事件
私が維澄さんが勤める小さなドラッグストアのアルバイトをはじめて半月ほどが経ったころある事件が起きた。
私は夕方16:30~19:00閉店までの勤務。
午後のシフトはほぼ私と維澄さんの二人だけ。
かといって仕事で発生する必要最低限以外の会話がないのだが、私にしたら好きな人と二人でずっと過ごせる幸せな時間には違いがない。
私が勤務する夕方の時間帯は隣接する食品スーパーからの流れでこのドラッグストアに立ち寄る人が多く店内は混雑する。
だから一つしかないレジには十数人の列ができることも珍しくない。
通常業務ではレジには一人。もう一人は外回りで在庫チェック、品だし、お客様対応等を行う。
ただレジに並ぶお客さんが増えれば場合によってはレジを二人で対応することもある。
そんな時は狭いレジ台に二人となるので維澄さんと物理的に接近するので、維澄さんには内緒だけど実は、このタイミングを心待ちにしている。
そして働き始めてすぐに気付いたことがある。男性客の割合が、どう考えても多いのだ。
私もドラッグストアの客層なんて調べたことなんてないが、メインのお客さんは普通に考えれば主婦層だと思う。
男性客が女性客を上回るなんて違和感だらけだ。
これ、どう考えても維澄さん目当てだよね?
しかも、私が異常に気味悪いと感じるのが、維澄さん目当てであると思われる男性の年齢層だ。
20代、30代はまだ分かる。百歩譲って40代まで。
それが下は中学生からどう見ても70歳を超えてる老人までとなると異常だ。
維澄さん、どんだけレンジ広いの?と激しく突っ込みたい。
そういえば女子高生にも好かれるみたいだしね?
つまり、男ってどんな年齢であっても綺麗な外見の女性が大好きってことなんでしょうね。
まあ、中学生、高校生が綺麗なお姉さんに憧れるのはいいけど70歳過ぎても20代の女性に色目を使うとか私の理解を超えている。
その日、ある中年男性が、レジを終えてからなかなか帰ろうとせずに維澄さんにまとわりついていた。
男性は背が低くやせ形で色白。髪の毛も少し薄くなり始めている。40代後半だろうか?
この男性がレジを終えた後、偶然にお客さんが途切れたので、その男性はしぶとくその場に居残ってしまった。見た目は神経質でおとなしそうに見えるのだが、維澄さんに馴れ馴れしく話をしてくるのが不愉快極まりない。
維澄さんは、基本愛想は良くはない。
しかし美人というのは得なのか、損なのか、いやいやながらの愛想笑いをしただけで男性には絶大な破壊力を示してしまっていた。
だからこの男性が、何を勘違いしたのか気持ち悪いほどに喜んでしまっている。
「君、いつもマスクしてるよね?ちょっと顔見せてよ?」
そのセリフを聞いた瞬間、私の負の感情がメラメラと湧き上がってきた。
維澄さんは必死にスルーしているようだけど、相手に全く伝わっていない。
完全無欠なモデルIZUMIのイメージなら、私に見せたような完全拒否顔で、こんな男なんか簡単に蹴散らしそうだが、現実の維澄さんは時折世間にもまれていない少女のように弱弱しい態度になることがある。
今がそうだ。ただただ狼狽えてしまっている。
だからその中年男性は、ますます態度がエスカレートしていった。
「維澄ちゃんっていつも”ぶかぶかの袖”だよね?」
そう言いながらなんとその男は維澄さんのロングスリーブに手を伸ばしてしまった。
男の手が、維澄さんの袖に触れそうになって、ようやく維澄さんが驚いたように手をひっこめた。
今までの控えめな躱し方からすると、その拒否感が目立ってしまった。
女性が男性から服を触れられれば、拒否をするのは当たり前だ。
でも維澄さんのリアクションは私から見てもちょっと大げさに映った。
軽く腕をひっこめれば済んだのだろうが、維澄さんは大きく腕を払いのける仕草をしたので、男性の腕が大きく弾かれてしまった。
”あ、これはまずい!”
と思った。
「え?なに?今のは?」
急に中年男性の顔色が変わった。
「ご、ごめんなさい、ちょっと驚いてしまって」
維澄さんは声を上ずらせて、頭を下げて詫びたが男は見る見る不快な表情を顕わにしてくる。
私は、咄嗟に小走りでレジに入り、仲裁の準備にはいった。
緊急コールのスイッチを押せばと思ったが維澄さんは動揺してそれどころではない。だからスタッフルームにいる渡辺店長も気付けない。
「どういうこと?俺を拒否したってこと?レジに閉じこもっていないで出てこいよ」
私はそろそろ苛立ちがピークになっていた。
たとえ普通の大人として受け入れ始めている維澄さんではあるが、私にとっては神聖な女神であることには変わりはない。
それをこの男。
先に手を出してたのはあんたでしょ!
店内の監視カメラの映像があればあの男に非があることは後々証明できる。
もう我慢ならない!
私はその男性に臨戦態勢で距離を詰めた。
しかし、それより一瞬早く維澄さんがレジ台から出てしまった。
そして、なんとその男は維澄さんの手首を掴みにいった。
「ほら、そんな嫌がることないだろう?」
そう言いながら維澄さんの手首を掴み、こともあろうか維澄さんを自分の方へ引っ張り寄せてしまった。
維澄さんはバランスを崩して数歩よろけながらその男の胸に肩が当たる程に近づいてしまった。
私はその映像が視界に入った瞬間、何かがはじけた。
気付いたら私はその男の手を捩じり上げていた。
私は弟の翔ほどではないが、幼少期から中学まで祖父に空手を習っていた。
だから非力な男性の腕をねじ上げるくらいは造作もなかった。
私は手首だけでは怒りのおさまりをつけられず、男性を地面に這わせて肩まで決めてやった。
男は”ギャーッ!”と大声を上げているが、ピクリとも身動きが取れない。
「維澄さん!店長呼んで!」
「え、ええ」
慌てた様子で維澄さんは、スタッフルームに駆けて行き、しばらくするとようやく慌てて店長と戻ってきた。
「店長!遅い!モニタ見てなかったんですか!?」
私はまだ怒りがおさまらない。
いまさら”のこのこ”と現れた店長を見て、思わず怒鳴りつけてしまった。
「ああ、ど、どうしたっての?」
「この人が維澄さんに乱暴しようとしました」
「ら、乱暴なんてしてない!この女こそいきなり乱暴してきたんだ!」
店長は男性の顔を覗き込んで、顔をしかめて”ああ”という顔をした。
なるほど、店長のリアクションから察するに……
この男は常連の”やっかいもの”ということだ。
「神沼さん、一旦離れて、こうなったら警察呼ぶしかない」
「け、警察呼ぶのかよ?」
「ええ、あなたもうちの店員に乱暴されたと訴えるなら、ここで言い争っても解決にならないでしょ?きっちり警察呼んで話つけましょうよ」
店長もこういう時はさすがだ。
ちょっとしたドスを効かせて”啖呵”を切ると、相手を震え上がらせるには十分な効果があったようだ。
「ちっ!こんな店二度とくるかよ!」
そう捨て台詞を残して、結局その男は、逃げるように店を後にしてしまった。
ただ、私はまだ気持ちの収まりがつかず、それでなくとも目つきの悪い目で、店長を睨み続けていた。
「ま、まあ、神沼さん。気持ちはわかるけどちょっとやりすぎだよ。地べたに押さえつけなくても、刃物持った強盗じゃないんだし」
「なに暢気なこと言ってんですか?女性が触られたんですよ?公然猥褻で引っ張れるレベルでしょ!!」
「まあ、確かにあの男は問題あるけど、ほらこういった商売だから……あまり……ね」
言いたいことはわかる。
私が押さえつけるまでもなく私がスタッフルームに先に駆けこんで店長に声を掛ければこんな大事にならず店長が適当に宥めてすんだのだろう。
私の感情にまかせたある意味"暴力行為”はとても褒められたものではないのかもしれない。
「まあ、でもよかったよ。これくらいですんで」
そう言いながら、これ以上私を責めることもなく、苦笑いをしたまま店長はスタッフルームに戻ってしまった。
でも私も気持ちは少しも納まってくれなかった……




