17話 妹への思い
「…お兄ちゃんはさ、今度のシスレー社のパーティー行く?」
ゾフィーが唐突に切り出したとき、ハンスは切り分けた白身魚のソテーをフォークでつついているところだった。
「…行くわけねーだろ。パーティーとかめんどくせぇよ。」
「だよね…。」
ゾフィーはテーブルの上にある水差しを手にとり、自分のグラスに水を足した。
「私も行くつもりなかったんだけど、今度のはお養父さんから必ず行くようにって言われて。」
「ふーん。行けばいんじゃないの?クリスとジルベールも行くって言ってたぜ。」
「うん、行くことにしたんだけどね。ついこの前またお養父さんに念を押されて、ちょっと変だなって思って理由を尋ねたら、紹介したい人がいるからって。」
「紹介したい人?お前に…?」
ハンスは一瞬手を止めてゾフィーの方を見た。
「うん…何か嫌な予感がして。マリーに当日の衣装と美容師を手配するように言ってたし。そんなの初めてだったから。」
口の中の食べ物をごくりと飲み込んでから、ハンスは口を開いた。
「…なんだそれ。勝手に婚約者か何かを連れてくるつもりじゃないだろうな。」
「やっぱりそう思うよね…?最近は門限にもすごく厳しくなったし、休日にどこに行ってたか聞かれたりもしたし。なんだか私生活を監視されてるみたいで…。」
ゾフィーはため息をつきながらゆっくりと野菜スープを掬った。
「…政略結婚か。まぁあいつの考えそうなことだな。」
そう言うとハンスは食事の手を止めて腕を組んだが、少し考えてからパッとゾフィーを見た。
「てかお前、彼氏とかいねーのかよ?」
突然出たその言葉に、ゾフィーは驚いて顔を上げた。
「え!?いないよ!…なに?そんなこと聞くなんてらしくない…お兄ちゃんこそいないの!?」
ゾフィーは慌てて聞き返したが、ハンスは平然としたまま水差しからグラスに水を注いでいた。
「俺は今それどころじゃねーよ。お前に彼氏がいたら、婚約者なんて紹介されても困るだろ。パーティーは誰と行くんだよ?」
それを聞いたゾフィーはなんだか少しほっとしたような、複雑な気持ちになった。
「ああ、ダンスのお相手のこと?…ジルベールよ。」
ジルベールの名前が出た瞬間、ハンスは飲んでいた水を吹き出した。
「は!?ジルベールってあの…俺のチームクルーの?」
「そうよ。他にいないでしょ。」
ゾフィーはあっさりと、にべもなく答えた。
「お前…ああいうのがタイプだったのか?」
「もう…。ジルベールの方から誘ってくれたのよ。」
ゾフィーはあきれたように席を立って近くにある窓際の棚の引き出しから布巾を一枚取り、テーブルを拭きだした。
「マジで!?あいつ俺に何も言ってなかったぜ。いつ誘われたんだよ?」
「いちいちお兄ちゃんに許可をもらう必要もないでしょ。この前みんなでクルトおじさんの家で食事したときよ。」
テーブルを拭き終わると、ゾフィーはそのままキッチンへ向かった。
「ジルベールってずっとゾフィーのこと好きだったのか!?全然気づかなかった…。」
ハンスは引き続き驚いた様子で、キッチンのシンクで布巾を洗いだしたゾフィーに向かって中途半端な質問をした。
「もう。ジルベールはまだお相手が決まってないときに、たまたま私がいたから声を掛けてくれたのよ。クリスだってきっとまた何人もと約束してるんでしょ?」
そう言われると確かに、とハンスは思った。パーティーに出席する独身者はダンスのパートナーを伴っての参加が基本だが、必ずしもそれが恋人同士であるとは限らない。相手が決まらない場合は友人などに頼んで当日だけの相手を紹介してもらう場合も多い。
「そうか…。まぁ、もしあいつに婚約者か何かを紹介されても無視しとけばいいだろ。それでも何か言ってくるようだったらすぐ俺に言えよ。」
ハンスはそれだけ言うと席を立った。
「…ありがとう。そうする。」
ゾフィーは嬉しさを隠すように、キッチンにあるタオル掛けに布巾を干した。
「お兄ちゃん、もういいの?」
「うん。マリーにうまかったって言っといて。」
微笑んだハンスはダイニングの玄関側のドアを開いて部屋を出て行った。ゾフィーは上機嫌で自分の食器を片付けた。
ダイニングを出たハンスは玄関を横切りながらさっきの話について考えていた。
養父が用意する婚約者なんて、きっと自分にとって都合がいいかどうかだけで判断してるに決まってる。もしゾフィーが心から気に入ったならそれでもいいのかもしれないが、そうじゃなくて強制的に結婚させるなんてことになれば、何としても阻止しなければならない。
それにしても、ゾフィーがジルベールと…なんて考えてもみなかった。まぁ、ジルベールが本気かどうかも分からないが。
なんとなく、ゾフィーはクリスと一緒になるような気がしてたから。昔から仲が良かったし、正直俺から見てもお似合いだと思う。まぁ…クリスはクリスでふらふらしてるから、もしそうなるとしてもだいぶ先だろうとは思ってたけど。
そんなことを考えながら階段を上り始めたら、突然後ろから呼び止められた。
「ハンスさん…!」
何かと思って振り向くと、見たことないスーツ姿の男性が自分を呼んでいた。一瞬誰だ?と思ったが、そういえばさっき玄関で養父と義兄の他にもう一人、スーツを着た人物がいた気もした。
「こんばんは。お父さんの秘書をやらせて頂いているスミルノフと申します。」
養父の秘書と聞いて、余計に怪しい気がしてハンスは返事するのをためらった。
「急にすみません。少しだけあなたとお話がしたくて…今いいですか?5分もかかりませんから。」
「はぁ…。」
ハンスは訝しがりながら、肯定とも否定とも取れる返事をした。
スミルノフと名乗ったその男は短髪の黒髪で鼻の下とあごに立派な髭を蓄えていた。年齢は20代後半から30代くらいだろうか。いや40歳くらいにも見える。見た目の雰囲気に反したその生き生きとした目が、男の年齢を分からなくさせていた。
「実は妹さんのことでお話があるんです。」
怪しく思いつつも確実に年上である相手に階段上から応答するのは失礼だと思い、ハンスが階段を下りて男の前まで行くと、相手は早速話を切り出した。
「…ゾフィーのこと?」
「ええ。今私はお父さんにある人物を探るように言われています。その人物はラスキア政府内でもかなりの大物政治家の息子なんですが…。」
それを聞いたハンスは改めてスミルノフの目を見直した。もしかしたらさっきの話に繋がるかもしれないと思ったからだ。
「その人物とあなたの妹のゾフィーさんを、今度のシスレー社のパーティーで引き合わせるようにとの指示も頂いています。」
それだ、とハンスは思った。やはり養父はゾフィーを政略結婚の駒にするつもりだ。
「…なぜその話を俺に?」
内容は分かったがなぜ養父の秘書が自分にそんな話をするのか分からず、ハンスは引き続き怪訝な顔でスミルノフを見た。
「いや、私が口を挟むことでは全くないのですが…。その人物の周辺を調べたところ、どうも評判が良くなくて。いや良くないというか…、かなり悪くて。無類の女好きの酒好きで、常に父親の権力を傘にして周りに対する態度もひどいとか…。」
そこまで言って、スミルノフは一旦口を閉じた。ハンスは黙って話を聞いていた。
「そんな相手とお嬢さんを引き合わせるのはどうかと思って、もちろん先生…お父さんにも何度も言いました。その人物の性格や素行も含めて全部です。でも…、先生は全く取り合ってくれません。ラスキア政府の盤石な後ろ盾を手にするためには必要な犠牲だと考えているのでしょう。」
それを聞いてハンスは瞬間的に頭に血が上った。犠牲だと…?そんなものにさせられてたまるか。
「それで、俺にそれを止めて欲しいってことですか?」
ハンスはスミルノフを睨むように言った。
「私の口からは申し上げられませんが…。私の力ではどうにもならないので、せめてあなたにお伝えしたいと思いまして。」
スミルノフの困ったような顔を見て、ハンスは怒りの矛先を間違えたことに気づいた。この人はゾフィーのことを思ってわざわざ俺に伝えてくれたんだ。
「…ありがとうございます。妹のことは俺に任せてください。」
ハンスはそう言ってようやく少し笑顔を見せた。養父の周りにもまともな人がいたということが意外だった。
「よかったです…あなたと話せて。ではこれで失礼します。あまり長く席を外すと先生に怪しまれるので。」
ほっとした顔でそう言ってから、スミルノフは急いで客間に戻って行った。
その背中を見送ってから、ハンスも階段を上って自分の部屋に戻った。
読みかけの本を掴んでベッドに横になりながら、絶対に養父の思い通りにはさせないと思った。




