43話 反政府組織
ハンスは港近くの公園で沢山の人々と共に晴天の青空を見上げていた。
明るく騒がしい空気が満ちる中、人々はより空を見渡せる場所を探してそわそわと歩き周ったり、芝生の上に敷物を敷いて酒を飲んだり、はしゃぎ回る子供を叱ったりしていた。
皆がこれから始まるショーへの期待に胸を膨らませているようだった。
すると、突然一機の飛行機が海の彼方からまっすぐこちらに向かってきた。気付いた人々は途端に歓声をあげた。
その機体はハンスのはるか上を通り過ぎると、後方で方向転換して右側から弧を描きながら海の方へ戻って来た。
同時に4機の機体が左側から現れ、真ん中で合流した5機は最初に現れた一機を先頭にデルタ体形を組んで一気に垂直方向に上昇した。
白い煙で垂直の線を描きながらかなり上空まで到達すると、次にはぱっと後方の四機が方向転換して扇型に広がった。
先頭の一機だけはそのまま少し上昇した後くるっと美しく宙返りをして、ハンスの方をめがけてまっすぐ飛んできた。
(父さん…!)
ハンスは感動した。同時に興奮が収まらなかった。心臓が飛び出しそうになるのを思わず両手で抑えた。
父の機体が自分の上を通る瞬間、その機体に触れようとして、胸に当てていた手を必死に伸ばした。体が機体の影に包まれて、本当に胴体下部に手が届きそうになったとき、ハンスはぱっと目を開けた。
夢か、とハンスは思った。それでもまだ心臓が大きく音を立てていた。鼓動が収まらず、再び目を瞑って横になったまま今見た夢のことを反芻していた。
ああ、あのときの記憶だ。自分がパイロットになることを決めたあのときのー。
そう思った瞬間、ハンスはバッと起き上がった。いや、正確には起き上がろうとして右手の痛みに悶絶した。
「おい、起きたぞ。」
突然後ろから声がして、ハンスは右手を抑えたままその声の方を見た。すると二人の男が小さなテーブルでチェスに興じていた。
その光景が理解できず、ハンスは起き上がって部屋を見渡した。
「起きたか。随分長く寝込んでたな。」
「あの激しいレースのあとすぐに事件に巻き込まれて、体は限界だったろうからな。あれからちょうど丸一日くらいか。」
そう話してこっちを見たのは、ハンスが居る簡易ベッドより後方にあるテーブルのあたりに立っている二人の男だった。
部屋の一番奥には小さなキッチンのようなものがあり、その手前に少し大きめのテーブルがある。あとはハンスが座っている簡易ベッドと、ベッドの先の部屋の角のあたりには引き続き静かにチェスに興じている二人組が居た。その横には床に座って武器の手入れをしている数人の男たちの姿もある。
部屋はけっこうな広さがあるが、壁や窓を見ると普通の家などではなく建築現場などにあるような簡易的な建物のように思えた。
ハンスは状況を理解しようとしたが、首の後ろにも痛みを感じて頭がガンガンした。すると先ほどの二人の男が近づいて来た。
「おい、立てるか?お前は丸一日以上寝てたんだ。とりあえず起きて水分でも摂れ。」
片方の男がハンスの左腕に手を伸ばした。ハンスは反射的にその手を振り払った。
「ゾフィーは!?」
ハンスが睨むように見上げると、男は眉を上げてハンスを見返した。
するともう一人の男が口を開いた。
「…思い出したのか。ゾフィーはすでに無事お前の仲間の元へ帰した。心配するな。…と言っても、すぐには信じないだろうな。」
ハンスは混乱した頭を必死に整理していた。確かにあのとき、兵士に促されてゾフィーと共に通路の奥に走った。扉を開けたら一人の男が立っていた。
そう、確かに今手を伸ばした目の前のこの男だ。そのあと首の後ろに強い衝撃を受けてー。
「報告通り、生意気そうなガキだ。やはり顔はフランツそっくりだがな。小さいフランツと言ったところか。」
男がそう言った瞬間、そうだ、あのときもこの男が父さんの名前を口にしたんだ、と思い出した。
ハンスが記憶を掘り返していたとき、突然ガラリと部屋のドアが開いて二人の男女が部屋に入って来た。
「ハンス、起きたのか。よかった。」
男性の方が起き上がったハンスを見てすぐに声を掛けた。ハンスは自分の名前を呼んだその男の顔を確認したが、全く見覚えはなかった。
「ハンス君、はじめまして。私はアンネよ。ゾフィーは私が責任を持ってクリス君の家まで送り届けたから安心して。」
女性の方が笑顔で言った。クリスの名前まで出て来て、ハンスはさらに戸惑った。
「…ここはどこですか?軍の治安維持部隊の基地ですか?」
誰にともなくそう訊くと、後から入って来た男が少し屈んで自分と目線を合わせてから答えた。
「ここは反政府組織アルデバランの仮の基地のうちの一つだ。何も知らない君を突然連れて来てすまなかった。全て説明したら、君もゾフィーと同じように必ず無事に送り届ける。まずはそこのイスに掛けてくれ。」
反政府組織、という自分からかけ離れた世界の単語を出されてますます訳が分からなかったが、とにかく説明を聞かなければ何も始まらない。ハンスは警戒心を解かないまま、ゆっくりとベッドから足を下ろして立ち上がった。
ダイニングテーブルのイスの一つに座るよう促され、ハンスは黙ってその席に座った。男はハンスの向かいに座り、女性はキッチンに向かった。最初に声を掛けて来た二人の男はテーブルの周りの壁やキッチンの棚にそれぞれ背をつけて立っていた。
「さて、改めて自己紹介をしよう。俺は現在のアルデバランのリーダーのエラルドだ。こっちはドレイク、銃を持っているのはクラースだ。」
エラルドと名乗る男が紹介した二人について、ハンスははっきりと思い出した。ドレイクはあの扉の向こうに立っていた男で、クラースは声からして恐らくあの兵士に扮していた人物に違いない。
そう情報を整理していると、先ほどの女性がハンスの前にスープのようなものを差し出した。
「食べて。随分何も口にしてないでしょう。少しでも栄養を補給しないと体が回復しないわよ。」
空腹かどうかなど考える余裕もなく、ハンスは全く食べる気にならなかった。
「いりません。この状況を説明してください。ゾフィーは本当に無事なんですか?」
ハンスが知りたいことはただそれだけだった。エラルドは自分を睨むようなハンスの顔を、柔らかい表情で見返した。
「…ほんとにフランツにそっくりだな。そういう強情なところも。…いや、フランツはもう少し柔軟だったか。気持ちの強さのようなものは共通しているが。そして俺たちを本当にうまくまとめてくれた。」
ハンスはすぐにその言葉を理解しようとした。まとめてくれた…?父さんが、この組織を?…俺とゾフィーが拉致された原因はそれか?まさか…。だとしても何で今さら…
いや、それよりも今知りたいのは本当にゾフィーが無事に帰されたのかどうかだ。
ハンスのそんな気持ちを汲み取ったのか、エラルドが続けて口を開いた。
「ゾフィーなら、さっきアンネが言った通り昨日のうちにクリス君の家に送り届けた。話をしていたから昨日の夜中にはなってしまったがね。これから君にもその話をしたい。君の今後に関わる重要な話だ。…だがその前に、ここの電話でクリス君の家に掛けると良い。クリス君にも君から連絡が行くからすぐに電話を取れるような状態にしておくように言ってある。」
エラルドがそう言うと、クラースと呼ばれた男が近くにあった電話を掴んでテーブルの上に乗せた。
ハンスは自分の今後に関わる話が何なのか、さらにそれが父やこの組織に関することだとしたら全く検討がつかなかった。ただ今は何よりもゾフィーの無事を確認したい。
頭を整理しつつゆっくりと受話器に手を伸ばし、クリスの家の番号をダイアルする。すると呼び出し音が一度鳴っただけですぐに繋がった。
「…クリス?」
「ハンスか!?よかった、無事か!?今どこに居る!?」
「俺は無事だ、ゾフィーは!?」
「ゾフィーはすぐ隣に居る。ケガも無いし何もされてない。今代わる。」
それを聞いてハンスはようやくほっとした。
「お兄ちゃん!?体は大丈夫!?」
「ゾフィーか、よかった。無事なんだな。俺は大丈夫。」
ハンスはゾフィーの声を聞いて安心した。ゾフィーもハンスの落ち着いた声を聞いてほっとしたが、同時に不安が湧き上がった。
「お兄ちゃん…、何を聞いても、必ず私たちのところに帰って来てね。」
ハンスはその言葉に戸惑った。ゾフィーの含みを持たせた切実な声に、これから何か自分たちに関する重大なことを聞かされる可能性を感じ取った。
「…あたり前だろ。心配するな。…クリスに代わってくれ。」
ゾフィーはまだ兄に念押ししたかったけれど、何と言ったらいいかわからず、ためらいつつもクリスに受話器を渡した。
「ハンス、今何処に居るかわかるか?」
「分からない。…聞いても無駄だろう。クリス、ゾフィーを頼む。話を聞いたら必ず帰る。」
「本当だな…!?約束だぞ!ゾフィーとここで待ってるから、必ず帰って来い。」
ハンスはクリスと約束すると電話を切った。
受話器を置くと、ハンスはすぐに真っ直ぐエラルドを見た。エラルドもハンスを見返して口を開いた。
「質問したいことは山ほどあるだろうが、まず君に伝えておきたいことがある。」




