いつもの顔
「Kスタジオに入ります」
そう言った瞬間、まだ私の両腕の中にある維澄さんの身体が硬直したのが分かった。
そして私の胸に顔をうずめていた維澄さんは頭を素早く上げ不安な視線を私に向けた。
もちろんその理由は分っている。
そもそも維澄さんの様子がおかしくなった原因こそ、上條社長が私をKスタジオに誘ったことだ。
私はあの時、なぜ維澄さんがこの言葉で激しく動揺したのか今なら分かる。
維澄さんは私を上條社長に奪われることを恐怖したのだ。
まさかそこまで維澄さんが私を想ってくれているとは想像もできなかった。
いやいや、それは都合よく捉え過ぎだな。
厳密に言うと少し違う……
”維澄さんが私を好きすぎる”というよりは上條社長に受け入れられなかったというトラウマが私を想う気持ちと重なってしまったからこその動揺だったのだ。
だとすれば私の導きだす答えは「Kスタジオに入らない」ということになるが、私は敢えてそうはしない。
こんな対処療法で”時間稼ぎ”をしても維澄さんはどこかでまた同じことを繰り返す。
だったらこのタイミングで私は維澄さんのトラウマを完全に抜き取るしかない。
その目的の半分は、達成できていると私は感じていた。そう、今の私と維澄さんとの見えないやり取りの中でそれは達成されつつある。
だからあとひと押しだ。
今を逃したらきっともうそのタイミングはやってこない。
私は私のやり方で維澄さんを”今”、”この場”で救う。
今なら出来る。
そう思う根拠もあった。
それは……
私が今”Kスタジオに入る”といって維澄さんが見せた不安の表情を私は知っているからだ。
そう、この顔はいつもの維澄さんなのだ。
少女のように頼りない、何度も私に見せてきたなじみのある顔。
私が見たこともない、さっき見せたような錯乱した維澄さんではない。
だから……大丈夫。
この維澄さんなら大丈夫。
だから私は確信していた。
「維澄さん?どうしたの?そんな顔して?」
「だって……檸檬がKスタジオに入るって」
維澄さんは震える声で、まるで泣きべそをかく子供のように顔を歪ませ涙を流しながら訴えるように言った。
「だから?私がKスタジオに入ったらどうなるの?私が維澄さんから離れるとでも言うの?」
「そうでしょ?だってKスタジオは東京だよ?」
「フフフ……まあ、そうだよね。あのドラッグストアーでバイトを続けるのは難しいよね」
「ほ、ほら……」
「あははは……そんな顔しないでよ?」
私はことさら明るい口調で、明るい笑顔を維澄さんに向け続けた。
だから維澄さんは動揺をしているとはいえ不安な表情は少しづつ解消しているように見えた。
さっきまで緊張の面持ちでいた櫻井さんは既に安堵の息をついて微笑を私に向けていた。
そして、私のいきなりの口づけ劇?にあっけにとられて固まっていた上條社長がようやく口を開いた。
「お、おい……さっきから私を無視してお前たちは何をやっているんだ?」
「見ての通り、維澄さんとの愛を確かめ合ってるんですけど?」
「れ、檸檬!!な、なにを急に!」
「え?違います?この姿はどうみてもそうでしょ?そうじゃなかったらこれは何なんですか?」
維澄さんは上條社長の視線を感じてまた真っ赤に赤面してしまった。
「はぁ~……ホントにびっくりだよ。あのIZUMIに高校生のお前がなんてことしてくれるんだよ?」
「あれ?もしかして上條社長……私にやきもち妬いたりしてます?」
「バカか!そんなわけないだろう?」
すると維澄さんが驚いて上條社長の顔を見た。
「維澄さん?なんで上條社長の表情確かめてるんですか?まだ未練あるとか言わないでよね?」
「な、なに言ってるのよ!そんなんじゃないわよ……も、もう、未練なんて、ないわよ」
あら?ってことは今まではあったってこと?
何それ?ムカつく!
私はつい上條社長を睨みつけてしまった。
上條社長は”つきあってられない”とばかりに苦笑いをしつつソッポを向いた。
まあ、確かに百戦錬磨の!?上條社長にしたらこんな青々しい恋愛話に付き合ってられないのだろう。25歳の大人な維澄さんがこのレベルなのがむしろ奇跡なのだから。
「で、さっきの話しからすると檸檬は”うち”に来る気があるってことか?」
「ええ」
私は揺るぎない視線で上條社長を見てそう言った。
相変わらず維澄さんは不安げな表情だ。
それを見た上條社長は顔を維澄さんに向けた。
「IZUMIはそれでいいのか?」
そう問われると維澄さんは私にまた不安な視線を投げた。
「大丈夫です。これは私と維澄さんの問題なので、お気になさらず」
私はさっきの話で上條社長に嫉妬した訳ではないが、”口挟まないで”とばかりにピシャリと言った。事実維澄さんの不安の表情の原因は私な訳だから私がなんとかするしかないのだ。
そして私は思い切って上條社長に切り出した。
「ただ、上條社長……ひとつ条件があります」
「条件?……自分を採用するために条件をだすのか?随分おまえも偉くなったものだな?」
上條社長はあきれ顔で私を見た。
「だって今日のオーデションはやる前からの出来レースだったんでしょ?それって私がブッチリギリだってことですよね?だったら少しは優遇してくださいよ」
「はあ?」
さすがに上條社長は苦虫を噛み潰したような顔になりながら顔を歪めた。
櫻井さんは上條社長の後ろでニヤニヤと笑っていた。
きっとこの人のことだ。これから私が言うことに気付いているのだろう。
「で、なんなんだその条件ってのは?」
しぶしぶ上條社長が尋ねたので私は一息で応えた。
「維澄さんを私の専属マネージャーでKスタジオに復帰させてください」
「えっ!!」
「はあ!?」
維澄さんと上條社長は二人、同時に大声をだしながら”ギョ”として私を見た……
しかし櫻井さんは相変わらずニヤニヤと笑っていた……




