50話 ハンスの行方
あの電話から4日経っても、ハンスは帰って来なかった。クリスは仕方なく学校に行こうと、沈んだ気持ちを抱えながら制服に着替えた。
ハンスから電話があった翌日、クルトがクリスの家を訪ねてきた。クルトは前日の夜中にハンスに会ったと告げ、ゾフィーを引き取ると言った。
クリスはなぜハンスとゾフィーがパイロットを辞退しなければならないのか、その理由を聞くことはできなかった。ゾフィーもそれだけは頑なに言わなかった。ただ自分たちはパイロットになることはない、ハンスもそれを受け入れると思う、とだけ言った。
クリスはハンスが自らパイロットを辞退することなど到底考えられなかったが、事実ハンスは姿を消し、学校からパイロット試験に合格して採用が内定した旨の通知が出てもそれに応える者は誰も居なかった。
ゾフィーは一度考えさせて欲しいと学校側に伝えたようだった。学校側も一時的にハンスの行方が分からなくなった状態でゾフィーに重大な決断を迫るのは酷だと思ったのか、軍への返答を先送りすることに決めた。軍側もあの事件への対応で今はこのことに時間を割く余裕はないらしく、採用の件は未だ宙に浮いた状態になっている。
クリスはクルトがハンスに会ったと聞いて、真っ先にハンスのその後の行方を尋ねたが、クルトはただ首を横に振った。
今のあいつには時間が必要だから、そっとしておく以外に方法はない。あいつを無理やり留めようとしても無駄なことはクリスもよくわかっているだろう、とクルトは言った。
クリスももちろんそれはよく分かっていたが、なぜハンスが行方を眩ましたのかという理由については、ゾフィーと同じくクルトの口からも決して伝えられることはなかった。
クリスは自分の無力さを痛感していた。ハンスとゾフィーの二人が揃ってパイロットを辞退しなければならないということは、二人の出自が関係しているとしか考えられなかった。軍のエースパイロットだった二人の父親が何かしらの鍵を握っているだろうということも察していた。ただそれ以上のことを想像するのは不可能だった。
自分はあくまで他人であり、二人の家族でも何でもない。その現実を突き付られ、何もできない自分にただ悔しさを噛み締めていた。
学校へ行く準備をして家を出る。授業を受けるような気にはならないが、チームクルーのみんなから何度も電話が掛かって来ていた。もし丸3日経ってもハンスが帰ってこなければ必ず一度学校に出て全部説明するからと、みんなに告げて無理やり納得させていた。
でもその前に一度基地に寄って、昨日の夕方にようやくアンサンクトナディアから戻って来た機体を確認しようと思った。もしかしたらハンスが基地に立ち寄るかもしれない。基地にハンスが来た形跡が無いことは他のみんなが何度も確認しているため可能性は低いが、それでも捜さずには居られなかった。
一人で家の門を出て基地の方向へと足を向けると、庭を囲んでいる塀の端のところで一人の男が壁に背をつけて立っていた。
一瞬ハンスかと思って慌てて駆け出したが、そこに居たのはヴィルだった。
「ヴィル…!? …こんなところで何してる?」
クリスは驚いて声をかけた。ヴィルは明らかに自分を待っていたようだった。
「…あいつはどうしてる。」
ヴィルはそれだけ言ってクリスを見た。クリスはヴィルがハンスについて何か知っていることを察した。
「ハンスならあの事件の後から一度も帰って来てない。お前は何か知ってるのか!?」
クリスが焦って尋くと、ヴィルは言葉少なげに続けた。
「…レースの翌日の夜にあいつに会った。俺が育った貧困街でだ。」
翌日の夜ということはハンスから電話があってからそんなに時間が経ってない。でもなんで−
「なんであいつが貧困街に!?あいつの様子はどうだった?何か言ってたか?」
クリスは何でもいいから手がかりが欲しくて必死だった。
「…俺が見かけたときには、あいつは貧困街の連中に殴られてた。なぜあいつがあそこに居たのかはわからない。俺はそいつらを止めてハンスと少し話しをしたが、あいつ…自分はパイロットにはならないと言いやがった。」
その言葉がハンスの口から出たという事実に、クリスはやはり信じられないような気持ちになった。
「ハンスはその理由をお前に言ったか…?」
「理由は言わなかった。俺が問い詰めても、全て諦めたようにもういいんだとだけ言っていた。…あいつに何があったのか、お前も知らないのか?あいつ、まるで死んだような目をしてたぞ。いつものあいつからは考えられないような、生気を失った目だった。」
クリスはハンスがそんな状態のときに側にいられなかったことを心から悔やんだ。
「俺も何があったか知らないんだ…。今ハンスがどこに居るのかもわからない。ごめんな。ハンスのことを心配してわざわざ来てくれたのに、何も教えてやれなくて。」
「…俺はあいつが俺との賭けに勝ったくせにパイロットにならないなんて言うから、納得が行かなかっただけだ。殴ってやろうとしたが、別人みたいなあいつを見たらその気も失せた。あいつに会ったら今度こそ俺が殴ってやると伝えてくれ。」
踵を返したヴィルの背中に、クリスは弱々しく声を掛けた。
「ヴィル、ありがとう。…ハンスに会ったら必ず伝えるよ。」
ヴィルは何も返さなかった。クリスは無力な自分を呪いながら、ヴィルとは逆方向の基地への道へと足を向けた。




