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群青、君が見た空の軌跡  作者: 乃上 白
第一章
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1話 雨上がりの日常


授業が終わった瞬間、教室はざわざわと活気付いた。

ハンスは自分の席に座ったまま肩肘をつきながらぼんやりとその様子を眺めていた。


 居眠りを引きずったままのぼうっとした頭でふと顔を上げると、さっきまで降っていたはずの雨がすっかり止んでいることに気付いた。教室の大きな窓の外にはいつの間にか抜けるような青空が広がっている。


 ただその中にひとつ、ちらちらと白く光りながら不規則に動いている点があった。その物体はだんだんとこちらに近づいて来ているように見える。何となく窓の外を眺めていただけだったはずなのに、いつの間にかその物体を目で追っていた。


 輪郭が分かるくらいまで大きく見えたとき、それが遠くを飛んでいる小型の飛行機だということがはっきりとわかった。その飛行機はしばらく回転や旋回を繰り返しながらゆったりと飛行していたが、流れるような美しい背面ターンを最後に、突然猛スピードで窓枠の外に消えていった。


 ハンスは体中の血が一気に頭に流れ込んでくるような感覚になり、思わずダンっと机に手をついた。


「ハンス、今日はクルトさんのとこに寄るんだろ?行こうぜ。」


 ふいに声を掛けられて振り返ると、親友のクリスがその端正な顔に柔らかい笑みを浮かべながら立っていた。

 制服である紺のブレザーを羽織り、白いシャツの首元とネクタイを少し緩めている。すらっとした肢体に長い脚を有するクリスには、そのシンプルな制服がよく映えた。


「ああ…。うん、ちょっと待って!」

クリスの一声で現実に戻されると、ハンスは机の中の教科書を乱暴にカバンに詰めた。


「おいハンス!基地に行くだろ?」

 今度はジルベールが廊下側の窓から顔を出した。体格の良い見た目に比例して普段から声も大きい。教室に残っていたクラスメイトは皆一瞬ジルベールの方を振り向いていた。その横には陽気な双子のエリックとアルバート、いつも冷静で頭の切れるレイもいる。四人を見てハンスはジルベールに合わせた大きな声で答えた。


「今日はクルトおじさんのとこに寄ってから行くんだ!機体改修のアドバイスをもらいにさ。」


 毎日学校が終わるとすぐ基地に急いでレース用航空機の改造・整備や操縦訓練に取り組んでいるハンスたちにとって、エンジン変更に合わせた機体の改修と速度の最大化はここ数週間ほどの大きな課題となっていた。


 以前からの学校への再三の嘆願により、念願だったダニエル・メルツ社製の最新型エンジンを機体に採用することができた。そこまでは良かったのだが、実際に換装してみると新たな問題が浮上した。エンジンが強化されたことによって急激に上がったプロペラの回転速度に合わせて反トルクも想定以上に大きくなったことで、現状のままでは機体がわずかに左に傾いてしまうのだ。


 これまで垂直尾翼の角度やエンジンの取り付け角を調整したり、主翼の長さの変更を検討してみたりと様々な試行錯誤を試みたが、未だベストなバランスを見出せてはいなかった。

 その上今回はエンジン換装に合わせた機体の大幅改造による速度アップも狙っている。ただそちらについては何度設計図を書き直しても、現時点ではこれと言って画期的なアイディアは浮かんでいなかった。


 ハンスの答えにジルベールはすぐさま賛同した。

「それいいな!俺も行っていいか?」

「いいよ。」

席を立ったハンスがあっさりと答えると、エリックとアルバートも声を揃えた。

「俺も行きたい!」

「クルトさんて有名な凄腕のエンジニアだよな?」

双子らしく息を合わせる二人の弾んだ声を聞きながら、ハンスはクリスと共に教室から出た。

「行きたい奴は付いて来いよ。ただしおじさんの作業場を荒らすなよ。」

「やった!じゃあみんなで行こうぜ。」

エリックの言葉にハンスが頷くと、6人は揃って廊下を歩き出した。



「…クリスくん…!」


 突然の声につい全員が振り返った。クリスを背後から呼び止めたのは他のクラスのよく知らない女子だった。髪が長くて上品な雰囲気のその子は、少し顔を赤くしながらも真っ直ぐにクリスを見ていた。


「急に呼び止めてごめんね。今度シスレー社主催のパーティーがあるでしょ、私も行くんだけど、クリスくんにダンスのお相手になって欲しくて…。」

恥ずかしそうにはにかむその様子を見て、またか…とハンスを含めたクリス以外の全員が思った。

 その甘いマスクに高い身長、さらに誰にでも優しくスマートなところがどうやら女子に受けるのか、クリスは昔からとにかくモテる。

「もちろん、僕でよければ。君は確かレイヤード社の…」

「シエラよ。シエラ・レイヤード。」

シエラは頬を染めたままうっとりとクリスを見つめていた。逆にハンスたちはうんざりとした様子でそのやり取りを眺めている。これまで何度も遭遇したことのあるシチュエーションだ。

「シエラ、じゃあパーティーで。楽しみにしてるよ。」

「ありがとう…!」

シエラは本当に嬉しそうな顔でお礼を言うと、ハンスたちには一瞥もくれないまま足早に走り去って行った。


「…一体何人と踊るんだよ。現場でもめても知らねーぞ。」

 ハンスは呆れながらクリスを見た。

「今の子で4人目だよ。順番にお相手すれば問題ないさ。いろんな子と話をするのは楽しいし。」

 さらりと答えるクリスに対し、毎度よくそれでけんかにならないもんだとハンスが不思議に思っていると、横からジルベールが苦々しい顔で口を挟んだ。

「モテ男は相手探しに苦労しなくていいな!一人でいいから俺にも分けてくれよ。まだ決まってねーんだよ。」


 シスレー社はラスキアを代表する大手商社で、今度のパーティーはラスキア本土及びアトリア内の政治家や、関連する貿易会社の関係者らが集まってくる。

 パーティーと言うと一見遊びのようだが、上流階級の人々同士が様々な目的を持って繋がりをつくるための重要な場所でもある。


 クリスは家がアトリア内では大手の貿易会社を経営しており、ジルベールの父はアトリア州議会の議員のため、二人とも今回のパーティーに参加するらしい。

 ハンスの養父もまたアトリア州議員だが、養父はハンスに関心が無く声も掛けられていない。パーティーのような面倒臭い場所が苦手なハンスにとってはむしろそれが有り難かった。


「普通は男が誘うもんだろ。気になる子がいたらこの機会に誘ってみろよ。」

 ジルベールは答えず、わざと口を閉じた。いかにもそれができたら苦労しないと言いたげだった。

「まぁまぁ、行こうぜ。俺たちには飛行機があるさ。」

 アルバートがよくわからないなだめ方をして、話題は改修中の飛行機の新型エンジンに対する解決策に移った。


 校舎を出ると教室の窓から見たあの美しい青空に加えて、春のはじめの香り立つような気持ちのいい風が吹いていた。

 機体改修について引き続き議論しながら、7人は街の中心部から少し離れた場所にあるクルトの家まで歩いて向かった。


 学校からクルトの家まではそこまで遠くないが、ハンスたちはいつも通りあえて遠回りをする。それはこの街の現状に理由があった。

 

 この街にある建物は全て白い壁にオレンジ色の屋根で統一されている。

 白壁の原料はサンゴ礁から形成される石灰岩だ。海に面している街のため昔からよく使われてきた塗料の一つだった。


 その美しい街並みにより、昔はアトリアへバカンスに訪れる観光客も多かった。ただ近年の治安の悪化により、現在観光客はピーク時の三分の一以下に落ち込んでいる。


 治安の悪化は政治に対する不満の現れだった。反政府組織の一部が暴徒化してテロや傷害事件を引き起こし、治安部隊と銃撃戦になるというようなことが度々起こっている。一方それを防止するための政府側の対応もひどいもので、少しでも疑いのある者は大した捜査もしないまま容赦無く強制連行された。


 ただそれらの事件が発生するのは、ほとんどこの広い街の中に点在している貧困街の中でのことに限られる。

 政治的問題から派生して近年になってより貧富の差が激しくなり、富裕層と中間層、そして割合的には最も多い貧困層が住む地域は、それぞれはっきりと分けられるようになっていた。


 ハンスたちは自然と貧困街を避けて遠回りする。それはもちろんこの街に住む人々にとっては当たり前のことだった。

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