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ファントム・ペイン  作者: ぺスクール
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プロローグ 不運

 星の見えぬ青褪めた闇に、鉤爪のような月がその切っ先を尖らせている。煌々と光り輝くビル群がその先端を夜空に突き刺し、月を背にこの大地を征服する様は、長く人間を見守ってきた月も星も、その存在の全てを膨張と増長の果てに裏切り、無関心になって、人間の営みこそが自然の全てであると自負する欲望の刃のようである。この東洋最大の都「上ノ宮」では、街の中心に一等巨大なビルが、その周りに無数のビルが寄り集まってひとつの山のように屹立している。その城郭のようなシルエットは、無数の灯りに最早照らされていない場所など存在しないようにも思えるこの街に、大きな影を落としていた。

 摩天楼の足元、天上を見上げると遥か遠くに宝石のような色とりどりの灯りと月が見える。かたやこのビルとビルの隙間、真っ暗な路地裏は天高くに住む権力者達の靴底であり、この闇に息を潜めて集合する黒尽くめの男たちは彼らに遣わされた鼠である。総勢15人の黒い鼠達は目だけを外に露出するのみで、その目の色も様々であり、時折交わされる必要最低限の会話も共通の言語というものがない。西欧、アジア、アフリカ、不特定多数の言語がローテーションされ、彼らを一個の部隊として所属を推理することは容易ではない。彼らの服装も、傭兵や護身用として世界に標準的である防弾装備である。しかし彼らが手に持つ拳銃、これだけが特徴的なものだった。

 手のひらに隠れるほどの小ささで、袖に隠す仕込み銃のような口径としては頼りない拳銃である。玩具のように角張った造形で、デザインに関しては全く洗練されていない。普通ならチープで役立たずだと判断される見た目だが、彼らはこの銃が自分達の雇い主、その有無を言わさぬ圧力と、全貌の見えない手段で世界の流れ者の中から自分達を招集した姿も見えぬ権力者が与えてきたものとあって、この未知の兵器が尋常の常識では測れないことを理解していた。これは試し撃ちも認められなかったプロトタイプ――場数を踏んだ彼らも見たことがない新兵器である。

 彼らは事前に訓練を受けていたが、模擬銃での発砲しか経験していなかった。しかもこの銃の装弾数は3発だというのである。彼らを訓練した顔を隠した教官はこの都市のどこかにある地下施設でこう言った。


「この銃はノックバックしない。ゲームのように、一発でしとめる気持ちで落ち着いて発砲すればいい。この銃だけでは心許ないだろうが、なにぶん、今回のターゲットに通常の火器は効かないのでね」


 通常の火器が効かない。こんな特徴をもつターゲットは一つしかない。


「聖者か…」


 日本語を使って鼠の一匹が呟いた。彼はため息が出そうになるのを堪え、気を取り直すように頭を振った。

 彼は日本人だった。そして周りにいる多国籍の者たちよりも、今回の一件の事情を承知していた。というのも、彼は傭兵や軍人というわけではなく、この上ノ宮に住む警官だからである。そしてこの怪しげな部隊に召集された理由は、一般人が踏み込むことの許されない、つまりは踏み込んだ瞬間表の世界で生きることが出来なくなる領域に、不運にも進入してしまったからだ。そして彼の上ノ宮でのキャリア、そして知ってしまった情報から彼は冷静に現状を分析していた。


(召還から訓練、再召集、配備に至るまで、個人口座への入金はあっても依頼主に関する情報は一つも存在しない。極秘任務と言えば周りの凄腕どもは納得するんだろうが、俺が事情を知ってることは上も知ってるんだ。これほど情報が漏れることを警戒するくせに、俺を生かして部隊に入れたのは何でだ?分かってる。俺もこいつらも、任務で死ぬから問題なしというわけだ!よしんば俺は生き残っても、後で殺されるに決まってる。すぐ殺さずに利用する判断になったのは、俺のキャリアのおかげか…俺を生かすリスクと、任務の成功を秤にかけるなんて、それこそ無理目な任務だってことじゃないか。)


 この15人とも、ターゲットが「聖者」であることは承知していた。しかしこの日本人だけが、聖者の中でもとびきり危険人物を相手にすることを予感していた。事前に知らされている聖者の能力は「自在武器」。個人特有の武器を空間から出し入れするオーソドックスな能力である。「能力者」がこの世に現れたのはここ10年の話であり、その中でも、自分自身を「聖者」などと呼んでまるで特権階級のように振舞い始めた者たちが、政府と対立するのは当然の話だった。「聖者」の悪名は世界中に轟き、その討伐と、生まれてくる「能力者」の管理は国家秩序にとっての至上命題となる。しかしそんな世相においても、このような部隊の暗躍は穏やかではない。政治、司法、経済、思想の全てが絡まって、ターゲットを政府と対立する「聖者」と断定しながらも、表の社会からこそこそ隠れて討伐するこの姿勢には、様々な謀の不穏な気配を孕んでいた。自在武器のありきたりな能力に対処するには過剰すぎる戦力、隠された情報、自身の境遇、全てに疑いの目を向けて想像の城に立てこもってしまったただ一人の日本人は、耳に装着した無線から放たれた作戦開始の指令に現実に引き戻されるのであった。

 地上の闇から闇へ、事前に訓練されたとおりのルートを駆けていく。15人の部隊は3人ずつに分かれて5チームとなり、とある交差点を中心にビルの影の中、所定の場所に配置を済ませた。周りを見ると何車線もある巨大な道路に車が通るが、良く見ればその運転手はみな黒尽くめの軍人であった。市街地であるはずの配置場所までのルートにも一般人の姿はなく、やはり尋常な任務ではないと皆感じていた。しかしこの程度で怯む彼らではない。戦場ではどれだけそれが正しい反応だったとしても、冷静さを失ったものから死んでいった。状況認識に多少の違和感を感じても、冷静でいるために深く考えないことを選択しているのである。もちろん、一人の日本人を除いてだが。

 配置が済んで3秒、先ほどまで聞こえていた絶え間ない車のエンジン音、風の音、ヘリの音、その全てが消えた。道路を走っていた車たちが交差点に進入する直前で停止し、まるで壁のように交差点を包囲した。そして一台の水色の軽自動車だけが、そのまま交差点に進入し、中央で停止した。先ほどまで何の違和感も覚えなかった道路の光景は、一つの指令に統制され、街は生き物のようにただ一台の車に敵意を向けていた。

 交差点を包囲する十数台の車から、同じ黒尽くめの装備の軍人たちが降りる。そして軽自動車に向けてアサルトライフルを構えた。

 無線から指令が入る。


「3秒後に車を盾にしてターゲットに接近」


 3秒前。低層ビルの屋上に配置された人員がロケット弾を発射する。一斉射撃による12発の弾頭が交差点中央、水色の軽自動車に殺到する。

 2秒前。ロケット弾が着弾、炸裂。交差点に爆発音と火炎が舞い上がり、軽自動車を内部から吹き飛ばした。RPGの爆発の前に地雷による爆発が実行されていたことに、現場にいるものは気付かない。

 1秒前。火炎が吹き上がる中、総勢80名によるアサルトライフルの集中射撃が始まる。ターゲットを視認できていないものの、爆炎の中心に弾幕を張り人の生存できない極限状態を作り出す。


「いけ」


 哀れな日本人含む総勢15名の5チームが、車の間を抜けそれに隠れながら、交差点の中央赤々と燃え盛る炎を包囲する。そして例の武器――これまでの圧倒的な火力が足止めの意味でしか行使されなかったこと、この暴力の本命が自分達の手にあるこの小さな拳銃であることに心を震わせながら――をターゲットが足止めされているであろう炎と弾幕の中に向け、それを視認できる瞬間まで姿勢を固定する。

 耳が潰れんばかりの嵐のような連続的な銃声に、心が逸るのを感じながら彼らは待つ。やがて立ち上る煙と炎の切れ目に徐々に姿を現したのは、


(ありゃあ、なんだ)


 傷一つ無い、巨大な黄金の鈴だった。




 ―――――




 まず気がついたのは、猛烈な頭の痛みであった。強制的に飛ばされた意識が返ってくるのに、身体が悲鳴をあげているようだった。

 視界はぼんやりと闇に染まっている。そこに一点だけ揺らめく火がともっていた。目を瞬かせると、火が確固とした輪郭を持ち始めた。それは段々と尖っていき、しばらくして月だと知れた。視界の闇は夜空であり、自分がいつの間にか仰向けに倒れていることが分かった。利き腕である右腕を動かそうとしたが、うまく力が入らず、アスファルトの上にじりじりと滑らせることしか出来なかった。左腕に力を入れると、今度はうまくいって、持ち上がったままその重心移動で寝返りをうつことができた。

 地面に額をこすりつけながら、自分の身体を確認する。動転した意識は、自分の四肢が揃っていることを確認して徐々に冷静になり始めた。しかしすぐに、利き腕の先、右腕の肘から先がなくなっていることにも気がついた。


(全身痛いから変わんねーな)


 任務が実行されるまで状況を憂うばかりであった哀れな彼は、この土壇場にいたって泰然としていた。肘を立てて上半身を起こすと、足を投げ出したその先にアスファルトのえぐれた交差点と、そこを中心に吹き飛ばされ大破した車が見える。いたるところで燃える車の間には、倒れた軍人たちの姿がちらほら見えた。今回の作戦は失敗であり、最早全ての体勢が瓦解していた。

 彼が覚えているのは、アサルトライフルの弾幕と爆炎の中に大きな鈴を見たこと、それを確認できた瞬間に手元の銃の引き金を引き、不思議な青い稲妻が発射され、ターゲットに到達するや否やで衝撃波が彼らを襲ったということだった。彼らがこの新兵器による余波で吹き飛ばされたのか、それとも反撃を食らったのかどうかは分からないが、もし前者なら上は彼らを最初から使い捨てるつもりだったわけで、この日本人の懸念は当たっていたということである。彼はそれらを思い、どうやら生き残った今、これから起こるであろう自身の抹殺にも思いを馳せた。しかし彼は、妙に事態を達観していた。


「いてぇな」


 身体は痛みと片肘を失った重心の変化で思うように動かなかった。貧血の症状もあるのか、立ち上がるのにずいぶんと労力がいった。しかし彼の心は軽く、頭が朦朧としていたこともあって、うわ言のように独り言を繰り返した。


「いてぇ…気持ちわりぃ…いてぇ…ってか」


 彼の心が軽いのは、一度死に掛けた者のやけくそもあったが、彼の周りの状況も関係していた。燃え盛る炎、転がる車、死体、抉れたアスファルトに空に聳えるビル群と、更に上空でこちらを見下ろす三日月。炎の音以外に何も聞こえない静けさで、彼は全ての景色が目に飛び込んでくるのを感じた。全てが冷たく、痛みと共に、美しい光景だった。右腕の喪失が、彼の損得勘定に関わる卑小な執着心を洗い流した。そして何より、意識を失う前に見たあの黄金の鈴。

 彼は歩き始める。交差点の真ん中で、あれほどの火力に包まれても殺しきれなかった「聖者」。全ての嵐が過ぎ去った後、そこには炎の中に傷一つなく、何の尊厳も失わずに巨大な鈴が建っている。それは鈴というより鐘と言ったほうがしっくりくる代物だった。両手でつかみきれるかという円周の支柱が途中で二股に分かれ、U字に弧を描いて鈴の根元を支えている。その黄金はほのかに自ら光を放ち、見れば、支柱諸共1m程宙に浮いて微動だにしていない。そしてその根元に、一人の少女が片ひざをついて座っている。

 なんだ、彼女がターゲットか。彼は彼女の小さな肩に血がついているのを見て、あの奇妙な新兵器が一矢報いていたことを少し愉快に思った。そのせいで、敵であったはずの彼女に気安く話しかけてしまったのである。


「おい」


 鈴の聖女は、その金色の髪を揺らして即座にこちらを見た。警戒しているのか、機敏に立ち上がって鈴にしがみつく。なぜか彼女を安心させようと笑顔を向けたが、彼女の後ろにいたもう一人の女に視界を遮られた。


「あれ?もうひとりいたのか」

「残念ですね。あなた方の襲撃は失敗です」


 その女は長い栗色の髪をした細目の女だった。口調は厳しいものだったが、その表情から感情を読み取ることは難しい。


「もう一人いたのならよかった」

「なにを…」

「一人じゃあ心許ないだろ」


 彼は自分でも何を言っているのか分からなかったが、それは相手のほうも同じらしかった。彼が攻撃する素振りも気力も見せないので、細めの女は警戒して彼の真意を測っている。すると、鈴に掴まっていた金髪の女が口を開いた。


「ここは引いてください!私たちは自分の身を守るだけです。貴方に危害は加えません!」


 その目は切実に、彼女の非戦の意思を語っていた。彼女の悲しい声の響きに、彼は目の前の鈴の輝きに恥じぬ高潔さを見て、この果てしなく膨張する摩天楼の手先としてこの場にいる自分が悲しくなった。そしてこの先続くであろうこのしがらみに支配される自身の生の煩わしさに嫌気が差した。ここで死ぬこと、ここで彼女らの手で始末されること以外に、最善の道はないように思われたのである。


(いや、これは、惚れただけかな)


 それを確かめる時間は無かった。


「俺さ、俺なぁ、この作戦に参加したのはなぁ」


 彼女らが眉をひそめる。しかし彼はかまわず話を続けた。


「俺の上司がな、あの、警察のな、上沢啓って人なんだがな…こいつがな、秘密警察なんだよ」

「なにを…」

「俺もこの人に、育てられたぁから、な…べったりだったんだけど、見ちゃったんだ、能力者殺すの」


 彼女らの表情が変わる。彼が何を話そうとしているのかが分かったからだ。


「いいか…秘密警察は、現行政府の指揮下じゃねえ。だから、政府と和解して、もな、あぁ、別のがいるから、そっちとは、頑張れよ。いいか?上沢、啓な…秘密警察の尻尾だ、ハハハ」


 彼は自分自身の職務中の不運について話すと、なぜだか笑いがこみ上げてきた。この事実を知ったことを呪うしかなかった自分の、権力者への小さな復讐が達成されたのだった。

 彼は懐に手をやる。


「動かないで!」


 金髪の少女が叫んだ。見ると、鈴の放つ輝きが大きくなっている。敵意あるものを自動で迎撃するのかもしれない。彼女の顔は悲壮そのもので、これでは殺してもらえないのではないか、殺してもらうのは申し訳ないのではないか、と判然としない思考が頭に流れて、消えた。


「あ、あとなぁ…俺の名前なぁ」


 彼はその瞬間、懐からすばやく手を抜き去って彼女に突きつけた。

 金髪の少女が何事か叫びながら、鈴が瞬時に光を放つ。

 彼の手元に銃は、無かった。


(俺の名前なぁ)


 殺して欲しいのに、なんで自己紹介したんだろうか。


(俺の名前、志摩桔平って言うんだ)


 視界を覆い尽くす閃光と共に、志摩はその命を散らした。


一週間程度で更新していくのが目標です。

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