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消せない衝動

 私は美香の後を追いながらドラッグストアーに入店してしまった。


「いらっしゃいませ」


 私達の来店に反応して、最近では聞き慣れた維澄さんの声が狭い店内に小さく響いた。


 低くて綺麗なアルトの声。


 頭では、今の状況が自分にとって極めて危機的だと分っていても”その声”を聞いてしまうと、心のどこかがときめいている、ちぐはぐな自分がいた。


「檸檬?どうしたの?店舗口から来るなんて……」


 維澄さんは私のことに気付き”笑顔”で話しかけてきた。最近は、こんな風に維澄さんは私に笑顔を向けることが日常になりつつある。


 でもその笑顔に私はいつものような笑顔を返すことは出来なかった。


「いや、ちょっと友だちと一緒で……」


 私は少し答えに逡巡したが、とりあえず差し障りない”事実”だけを口にした。


 しかし、このやり取りを聞いていた美香が反応しないはずがなかった。


「あれ?檸檬?知り合い?」


「ええ……ちょっと……」


 私は何と答えたらいいか言い澱んでしまった。


 鋭い美香は、私の中途半端な表情をいち早く察知して、怪訝な顔を……”維澄さん”に向けた。


 維澄さんを視線でとらえた美香は、急に険しい顔つきになった。


 維澄さんも、突然向けられた美香の強い視線に当惑してしまった。


 まだ、何も話をしていないのに……


 店内に緊張感が走った。




 そんな重苦しい空気を、無遠慮に壊すようにまたあの人が割り込んできた。


「やあ、神沼さんどうしたの制服で?今日シフト入ってるよね?ほら、早くユニフォームに着替えて」


 渡辺店長は空気の重さは全く計ることができないようだ。


 だからいつも通りのテンションで……


 私がアルバイトをしていることが美香にもろにバレてしまうセリフをいとも簡単に吐いてしまった。



「え?!檸檬?あんた?……もしかして、ここでバイトしてるの?」


「あ……うん」


 私は弱々しく答えるしかなかった。



「檸檬?」


 美香はことさら厳しい顔を私に向けた。


「私、聞いてないんだけど?」


「ご、ごめん。ほら学校にも内緒にしてるから」


「何それ?学校に内緒だと私にも言わないんだ?」


 美香は不満を通り越して、怒りにも似た表情で私を睨みつけていた。


「美香……ちょっと事情があって」


「事情?」


 そういって美香は、また維澄さんの方に鋭い眼光を向けた。


 それはあたかも”維澄さん”がその事情であるかを知っているような視線だった。


 美香はまさか、気付いてしまったのだろうか?


「檸檬?バイト何時までなの?」


「七時まで」


「終わったら連絡して。話てくれるんだよね?」


 有無を言わせない言葉に私は圧倒されてただ頷くしかなかった。


「じゃあ、後で……」


 美香は部活の陸上で定期的に購入してあるのだろ、テーピングを数本買って、怒気の残った目で私を一瞥してから、店を出て行ってしまった。


 店内に残された私と維澄さん。


 二人は凍りつくような表情で呆然と立ち尽くしてしまった。


「ああ、俺はちょっと事務仕事あるから」


 渡辺店長もさすがに”事態”は把握できたようで逃げるようにスタッフルームに戻ってしまった。


 この緊張感の中、先に口を割ったのは以外にも維澄さんだった。


「さっきの娘……友だち?」


「え、ええ……同級生の浅沼美香っていいます」


「そ、そう……」


「ご、ごめんなさい維澄さん、お騒がせして」


「いえ、そんなことはぜんぜん……」


 維澄さんは顔を左右に振りながら、小さく答えた。


 維澄さんは、全く悪い訳ではないのに、美香の鋭い視線を向けられてしまったからなのか……


 原因が自分にあるかのように申し訳なさそうな顔をしてしまっている。


 美香にこのバイトのことを黙っていたのは、私が維澄さんとの関係を二人だけの秘密にしておきたかったというワガママに原因があった。


 確かに維澄さんが原因であることは間違いではないけど、そのことを知らない維澄さんに怒りの矛先を向けるのは見当違いだ。


 それなのになんで美香はあんなに維澄さんを睨んだのだろうか?


「ずいぶん彼女怒ってたみたいだけど大丈夫なの?」


「まあ、実はあまり大丈夫じゃないんだけど……」


 私は苦笑しつつそう答えた。


 その表情を見た維澄さんがまた心配そうな顔をした。


「維澄さんは心配しないでください。美香は中学から一緒の親友だからなんとかなると思います」


「そう。親友なのね」


「そうですね。まあ学校では唯一無二の存在かも」


 私は維澄さんにヘタに心配してもらいたくないので、ことさら明るい顔でそう答えた。


 しかし、むしろ維澄さんの表情が暗く陰ってしまったのが気になった。


 すると……あれ?


 維澄さんは胸を大きく上げて、深呼吸をしている。呼吸を吐く時には眼を閉じて気持ちを落ち着けるようなしぐさが見て取れた。


「維澄さん?もしかして体調悪いんですか?」


「だ、大丈夫」


 その言葉とは裏腹に、顔色が見る見る蒼白になっていった。


「ちょっ!ちょっと……大丈夫ですか?」


 私は慌ててお客さんの為に用意されているパイプいすを持ってきて維澄さんを座らせた。


 維澄さんは何度か深呼吸をいているが、額からは汗がにじんでいる。


「て、店長呼んできますね」


「いかないで!檸檬」


「え?」


「だ、大丈夫だから、直ぐに収まるから」


 維澄さんは私の手を強く掴んでしまって、私はつい店長を呼びに行くことができなくなってしまった。


 維澄さんが私を呼びとめた声と、強く握りしめた手に私の胸は狂おしいばかりの熱を帯びてしまった。


 維澄さんがこんなに辛そうなのに、私は。


 私は不謹慎に興奮してしまった自分をなんとか抑え込みながら、注意深く維澄さんの様子をうかがった。


 維澄さんは少し安心したのか少しづつ顔色は血色が戻ってきた。


「維澄さん、どこか悪いんですか?」


 いやこの症状、覚えがある。おそらくパニック発作だ。私も中学まではこの症状に随分悩まされていた。


 そうか維澄さんもそうだったのか……


「ちょっと、疲れると貧血気味になるから」


 維澄さんは誤魔化すようにそう言った。


 私といい、維澄さんといい、今日は二人そろって具合悪くなるとか……。


 二人ともメンタル弱すぎだな。


 でも、私の場合は仕方ないと思う。


 だってずっと気になっていた維澄さんの”過去”についに近づいてしまったのだから。


 しかも上條社長という敵う気がしない『恋敵』の出現は、あまりにショッキングだった。


 それにしても、維澄さんは何がそんなに精神的に堪えたのだろう?


 美香の存在?


 最近、私の前ではかなりオープンになってきていたから忘れていたけど、維澄さんはまだ私以外の他人を必要以上に警戒してしまう傾向が直っていないのかもしれない。


 だから力のある”視線”で迫ってきた美香に大きなストレスを感じてしまった。


 う~ん、はたしてそうなんだろうか?


 私は自分なりにそんな解釈をしてみたがどうも納得はできない。


 ”ちょっと違う気がするなあ~”


 はっきりとした理由がある訳ではないがこの解釈はどうも違和感が残る。


 だって美香の維澄さんに対する敵意とか、維澄さんの極端な動揺とか……


 もう私には理解不能。まったく付いて行けない。


 …… …… ……


 今日の私は、自身の動揺からアルバイトは休む気満々だったのだが……


 美香の出現によって状況は一変してしまった。


「維澄さん……今日は私一人で何とかしますから、もう仕事上がってください」


 私は維澄さんの体調を気遣ってそう提案した。


 維澄さんの体調が、パニック発作によるものなら……おそらく少し休めば”肉体的”には問題はないとは思うが、おそらく”精神的”に仕事は無理だ。


 だから仕事を休むつもりだった私が、私が維澄さんの分まで一人で頑張るということを提案せざるをえない。


「だ、大丈夫よ……檸檬、直ぐ良くなるから」


 維澄さんは、そう強がって言ったみたものの……


 さっきから握りしめている私の手を一向に離そうとしないことに本人は気付いているのだろうか?


 そして、まだ不安そうな眼を私に向け今にも泣き出しそうな顔をしている。


 毎度思うのだが見た目は確かに美しい大人の女性でもこうして見ていると、儚げで頼りない少女にしか見えない。


 だかは私はまた ”この人を護りたい”その思いに駆られてしまう。


 17歳の私が7つも年上の女性に向ける気持ちとしてはちぐはくかもしれないがこの拭えきれない気持ちに、また心がざわつく。


「いいから……今日は休んでください」


 私は幼子を諭すようにそう言葉を掛けていた。


 維澄さんは、一瞬何か言いたげに口を開けかけたが……思いとどまり、下を向いて……


「ご、ごめんなさい」


 と消え入るような小さな声でそう応えた。


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