ランキングの規制が必要なんじゃないか?
どの話を見てもすっきり納得できないのは皆”規制”の概念がないからだと思う。悪い意味で新自由主義なんじゃないか?と思ってしまう。今時全く流行しない社会主義の台頭スラある今のご時世でなんとも古式ゆかしいイデオロギーが出てくるものだと思う。
だがこのダーウィニズムみたいな自由競争サバイバルの発想はなんだかんだで受けがいい。規制の問題は確かにうんざりするほどある。だが今のなろうに不満を抱くものは規制について笑えない人たちが多いと思う。一番の問題は癒着にあるわけだが、こんなの論外にしよう運営はその点信じられる。国と違って末端の人が少なくひなプロの誰もが組織の利益に近い人達で構成されてると思うから。
癒着こそが最大の問題だが、実際これは本質的問題じゃない。これが本質的な最大の課題となるのは現実社会のなんとも言えない部分だが、競争力低下につながるだろうな。規制の最大の問題は共産社会主義の問題と似ていると思う。共産社会の問題は、資本主義の社会が別に存在するため比較されてしまうから。
皆でくそ悪いサービス社会に暮らせば悪い点が見えなかったのじゃないか?と思うんだ。規制の問題はこれ、規制がない地域に比べて競争力が低下するから。
ただどうだろうか?なんといえばいいのか。絶滅危惧種を保護するような発想だから失敗するような気がする。敢えて残さなくてはいけないタイプの創作がある。同一平面で生存競争の中で無理やり保護すべきなのか?となるから問題になる。創作の場合そういう発想じゃないのではないか?と思う。
創作は受けてが居て初めて意味を成す。生物はそれに対してそういったものはない。この受け手はある創作がバトルロイヤルのサバイバルにおいてつぶされた場合そのまま消えてしまうが、残った創作が彼らを受け皿にならない。この違いじゃないか?と思う。食物連鎖と似てるが、決定的に違うのは、ある創作がつぶれたとき受け手の方が創作の数より多いからだ。
食物連鎖で破壊されるときはその底辺の生物の死が大体その原因となる。数が多い。創作はそのつぶれた数の何倍もの受け手も破壊してしまう。私のように何でも食べる雑食って案外いない。馬鹿の一つ覚えのようにこうである創作論を話馬鹿が多い。それはある特定のジャンルが最高点としてそれにそってない創作を劣ったものとする論法だからになる。
または暗黙の了解のように絶対的多数派の好む序列を創作論として確立して、そこから外れるものを劣っているという論法になる。これは本人が多数派が好むものを意識せずに高い価値だと思い込んでしまってるケースが多い。自分の好みじゃないという言い訳のために使われるような論法の人が好む価値観だ。私の場合意識してやってるが、これが無自覚な人間が多い。
こうすれば多くの人に受けるが、それを目的としてない作品の場合その論法はあまり意味をなさない。じゃそんなの無意味じゃないか?究極的には悪しき相対論がほぼ正しいのは確かなんだ。ある条件下での良し悪しで私は一応語っている。
なろうに一番必要なものは、私は”規制”だと見ている。後のことは些末な規制の概念からくる枝葉のテクニックにすぎない。もちろん無規制のものが全員参加ランキングとして今まで通りあれば良い。抵抗のある人は多いだろう。だが癒着がほぼ考えられない規制というのはとても価値がある。
なろうが何故こんな事になってるか?というと作者も読者の全員参加のバトルロワイヤルにある。
なろうがどういうものか?というと有用なAIを作るために自由競争で生き残ったAIを使うという制作者の徹底した手抜きだと言えなくもないな。独自で試行錯誤してプログラムして組み立てるAIを放棄してしまう点でなろうの自由競争は本当に価値があるのか?私は疑ってるんだ。もちろん私は今のランキングを否定してるわけじゃない。
それをつぶそうとなるから馬鹿な話になる。別途の選択肢を用意する。どちらの選択肢が優れているか?じゃない。何故規制によって制御しなくてはいけないか?の意味がきっと見えるだろうと私は思ってるんだ。それには元のランキングが残ってないとだめなんだ。漫画ラノベの編集の選択も規制って発想の1つにすぎない。
敢えて完全な自由競争じゃない規制を設ける。そこがなろうの問題解決の糸口があると私は見ている。新しい産業を興すときそれを助けるような税金の仕組みは大量にあってそれに反対する人はかなり少ないと思う。中国はもっと強引だ。強烈な自国産業の保護をやっている。自動車なんてひどいものだ。中国の点で私は強く批判的なのは創作についてになる。
じゃそれ問題がないか?ならちょっと間違いでほしい。中国は全員参加のランキングをつぶして自国に都合がいい選択しか残さない。根本的な発想が、選択しは残すが別の選択が多数派ランキングによってすべて失われる状態を規制しようという話なんだ。
ありとあらゆる発想アイデアがこの規制って概念によって多分わんさか出てくると思うし、それは私が思いもつかないものかもしれない。不自由の世界にこそ選択の自由があるという逆転の発想になる。これは創ること読むことの自由ではない。創ることのモチベーションにつながる自由だと思う。
今でも何をやろうが自由だが、読者がバトルロワイヤルの結果しか見てくれない。そりゃそうだろう。最後に立っていたものだけを勝者としてほめたたえる方がシンプルで楽だ。だがそれじゃダメなんだ。
デメリットはないのか?なら確実にある。今の全員参加の多数派ランキングがちょっと人気がなくなるだろう。ただその変わり分散されるそれらのエネルギーが生み出すものは莫大なものになる。それによって多数派ランキングが死滅するようなことはまずない。そっちより、将来的ななろう全体の閉じこん化で絶滅する未来の方が多数派ランキングにとって都合が悪い。
何故そんな良いことだらけなのにひなプロはやらないのか?基本的にはセンスがない…。今まで規制するって発想の創作論が出たことがあるか?ないんだ。私以外こんな発想と思考の構築力無理だろう。ひなプロこのエッセイを書く人よりいまいちだと私は見ている。メリットが見えないからやらないんだ。
変わりにデメリットは腐るほどある。もめごとの種になる。これを嫌ってるんだ。私もひなプロ単純に馬鹿だとみてない。大半の人間はプロフィットよりリスクを見る傾向がある。保守だからね。どこにでもいる普通の人間はリスクを避けるだけで終わってしまうんだ。それはそれで悪くない。問題はプロフィットとのトレードオフの計算を最初からしてない。
それをしなくてはいけない立場なんだとわかってないんだ。将来的な閉じこん化の危機感が全くないからだ。もちろん創作にかかわる以上ひなプロも分かってるが、そのための解決の根っこが見えてない。ここが問題なんだ。それが自由競争に対する”規制”って概念なんだ。ひなプロが重い腰を上げてリスクとったのが転生転移タグになる。
ひなプロも絶対にリスク回避だけでは動かない。このままじゃいけないリスクに対するメリットのある解決法を提案できれば変わると見ている。それにはまず意識改革をしないと、そのためこの規制って発想はとても分かりやすい。規制自体にアイデアはない。こう考えることによって出てくるアイデアが今のなろうの問題解決のための軸になると私は見てるんだ。