13話 ヴィルの思い出
「おい、誰だこの工程の担当者は!雑すぎる!やり直せ!!」
上司の怒号が聞こえてきて、近くで作業していた同僚はみな手を止めて声の元に注目した。だがヴィルは気にせず自分の作業を続けた。さっさと今日の分の仕事を終わらせて操縦訓練に入りたかった。
「あいつ、またイライラしてるぜ。あれが作業を遅らせてる原因だってのがわかんねぇのかよ。」
隣で作業しているサイラスが憎々しげに呟いた。それでもヴィルは黙々と作業を続ける。
「どうやったって大して出世もできねーんだから、黙って適当にやってりゃいいのによ。俺らみたいな貧困層は一生かかっても上流階級の奴らには勝てない。ただ奴らに奴隷のように使われて一生を終えるんだからな。」
サイラスは組み立てたパーツをチェックするふりをして適当に転がしていた。ヴィルはそれをちらっと横目で見ながらも引き続き黙っていた。するとサイラスがついにヴィルへと視線を投げかけた。
「ああ、お前は違うよな。軍に入ってパイロットになるんだもんな。トゥラディアでは期待してるぜ。遊びでやってるような学生のお坊ちゃんたちに死んでも負けるなよ!お前は俺らの希望なんだからよ。」
するとヴィルはふっとため息をついてから仕方なくといった様子で口を開いた。
「…うるせー奴だな。さっさと手を動かせよ。」
サイラスは一瞬不満そうな顔をしたが、すぐに諦めたように作業に戻った。
(ただの奴隷だって…?そんなことは分かってる。)
ヴィルは貧困街で生まれ育った自分の生い立ちについて、運が悪かったとは思いこそすれ、不幸だと思ったことはない。自分の人生に不満があるなら、それを変えるために手段を尽くすしかない。だからこそヴィルは、航空学校に行かずとも独学で航空力学を勉強し、あらゆる手を尽くして操縦を学び、会社の代表パイロットに選ばれるまでになった。
(じゃあなんで俺は、こんなにハンスに敵対心を燃やすのか…。)
ふとそう思ったヴィルは初めてハンスに会ったときのことを思い出した。
最初にハンスに出会ったのは14歳で初めてレースに参戦したときだった。
待機場で俺は柄にもなく少し緊張していた。航空機メーカーの駐機場を利用した待機場には、これからレースに出場する機体がその順番を待っていた。緊張を紛らわすためにも自分の機体のコンディションを入念にチェックしていたとき、すぐ近くに駐機している機体のそばで自分と同じくらいの年齢の奴らが集まってわいわいとしゃべっているのに気づいた。何となくその機体に目をやると、セントラルにある航空学校のマークが描かれていた。
アトリアにおいては、俺たち貧困街で育った子供はもちろん、中間層の家庭であっても金銭的に余裕のない家の子供たちは、義務学校から先に進むことは難しい。
割合にすると全体で約6割もの子供が高校などに進学できず、大抵は航空機関連の工場などに就職し、流れ作業をする工員として働いている。給料は最低賃金レベルで、長年働いても家族を養うことさえ難しい。やがて同じ工員同士で結婚し、子供を産み、その子供もまた貧困から同じような人生を辿る。そのサイクルが当たり前のように何十年も続いて来た。
人々は疲弊し、議会に対する不満を漏らす。しかし議会に言ってもどうにもならないことなど皆知っている。
全てはラスキア政府によってコントロールされていて、元敗戦国の国民だった俺たちはそれに従うしかない。従おうとしない者達は何かしらの理由をつけて強制連行される。近年は特にそれが酷くなって、それに反発する者たちによるテロまがいの事件も貧困街で頻発するようになった。
確かに不条理な世の中だが、それでも生きていくしかない。多くの人々は明日の生活のために黙ってひたすら働くしか選択肢はないのだ。
義務学校から先に進学する子供たちの中でも、航空学校に進む者は上流階級の子供達に限られる。航空産業はアトリアの主要産業で、実にアトリア内の約8割の人々が何かしらの形で航空関連の仕事に従事している。だがその大元となる大手数社の幹部となれるのは、航空学校もしくはレベルの高い普通科の高校に進んで大学まで出た、いわゆる限られたエリート達だけだ。
またそういったエリート達の一部が政治家を目指し、形だけの選挙によってアトリア州議会の議員になる。そして自分たちの地位を確立するためにさらにラスキアに擦り寄り、完全にその言いなりとなることで、ラスキアにとって都合の良い政治体制がつくり上げられてきた。
腐敗した政治はそのまま世の中をも腐敗させる。民衆の声は届かなくなり、歪んだ資本主義がさらなる貧富の差を産んだ。
エリートの卵として名高い航空学校の生徒らしいそいつらは、会場でもよく目立つ独特の紺色の制服と制帽を身につけ、集まって楽しそうに話をしていた。
俺は反射的に目を逸らした。自分が育ってきた環境と全く違う世界で生きてきたであろうそいつらの無邪気な笑い声に、無意識に嫌悪感を抱いたのだ。
「それ、君が乗るの?」
突然の声に振り返ると、栗色の髪に明るい茶褐色の目をした比較的小柄な少年が、まっすぐに俺の目を見ていた。
一瞬返事をしそうになったが、そいつが着ていた服を見て口をつぐんだ。制帽こそなかったが、紺色の詰襟に赤い腕章をしたその姿は、まさにさっき見た航空学校の生徒と同じだった。
「メルクシュナイダー社の機体だよね?戦闘機がメインの会社だから見た目もそれっぽいね。ちょっとコックピットの中見てもいい?」
そいつは俺の返事を待つこともなく、ごく自然に話しかけてきた。俺はそれに少し面くらいながらも、会社でも普段から偉そうにしている上流階級の奴らに対する反発心が沸いてきて、素直に応じる気になれなかった。
「…操縦席内は企業秘密だ。てか誰だよお前。俺に話しかけてくるな。」
本当は企業秘密でも何でもないのだが、わざと憮然とした態度でそっけなく言ってやった。怒るかと思ったが、反対にそいつは笑顔になって自己紹介を始めた。
「俺はハンス。ハンス・リーデンベルク。そこの機体のパイロットだよ。」
相手は握手のために手を伸ばして来たが、俺はそれを無視して続けた。
「ふん、航空学校のお坊ちゃんか。気楽なもんだな。」
適当に捨て台詞を吐いて立ち去ろうとすると、今度はハンスの仲間らしい奴らが後ろから文句をつけてきた。
「おい、なんだって? も一回言ってみろよ。」
ハンスに比べるとがっちりとした体型で、いかにも血の気の多そうな目をした少年だった。対して俺は嘲るように笑って言ってやった。
「上流階級のお坊ちゃんが、暇つぶしに参加して楽しそうだな。せいぜい頑張って良い思い出でも作れよ。」
( …まったく、変わらないな。)
そこまで思い返して、ヴィルは自分のセリフが2年前とほとんど変わってないことに自笑した。まったく子供っぽいと自分でも思うのだが、ハンスのあの何も穢れを知らないような真っ直ぐな瞳を見ていると、自分の中身を全てを見透かされているような気がしてなぜか過剰に攻撃的になってしまうのだ。それは今でも変わらない。自分と比べても大して腕っぷしが強そうでもないハンスを相手にして、本能的に自分の身を守ろうとするような、そんな妙な感覚になる。
そうさせる原因が一体何なのかー、それはやはりあの精神力の強さにあるのかもしれない、とヴィルは思った。あのときも、馬鹿にしたセリフを吐いた俺に対してあいつははっきりと反論した。
「暇つぶしだって…?ふざけるな!俺は絶対に空軍パイロットになる!そのためにレースに出てる。」
一転して強い目で俺を睨んで断言したハンスの言葉を、そのときの俺は全く信じてなかった。
「…随分めでたい奴だな。お前みたいな苦労したことない奴だからそんな気楽なことが言えるんだろうな。」
「そっちはどうなんだよ!何のためにパイロットとしてレースに出てる?」
「…お前に言う筋合いもねぇよ。」
真っ直ぐに自分を見ようとするハンスを相手にもせず、俺はその場から立ち去った。
あのときはただ金持ちの息子がたまたまレースに出られたことに舞い上がって、でかいことを言ってるだけだろうと思っていた。実際にあの日のレースで俺はハンスに大差をつけて勝利した。俺はほら見ろ、あの口だけ野郎が…と心の中で馬鹿にしながら、初レースでの自分の成績に満足していた。
ところがその後、ハンスは予想外に急速に成長し、そのわずか半年後にはほとんど俺とタイムが変わらなくなってきていた。その成長は長年のレースファンたちの間でも話題になるほどだった。
ーそうだ、ちょうどその頃に行われた大会でのことだ。ハンスの身に初めての大きな事故がふりかかったのは。




