103話 歴史
「僕が組織を変革してから、アルデバランは平和的手段と暴力的手段の両方を持つようになった。それは来るべき日のための準備だ。僕たちは決して今すぐに戦争を起こそうとしているんじゃない。現在の情勢だと十年後になるか十五年後になるか分からないが、ラスキア政府が本格的にアトリアを完全に支配下に置こうとしたときの抵抗勢力となるべく水面下で準備を固めてるんだ。
そのこと自体は結成当初からのアルデバランのメンバーが何代にも渡ってずっとしてきたことだ。何度も弾圧を受けて多くの仲間が暗殺されたり収容所に送られてきたが、それでも現在まで存続してきた。
…それがなぜかわかるか?僕たちは、最後の砦なんだ。人間が人間らしく生きる権利を取り戻すための。」
ルアンは真っ直ぐに三人を見て続けた。
「人が生きる上での自由とは、自分以外の誰にも支配されていない状態を指す。本来人間は生まれながらにして自由であり平等である、というのは古来から考えられていた自然権に基づいた近代的自然法思想によるものだが、それは社会契約によって初めて全人民にとっての幸福を最大化させた自由な社会を成立させる。
主権は人民にあり、すべての権威は人民から発せられる。民主政治においては被治者の承認がなければお互いの自由を守るための産物である法律が成立し得ないからだ。従って、政治の代表者は国民の主人ではなく公僕である。
そのことを深く理解し、世界に先掛けて成熟した民主主義国家として成立していたのがかつてのホルシード王国だ。ホルシード王国は稀代の名君であった第十一代ホマユーン王の時代に世界で初めて立憲君主制を取り入れ、三権分立を原則とした憲法が定められた。王国と名を冠していても、世界でも最も早い段階から近代的な政治を執り行ってきた文明国家だった。
だがその発達した文明と巧みな政治・外交的手腕により長い間平和に維持されてきた王国は、それゆえ戦争に対する危機感も薄かった。」
ルアンは落ち着いた声で淡々とアトリアの歴史を語り出した。それらは三人にとって新鮮なものだった。これまでの教育の中で教えられたものと全く違っていたからだ。
「地理的に世界の海洋交易の要所であり、文明的にも発達していたホルシード王国は、外交の成功もあり、強大な国がひしめく世界の中で六百年以上もその独立を守ってきた。その均衡を破ったのが隣国であったラスキア共和国だった。
戦争のきっかけとなったのはラスキアの首都ラスキアードで起きた一般市民を巻き込んだ大規模なテロ事件だった。ラスキアードにある大学が標的となり、学校に押し入ったテロリストが生徒に向けて無差別に銃を乱射、さらに校舎に火をつけて全焼。大量の若い死傷者を出し、国民は怒り狂った。犯人は全員その場で自殺したが、その正体は隣国であるホルシード王国の国教であったラファハリド教の過激派原理主義者であったと発表された。
この事件の内容については君たちも知っている歴史だろう。だが、実際にはテロ事件自体が当時のラスキア政府による狂言だった。」
「狂言…!? 戦争のきっかけとなった事件はラスキア側が自ら仕掛けたものだったということですか?」
フランツは驚いて聞き直したが、ルアンははっきりと答えた。
「そうだ。そのことは現存するあらゆる禁書に明確に記されている。本当かどうかはそれらを読めばすぐに分かる。アトリア側だけでなくラスキア側の人間による著書も多数実存し、その数は百冊以上に上るが、それらの内容がほぼ一致しているからだ。」
「…ルアンさん自身がその禁書を見たのですか?」
「ああ。アルデバランが手に入れることのできた全ての禁書をこの目で確認した。」
アレクは祖父の別荘にあったあの本もおそらく禁書の中の一冊であることを予測した。するとルアンは続けた。
「一方的に開始された戦争によって、六百年以上の歴史を持つホルシード王国はわずか一年ほどであっけなく消滅した。長い間独立を保ち、平和に暮らしてきた人々は、突然でっち上げられた確証に欠ける疑わしい大義名分によって本当に国と国とが戦争に突入するなどということは、まるで思ってもみなかったんだろうな。
それまで当たり前だった日常が突然破壊され、他国の人間が攻めてくる−。その火蓋が切って落とされた瞬間がいつだったのかということさえ分からない人々が多くいたほど、突然戦争状態に陥ったホルシード王国の人々は、逃げることもままならずただ呆然と立ち尽くした。首都であったメイラードはたった一日で焼け野原になり、多くの一般市民が犠牲となった。」
ルアンは時折タバコを咥えながらやはり淡々と続けた。三人は黙って自分たちの知らない歴史の事実を聞いた。
「その後、ラスキア共和国はホルシード王国を属州の一つという形で併合し、敗戦国の人々の尊厳を尊重するための寛大で人道的な措置と称して自治権を与えたが、それは確証に欠けた戦争理由を誤魔化すための対外的な眩惑だった。実質、議会をつくるまでの間の暫定政府は人々から言葉も宗教も伝統も、ホルシード王国を形作っていたものを洗いざらい奪って自分たちの文化や慣習を押し付け、無理やりラスキア色に染めた。
支配する側となった当時のラスキア軍兵士によるホルシード王国の人々に対する残虐な行為は政府のコントロールによっても隠しきれないほどで、特に首都であったメイラード、今で言うセントラルは無法地帯と化し、そのことに対してはかなりの国際的な批判を浴びたという。」
フランツは当時の人々の絶望を想った。言葉や文化や歴史など自分たちを形づくっているものそのものを全て取り上げられたホルシード王国の人々は、大切な人の命のみならず、長年受け継いできた民族としての誇りまでも一方的に奪われたのだ。




