフだったな。いや機体的にはアウトか?…どちらにせよ随分と無茶をする奴だ。お前がハンス・リーデンベルクか。」
男はまるで面白がっているかのように、笑みをたたえながらそう言った。
ハンスは自分の名前が出たことに反応しつつも、まだ無事着陸できたことが信じられないような気持ちでつぶやいた。
「敵機は…?」
「ん?ああ、心配するな。一機はすでに撃墜した。他も仲間が追ってる。できる限り本土から離れたところで仕留める予定だ。偵察機も含めてな。」
「偵察機も…?」
「そうだ。お前の機体を見られたからな。航空学校の機体とバレればすぐにお前に行き着く。軍に伝わったらまずいだろ。」
男は自分の胸ポケットからタバコの箱を取り出した。中から一本を指に挟んで口にくわえると、デザインが施された銀色のライターで火をつけた。
さらにハンスに向かって箱を差し出し「吸うか?」と尋ねたが、ハンスは黙って首を振った。男はぼうっとした様子のハンスを見ながら続けた。
「なんだ、もしかしてショックなのか?殺らなきゃ殺られる、当たり前だろ。俺らが殺らなきゃお前は確実に死んでた。」
当たり前のように言いながら、男はゆっくりとタバコの煙を吐いた。
ハンスとしてももちろんそれは分かっていたが、すぐには整理できなかった。自分にハンドシグナルを送ってきた偵察機のパイロットのことを思い浮かべた。
「…あなたは誰ですか?」
ハンスが尋ねると、男は思い出したようにハンスの方に向き直った。
「ああ、自己紹介がまだだったな。俺はカルロスだ。カルロス・グラナドス。アルデバランの航空部隊を指揮してる。」
余裕のある笑顔を浮かべた男の顔を、ハンスは改めて見た。金髪で背が高く、比較的整った顔をしている。年齢は30〜40代くらいだろうか。ハンスは最初に自分の名前が出たことでこの男がアルデバランのメンバーである可能性はすでに予期していたが、実際にそう聞くとやはり訝しく思った。
「…アルデバランはなぜ自分が本土に飛んだことを知ったんですか?」
「さぁな。俺たちはアトリアの本部からの指示でお前を迎えに来ただけだ。本土の手前で誘導するように言われたが既に遅かった。だからお前が敵機と少し離れた瞬間を狙って攻撃を開始したんだ。機体は救えなかったがお前はギリギリ助かった。たまたま着陸可能な島の近くに来たのもかなり運が良かったな。」
再びのんびりと煙を吐くと、カルロスはポケットから携帯灰皿のようなものを出してタバコを押し付けて仕舞った。ハンスが何となくそれを見ているとカルロスはふと笑った。
「吸い殻をそこら辺に捨てる奴は嫌いなんだ。ましてやこの美しいビーチにそれは無いだろ。今度はお前みたいなガキじゃなくて美女と来たいもんだ。」
ハンスの反応を待つ前に、遠くからヘリのような音がこちらに近づいて来ているのに気づいた。
「お、早速迎えが来たな。続きはまずここを離れてからだ。これ以上軍に勘付かれるとまずい。お前はあのヘリに乗って本土まで行け。」
「でも俺は−」
「お前が俺たちに従いたくないのは分かってる。だがここから本土まで行く方法は他に無い。とりあえず一旦本土に上陸して、その後のことは自分で考えたらいい。」
ラスキアの獅子の刻印がついたヘリが海岸に到着すると、カルロスは半ば強引にハンスをヘリまで連れて行った。
「無謀なことをしたお前が死ななかったのは紛れもなく俺たちのおかげだ。本土に行くまでは一旦言うことを聞けよ。」
強引な理由で無理やりハンスをヘリに押し込んで他の隊員に引き渡すと、カルロスは自分の機体に戻っていった。
ハンスはヘリに乗っている間何を聞かれてもずっと黙っていた。ただ撃墜されたという自分を追った軍の機体について考えていた。
殺らなければ殺られる、というのは真実だが、ハンスは自分が殺される覚悟はできていたが殺す覚悟はできていなかったことに改めて気づいた。自分の機体は武器など一切搭載していないため、もし追われたとしても相手が自分で事故等を引き起こさない限り死ぬということが頭になかったのだ。
ただ振り切って逃げればいいと思っていた。だがそもそもそれにも無理があった。アルデバランに助けられ、相手を殺さなければ確実に死んでいた。
ハンスは今更ながらに自分のしたことがあまりに無謀だったことを思い知った。
父の思いを知るため自分の手で前に進もうと思ったのは確かだし、それが可能だと本気で思っていたが、どこかで自分はもう死んでもいいという思いもあったのかもしれない。
あの3機のパイロットを殺したのはアルデバランだが、その原因をつくったのは紛れもなく自分だ。ハンスはそのことをどう受け止めればいいのか分からなかった。
そのときふとアルデバランでドレイクという男が言ったセリフを思い出した。
”自分の周りの平和な世界から一歩も出たことがないくせに、戦闘機に乗って人を撃つことができるのか?”
もし自分が軍に入っていたらどうなっていただろう。
クラースという男が言った通り、軍で教育されることによって上官の命令に盲目的に従うようになるんだろうか?
それとも必然的に殺人を経験することで感覚が麻痺していくんだろうか?
どちらも今の自分には想像できないけれど。…父さんはどうだったんだろう。
ハンスは父親のもう一つの顔を知ってから、父が何か得体の知れない人物に変わってしまったように感じていた。今の自分には父親の気持ちを想像することは到底できなかった。
ヘリの窓から初夏に差し掛かった美しい空と海を眺めながら、ハンスは答えの出ない問いに対する回答を、見えない未来の中で自問していた。




