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群青、君が見た空の軌跡  作者: 乃上 白
第一章
109/190

109話 手紙

 ハンスは驚いてその手紙を確認した。反射的に手に取ると、封筒の表面に流れるように書かれた自分の名前が懐かしい父の筆跡であることを認めた。


「お前がここに来てからずっと、フランツの話をした後に渡そうと思っていたんだが、今日のお前の言葉を聞いて少し迷ってしまってな。

 俺はこの手紙の中身を見てない。だから、これを読んだお前がもしやはり無闇な気持ちでアルデバランに入るような結果になったらと思って躊躇したんだ。

 …だけど、もしかしたら逆かもしれない。お前の求めている答えがこの中にあるかは分からないが、今確かにお前に渡す。」


 ハンスは封筒に書かれた自分の名前をじっと見つめていたが、アレクの話を聞いて顔を上げた。


「これは…いつ父さんから渡されたの?」

「フランツが死ぬ直前だ。お前も知っていると思うが、当時フランツはアトリアのグラフート基地の所属で、一方俺はずっとドルティーナにいた。フランツが事故にあったのは本土北東沿岸からほど近いミンハイム島にあるジルドレイン基地でのことだが、あの事故の前に俺たちは二人ともジルドレインに集められていたんだ。

 俺たちは連絡はしょっ中取っていたが、会うのは半年ぶりくらいだった。俺がフランツに遅れて基地に到着したのはあの事故の前日のことだったが、その日の夜にフランツと会ったとき、突然この手紙を渡されたんだ。

 フランツはすでに予期していたんだ。自分の存在が軍の上層部の一部に知られた可能性があることを。まさか翌日にあんなことになるとはさすがに予測できなかったが…。」

「つまり自分が殺される可能性があることを知っていたっていうこと?」

「今思えばな。手紙を託されたとき、フランツは組織にいる以上いつどうなるかわからないからこの機会に預けておく、もし俺に何かあっていつかハンスがお前の存在に気づくようなことがあったらその時に渡してほしい、と言っていた。」

「…俺にだけ?」

「ああ。きっとお前があまりに自分に似ているから心配だったんだろう。自分の正体やアルデバランの存在に気づいたときにお前がどういう行動に出るか、フランツには分かっていたんだろうな。その上でこの手紙を書いた。中身がどういうものかは分からないが、俺は約束を果たさないといけない。」

 ハンスははやる気持ちを抑えて封筒を開け、手紙を取り出した。それを確認するとアレクは奥のベンチに向かい、書庫から適当に小説を一冊選んで読み出した。

 

 しばらくしてストーリーがひと段落したところでアレクは本を閉じた。そろそろハンスも読み終わった頃かと思いそっと立ち上がったが、入り口の方へ近づいてハンスの姿が目に入った瞬間、ハッと立ち止まった。

 

 手紙を読みながらハンスは涙を流していた。フランツが死んだときにも一切泣かなかったというハンスが、父親からの手紙を読んで初めてその頬を濡らしていたのだ。

 アレクは何も言わずにそっと書庫を出た。そして静かにその場を離れてリビングへと向かった。


 ハンスは自分が泣いていることに気づかなかった。ただひたすら手紙に記された父の字を目で追っていた。



"

ハンスへ


お前がこの手紙を読んでいるということは、俺はもうこの世にいないだろう。

お前たちを残して居なくなってすまない。

だが俺は自分の人生に後悔は無い。アルデバランに入ってアトリアの独立を目指したことは、俺自身の心からの願いによるものだ。


ただ、成長したお前たちを見られなかったことだけは残念に思う。

そのことに思いを馳せるとき、俺は今のお前たちの姿を思い浮かべて、未来の二人を想像する。

その姿はいつでも俺の瞼の裏に眩しく輝いていて、困難に目を閉じたときには必ず希望を与えてくれるんだ。

俺が母さんを失ってもその先を歩んで来られたのは、そうやって光を与えてくれたお前たちのおかげだ。


−ありがとう。俺は母さんやお前たちに会えて、本当に幸せだった。



ハンス、お前は俺によく似てるな。

自分の意思を曲げない強情なところは特にそっくりだ。

だからこそお前が俺のことやアルデバランの存在を知った今、何を考えるかはよくわかる。

初めは俺のことを疑って、どうやっても真実を知ろうとするだろう。

アレクの元に辿り着いたのはそのせいだな。

そしてアレクから俺たちの過去やソフィアやルアンさんについて聞き出せば、お前はきっと−、アルデバランに入ることを考えるだろう。

俺はそれが怖かった。

お前が生来の強い意思の力でもって俺の意思を継ごうとすることが。


ハンス、お前と俺は似ているが、あくまで別々の人間だ。

俺はただお前の人生を大切に、真っ直ぐに生きて欲しい。


遠征から帰ったとき、いつもお前が目を輝かせて飛行機の話をするのを聞くのが大好きだった。

ハンスにはそうやって、いつでも輝いていてほしいんだ。

無理に俺の意思を継ごうとして、お前が生まれながらに持っている光が失われることになってしまうのが一番悲しい。


だけどきっと−、ここまでの俺の言葉を聞いたとしても、全てを知ったお前はアルデバランに入ってアトリアの独立を目指すことをやめないだろう。

なぜそれがわかるかというと、まさに俺もそうだったからだ。

ルアンさんの言葉を聞き、自分自身の願いともなった独立への道を選択することは、俺にとって必然だった。


ただ俺とお前は違う。俺にはソフィアやアレクがいた。

自分の最も信頼している人物が自分を認め、肯定してくれるからこそ、俺も自分自身のことを信じることができ、心から純粋な願いを持って突き進むことができた。



だから、これだけは言っておく。


ハンス、お前は一人じゃない。

俺はずっとお前の中にいる。

瞼を閉じたらいつでもお前に語りかけることができる。

俺は父親として、お前のことを心から誇りに思っている。


自分が心に決めたことに対して誰よりも努力することができ、それを手に入れるまで絶対に諦めない。ハンスのその心は、俺よりも遥かに強いと思ってる。

並外れた強靭な精神力は誰にも負けないお前の武器だ。


それともう一つ、お前には周りの人々の心を動かす力がある。

自分自身では気づいていないかもしれないが、それは誰にでもできることじゃない。

周りの人間はお前の持つ真っ直ぐな心が放つ強烈な光に引き寄せられているんだ。

それはハンスが生まれながらに持っている、もう一つの強力な武器だ。


大丈夫、もう何も心配しなくていい。

自分自身の力を自覚し、ただ自分の信じる道を行け。



愛しているよ、ハンス。

ハンス、ゾフィー、ソフィア、お前たちを家族に持てて本当に幸せだった。

世界で一番大切なお前たちと人生を過ごせたことに深く感謝している。


じゃあまた、目を閉じたときに会おう。

いつでもお前を想っているよ。



1932.8.1 ジルドレインにて 父より


 読み終わった瞬間、手紙の上に雫が一滴落ちるのを見て、ハンスはようやく自分が泣いていることに気づいた。慌てて拭ったその手の濡れた感触には、やけに新鮮な感覚があった。


 …涙を流すなんていつぶりだろう。少なくても父が死ぬより前だったことは確かだ。濡れた手は震えていたが、その手で再び手紙を掴んで読み返そうとすると、文字が涙で滲んで見えた。


 ハンスは手紙の中で父が言いたかったことを理解した。そしてそれは自分の中で解決していなかった問題をいとも簡単に解きほぐしてくれた。

 

 −そうか、俺はただ父さんに認められたかったんだ。

  他の誰でもない、たった一人の父さんに−


 そのことに思い至ると、涙が溢れて止まらなくなった。ハンスは両手と肩を震わせて泣いた。

 父のことを憧れのパイロットとしてではなく一人の人間として、そして今でも自分を見守ってくれるたった一人の父親として、改めて深く認識した。

 同時にその存在がすでにこの世から永遠に失われてしまったという変えられようもない事実が、ハンスの胸に生々しく突き刺さった。


 もう二度とあの優しい父の声を聞き、あの柔らかい笑顔を見ることはできない−。

 6年の時を経て突きつけられたその事実に、ハンスの心はようやく深い悲しみに覆われた。


 …でも、俺はもう大丈夫。もう二度と間違えることは無い。


 ひとしきり感情を吐き出したハンスは、自分の中に生まれた揺るぎない決意を自覚した。

 涙を拭って父の手紙をシャツのポケットに仕舞うと、新しい世界に生まれ変わったような真っさらな気持ちで、書庫の扉を開けて外の世界へと踏み出した。

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