弐 前日譚 龍森(たつもり)の城の物語(後編)
「ほう。もっと良い話とな」
「この青柳の城は守りに難い城。ここより北に二里ほど行ったところに龍森という地がございます。そこであれば、守りに易く、攻めるに難い城を築けるでありましょう」
「うむ。この城が守りに難いことはわしも思っていたことだ。だが、龍森は沼の多い湿った低い土地。上手く城が築けるだろうか?」
「縄張りのやり方で、固き城が築けまする。これからご案内いたします。殿、お手を……」
妖の女性の差し出した手は、血が通っているのか疑われるほど透き通るかとのような白さでした。
恐る恐るその手を取った照康公でしたが、その手には驚くほどの温かみを感じたのです。
「これは……」
「殿、参りますぞ」
妖の女性は照康公の当惑をよそに、その手を取って、中空に舞い上がりました。
「おっ、おう」
折しも、その晩は雲一つない月が明るい夜でした。
寝静まる民の暮らす家々もきれいに見えましたが、照康公は不思議なことにまったく恐怖は感じませんでした。
妖の女性は、照康公の手を取ったままゆっくりと龍森の地に降り立ちました。
「ううむ」
照康公は驚きました。龍森の地にこんなに地面が固い土地があることを知らなかったのです。
「固い土地がこれほどあれば、本丸はここに作れそうだな」
「ふふ。ではこれから縄張りをお示しします」
そう言った妖の女性の体は霧のようなものに包まれました。
それがすっかり晴れた時には、頭の高さが照康公の腰ほどもある輝かんばかりの黄金色の毛皮をまとった大きなおとかが姿を現しました。
「ほう。これは見事な。それが真の姿か?」
照康公の問いに、おとかも答えます。
「さあ、どうでしょう。私も女性。様々な顔を持っていますよ」
「ははは。それは愉快じゃ」
おとかの粋な切り返しに、照康公の顔もほころびます。
「さあ、殿。参りますよ」
おとかは得意そうに長い尾を巻き上げると、静かに下ろし、地面に縄張りの線を引き始めました。
「おおっ」
沼に接しているところはぎりぎりのところに尾を引き、湿地に接しているところは少し離したところに線を引きます。
更に湿地ぎりぎりのところに線を引き直すと、「この間はお濠になさいませ」とおとかは告げます。
「うむうむ」
月明かりに照らされる黄金色のその姿を照康公はいつまでも眺めていたのでした。
◇◇◇
翌朝、目を覚ました照康公は床の中にいました。
昨夜のことは全て夢だったのでしょうか?
「行けば分かることよ」
愛馬にまたがった照康公は単騎龍森の地に向かいます。
一目その地を見た照康公は大笑します。
そこには昨晩おとかが自らの尾で引いた縄張りの線がきれいに残っていたのです。
照康公に案内され、龍森の地を訪れた普請担当の家臣は驚愕の色を隠しませんでした。
「殿。殿がこの縄張りの線を引かれたのござるか?」
「わしではない。この線を引いたのはおとかだ。おとかが己が尾でこの縄張りを引いたのだ」
「おとかでござるか?」
家臣は腑に落ちない様子でしたが、見れば見るほど見事な縄張りです。
やがて、本当におとかが引いた縄張りではないかと思うようになりました。
「さすがはおとかが縄張りを引いた城。完成すれば力攻めでは決して攻め落とされない城となりましょう。早速、普請を始め申す」
「うむ。頼む。後、城が出来てからでよいのだが、一つやってほしいことがある」
「なんなりと」
「本丸に小さいものでいいので、稲荷を祀る社を設けてもらいたい。縄張りを引いてくれたおとかへの礼だ」
「分かり申した。この城の守り神となってくれましょう」
いつしか、おとかが尾で縄張りを引いた力攻めでけして落ちぬ城のお話は周辺の住民に語り継がれるようになり、城内の稲荷は「尾引稲荷」と呼ばれるようになったとのことです。




