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群青、君が見た空の軌跡  作者: 乃上 白
第一章
108/190

108話 最後の夜

 ハンスが家に帰ってきたときにはすっかり日が暮れていた。

 ルカは夕食をつくった後ハンスを待つと言ってテーブルで縫い物をしていたが、そのうちうとうとしてそのままテーブルで眠り込んでしまっていた。作業場から戻ったアレクはそれに気づき、ルカの背中にそっとブランケットを掛けた。

 そのときキィっと玄関が開く音がした。アレクはすぐに玄関へと向かった。


「…ハンス、お帰り。夕飯できてるぞ。」

 いつものアレクの声に、ハンスはきまりの悪い顔で口を開いた。

「アレク…ごめん。俺…」

「混乱してたんだろ、わかってる。俺も悪かった。あの話を聞いた直後のお前に怒鳴ったりして。」

「ううん、俺が悪かった。ルアンさんのことを悪く言ったりしたから…」

「お前がそう思うのも無理はない。もしあのときルアンさんの話を聞いていなかったらということは、俺もフランツが死んだときに何度も思った。」


 ハンスはアレクの顔を見上げた。アレクはかすかに微笑んでいたが、どこか悲しい色が混ざっているように思えた。

「アレク…、俺、父さんが死んだときに悲しいって思えなかったんだ。涙も一切出なかった。それがなぜか分からなかったけど、結局は父さんが死んだことが信じられなかったんだと思う。6年前から今までずっと実感が無くて…。」

 アレクはぽつりと出てくるハンスの言葉を静かに聞いた。


「でも、アレクの話を聞いて、父さんがどうやって生きて何を考えてたかを知ったら、急に父さんが死んだことが自分の中で大きくなって…。もう二度と話せないんだって思ったらすごく悔しくて、アレクの言った通り父さんが死に至った原因を全部否定したくなったんだ。」


 アレクはハンスの栗色の頭にポンと手のひらをのせた。

「それは普通の反応だ。お前にとってフランツは憧れの存在でもあったから、突然居なくなったことに現実味が湧かなかったのかもしれないな。

 でも、フランツだって普通の人間だ。悩んだり迷ったり弱い部分もあったり…それでも懸命に自分の道を生きた。…お前と同じだ。」


 ハンスはアレクの目を見てこくりと頷いた。アレクの言葉はハンスの中にすっと染み込んだ。するとアレクは柔らかく笑った。


「帰って来たの…?」

 廊下の奥からルカの声が聞こえた。ルカは眠そうに目をこすりながら二人を見た。

「ルカ、起きたのか。ちょうどよかった。ハンスが帰って来たからみんなで夕食にしよう。」

 ルカはどうやら仲直りしたらしい二人を見て心の中で安堵した。ハンスはアレクに続いてリビングに向かい、ルカに顔を向けて微笑んだ。

「ただいま。」

「……おかえり。」

 小さく返すとルカはさっと台所に向かった。たくさんつくった夕食をあたためて、みんなでテーブルに並べた。


 三人で過ごす最後の夜はとても穏やかだった。この一ヶ月の出来事が次々に話題に出て、たくさん笑った。

 ハンスが初めてルカに会ったときはいきなり頭に銃を突きつけられたんだよな、と言うと、ルカはそんなことあったっけ?ととぼけた。


 食事が終わるとそれぞれお風呂に入っていつも通り思い思いに過ごし、各自の寝室へ向かった。明日の朝ハンスがここを発つことはもちろん分かっていたけれど、それに触れると何か余計なことを言ってしまいそうで、アレクもルカもいつも通りの様子だった。ハンスにはそれがありがたかった。


 一ヶ月過ごした屋根裏部屋で、ハンスは明日発つ準備をした。ただ元々荷物は全く無かったし、明日発つにしても何も持っていくつもりは無いため、準備といってもただ部屋を片付けただけだった。自分の持ち物といえばチームクルーのみんなにもらった腕時計くらいだ。

 …今頃みんなはどうしてるだろう。布団に入りながら、ハンスは改めてこれからのことを考えた。


 アレクに言われたことについてはまだ答えが出ていなかった。自分の中ではすでにアルデバランに入る気持ちは固まっているけれど、アレクはその覚悟を中途半端だと言った。

 あのとき自分はその言葉を必死で否定したけど、本当は…何となく気づいてる。以前スミルノフに会った後から感じるようになった、かすかな不安が現実になったということだと思われた。それは父さんがアルデバランに加担したきっかけを聞いたとしても、自分が求めていた答えとして完全に納得できるんだろうか、という疑問だった。

 スミルノフに父と同じようなものを求められたとき、なぜか言いようもない嫌悪感に襲われた。アレクの言う自分と父親の問題は、そういうところに隠れている気がする。でもやはりそれが何なのかは、アレクの話を聞いた後でも分からなかった。


 考えるほど、ハンスは全く眠れる気がしなかった。明日以降のことを思って少しでも眠ろうと目を瞑っても、様々なことが浮かんでは消え、完全に眠るまでには至らなかった。

 諦めて起き上がったときにはまだ夜中の三時過ぎだった。だがこの時期であればあと一時間もすれば日の出の時刻になる。

 ハンスはそっと屋根裏部屋を出て書庫に向かった。最後に改めて本を読み返し、ルアンさんの言ったことの正しさを確認しようと思った。


 書庫の電気をつけると、初日に見たときとは打って変わって美しく整頓された本がきちんと本棚に並んでいた。読んだ本から少しずつ整理して、一ヶ月かけて全ての本を並び終えた成果だった。ハンスはアレクの曽祖父が書いたという歴史の本を手に取った。

 書庫の奥に設置された木のベンチに腰掛けてその本を読み出した。その小さなベンチは、書庫には本を読むための椅子が必要だと思い、片手で苦労しながらもハンスが自ら手作りしたものだった。

 

 要点を確認するために駆け足で本のページをめくっていると、突然トントンとノックの音がした。この夜中にと思ったが、もしかしたら二人も眠れなかったのかもしれない。ハンスは入り口に向かってドアを開けた。


「ハンス、起きたのか。…眠れなかったのか?」

「うん…考えることがあり過ぎて。アレクも?」

「俺は起きてたんだ。お前に渡したいものがあってな。早朝に起こして渡そうと思ってたんだが、廊下を歩く音がしたから。」

「渡したいもの?」

「ああ。それに、昼間お前と話したことも中途半端なままだったから、お前がここを発つ前にもう一度ちゃんと話がしたいと思ってた。」

「うん…それは俺も。…アレクが言った俺と父さんの問題については、実は前から何となく気づいてたことではあったんだ。あのときは認めたくなくて必死で否定したけど、やっぱりまだ自分の中で解決してない問題があるように思う。」


 するとドアの向こうにいたアレクはすっと書庫の中に入って扉を閉めた。

「ハンス…、まずはこれを読んだ方がいい。ギリギリになってしまってすまないが…」

 アレクは一通の封筒をハンスの前に差し出した。

「フランツからお前への手紙だ。」

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