リリエンス嬢の庭園の中
俺は10歳の頃からの記憶がない。なにか精神的ショックを受けたのか、頭を強く打ったのか、それはわからないがとにかく記憶がない。
今年で19歳だからもう9年も前のことだ。
だがそれを不幸に思ったことはない。なぜなら俺は名家ロザンヌ家の執事をかれこれ9年間やっているからだ。
ロザンヌ家はアルバール王国に長年、使える名家であり、特に武器開発に関しては大陸随一の技術力を有すると言われている。つまりロザンヌ家に仕えることは民衆にとって最大の誉れである。
しかしロザンヌ家の令嬢であり、次期当主のリリエンス=ロザンヌは性格は傍若無人、それでいて難儀、機嫌をとるのは容易ではない。にも関わらず常時機嫌が悪く、例え機嫌がいい日でも些細なことで機嫌を悪くする。
仕えてる人は心穏やかな日など皆無だ。そのせいでこの家に仕える名誉を手に入れても数ヶ月で挫折して故郷へ戻る使用人も多い。
俺はそれをとめたりはしない。辞めたいやつは辞めればいいし、それで辞めるようなやつは元々、ロザンヌ家に仕えるのは向いていなかっただけだ。
それでも辞めれるやつはいいと思う。つまり彼らには選択肢があるのだ。ロザンヌ家に仕え名誉を手に入れるか、故郷でゆっくり楽に働き、生計を立てるかの少なくとも二択が。
俺はそんなもの始めから持っていない。ロザンヌ家の執事を辞めれば、遅かれ早かれ路頭に迷い、やがて死を迎えるだろう。それくらいなら……、そんな気持ちで俺はここで働いている。
「マクネル、アフタヌーンティーの時間よ」
色んなことを考えていた頭にその涼やかな優美な声が響く。
振り向くといつの間にか、屋敷の庭の美しい装飾が施された椅子にロザンヌ家次期当主、リリエンス・ロザンヌが足を組んで座っていた。
「はい、すぐに。スコーンは何に致しましょう?」
その俺の質問には取り合わず、目をつむって自然の音に耳を澄ませているようだ。
これが多くの使用人が去った理由の一つだ。リリエンス嬢は多くを語ったりしない。それは傲慢とも見てとれるが、実際はそれに見合う実力があるからこその振る舞いだろう。
それに使用人たちは堪えられない。この滲み出る「自分を理解しろ」の感情。これは初めてであればあるほど、理解しがたい。
しかし9年もここにいる俺にとってはそれを苦とは感じない。もちろんリリエンス嬢の日常の課題は簡単ではない。だがもう慣れた。慣れれば別に何も怖くない。
俺は屋敷内にある厨房へ行く。そこにはロザンヌ家お抱えのシェフがおり、料理に関してはその人らが全て担当する。俺は何をするかというと
「チョコレートで」
スコーンのクリームのチョイスする。その一言を聞いた瞬間、すぐにシェフたちが動きだす。
これがベストなはずだ。リリエンス嬢は気まぐれであるため、このチョイスはベテランでないと難解だ。だが気まぐれの中にも法則性は見えてくる。
まず二日連続で同じものを食べたりしない。次は朝食と昼食のメニューに大きく左右されるということ。二日連続で同じものを食べないのと同じように、朝食や昼食で似た系統の食べものが出ると大体、拒絶する。
そして最後が一番の肝であり、初心者が陥りやすいミスだが、それはこの上記のデータを完全に鵜呑みしてはいけないということ。繰り返すがリリエンス嬢は気まぐれだ。法則性などあってないようなもの。ただの傾向にすぎない。
今日のチョイスは正にそれを元にしてる。ショコラケーキが朝食に出たが、それでもクリームはチョコレートにした。
それは何故か。単純に朝のリリエンス嬢は、ケーキを食べたときに機嫌が良さそうだったからだ。表情はいつも通りの冷淡なものであったが。その微細な変化がどうして分かるのか。それはもう長年の経験からくる直感としか言いようがない。
そんな今日のチョイスの理由を考えている内にティーセットとスコーンを持ったシェフが厨房から出てくる。それを俺に渡してくる。
俺は素早く、だが慎重にそれをリリエンス嬢のもとへと運ぶ。リリエンス嬢は出来立てを好む。少しでも冷めてたりしていれば、それだけで受け取らないことも多々。
「お待たせ致しました。アフタヌーンティーです」
そう言って俺はリリエンス嬢の前にあるテーブルにそれらを置く。その瞬間。
リリエンス嬢はスコーンの皿を手ではらって、庭の地面へと落とす。ガシャリと大きな音を立てて皿が割れる。
「はあ……」
リリエンス嬢が一つため息をつく。そして同時に持ってきたアフタヌーンティーを一口。……ああ、なるほど。お気に召さなかったのだな。
こんなことは日常茶飯事だ。むしろここでめげてはいけない。初心者はこの扱いに堪えられなかったり、評価が下がったことを危惧して精神的にきつくなる。
だがリリエンス嬢は自分以外の人間など取るに足らないと思っており、いわば評価は始めから底だ。ならばミスをすることは恥ではない。むしろ挽回しないことこそ恥であり、リリエンス嬢が最も憤怒する行動だ。
「すぐに取り替えて来ます」
そして素早く庭の地に落ちたスコーンとそれが載せられた皿をきれいに回収して、すぐに厨房へ戻る。
「すいません、これを処理して頂けますか? それと新しいスコーンを焼いてください」
シェフは無言で頷き、それを受け取る。
とりあえず、することはスコーンの新しいクリームのチョイスだ。多分、リリエンス嬢は機嫌を崩している。ならここでいつも出しているようなスコーンのクリームでは全く駄目だ。
挽回をするならよりいい逸品で。そのため俺は冷凍室へと向かう。
冷凍室は広大な屋敷の北東の端にある。遠いので屋敷内を疾走する。急がなければ。紅茶が冷めてしまう。しかし全力疾走で疲れたりはしない。ロザンヌ家の執事は一流でなければいけないから。
すぐに屋敷の端の冷凍室へたどり着く。息はあがっていない。日頃の筋トレの成果だろうか。
冷凍室のパスコードを入れる。重々しい音がする。開いたようなので、銀行の金庫扉のような重々しい扉を開け中へ入る。
中は倉庫のように何段もの棚があり、そこに様々な冷凍保存用の食料が置かれている。リリエンス嬢の食料が置かれているのはもちろんのこと、自分たち使用人の食料も置かれているのでかなり室内は広い。
近くにジャンパーがかけられていたので、ありがたく頂く。我慢できないほどの寒さではないが、やはり寒いものは寒い。あるなら遠慮なく借りてしまおう。
代わりのスコーンのクリームを求める。この屋敷に運ばれる物品も使用人が管理している。たしか高級なクロテッドクリームが最近、運ばれたはずだ。
それを探しているがこれだけ広いと中々、見つからない。と思っているうちは、まだこの屋敷に不慣れな使用人と同じだ。冷凍室内は食料の種類によって場所が決まっており、クロテッドクリームはチーズであるため乳製品。
ならそれは冷凍室の三階にあるはずだ。
上に行くために梯子に手をかけて登っていく。
冷凍室か……。久しぶりに入ったが、意外に掃除されていないな……。食料の入った部屋だ。埃があるのは衛生上、よろしくない。今度、掃除しよう。
そんなことを考えている内にクロテッドクリームがある場所に辿り着く。そこからは早かった。すぐにクロテッドクリームを見つけ、それを取る。
そして梯子に足をかける。だがその足は空を切る。
一瞬、その梯子が見える。冷凍室の仄暗い明かりを受けて、反射している。どうやら凍っていたみたいだ。誰だよ、こんなところに水とかを溢したやつは。
一気に三階から一階へ落ちていく。その瞬間は刹那な時間だったとは思うが、色んなことが頭に浮かんで消えていく。これは走馬灯なのだろうか。
それはどれも見たことのあるつまらないものだと思ったが、ある一つの景色だけ見たことがなかった。これは、なんだ?
とても気になったがそれを考える暇などない。気づけばもう地面が近い。
「がっ」
大きな音を立てて、地面に衝突する。酷い痛みが全身を駆け巡る。落ち方が悪かったようで受け身をとることができなかったことに加え、頭から落ちた。体は全く動かない。
頭から何か温かいものが流れ出るのを感じる。それを確かめようとなんとか手だけ動かし、頭を触る。案の定、べたりと液体のようなものがつく。
それは血――、ではなかった。リンパ液のような黄色がかった透明な液体が手に付着していた。
「なんだ……よ、これ……」
訳がわからない。血は出ていない。だが自分の知らない何かが漏れ出てれいる。それは恐怖以外何者でもない。
なんとかして体を起こそうとする。身体中が痛いというより動かない場所が所々あるという感じだ。それを我慢し、起きて床を見る。
そこには何かの部品のようなものが散乱し、液体まみれになっていた。液体は自分の頭から漏れでたものと同質に見えた。それらはどうやら自分の頭から出ているようだった。
「遅いと思ったらこんな所にいたのね、マクネル」
不味い。まずいまずいまずい。動けない身体ながらも身体中に警報が鳴り響く。これを上手く隠さなければ俺は――。
だが身体は自由にはならず、ただあたふたした一人の人間がそこにいた。リリエンス嬢の目には、それはそれは見苦しい姿をお見せしたことだろう。
「いや、こ、れはで、すね……」
弁明をしようとするが、脳が衝撃を受けたせいか言葉を継ぐことができない。それどころか徐々に頭が回らなくなっているのを、まざまざと感じる。
「説明なんて必要ないわ」
そう言って、俺にゆっくりと近づいてくる。そうして自分の周りの散らばった破片を一つ拾い上げる。それを見てふふっ、と軽く笑う。こんな表情は九年間、一度たりとも見たことがなかった。
「……触った、らお手が汚れま、すよ」
なんとかそう声をかけるが、それに反応することなく
「意外と長く続いたものね」
と小さく呟く。一瞬、意味がわからなかったが、まさかと思う。いやそれは声に出てしまっていたようで。
「勘がいいわね。さすが私に8年間仕えただけあるわね。あら、9年間だったかしら? まあ、いいわ」
「リリエンス様は俺を……いや、俺たちを飼っていたということですか?」
おどおどと訊いてみる。回らない頭で辿り着いた結論を話す。どうか辿り着いた結論が間違っていてくれと願いながら。だがそんな期待などこの令嬢の前では無価値に等しい。
「そうね。あなたもここは長いし、知ってることでしょうけど、ロザンヌ家は代々、兵器開発に尽力してきたわ。戦車、銃、化学兵器とかね。
でも今、一番力を入れているのはそれではないのよ。あなたは戦争に行ったことがないから、わからないでしょうけど」
話がまるで見えてこない。リリエンス嬢が言うことからわからないのも当然かもしれないが。しかしリリエンス嬢は自虐的な笑みを浮かべながら丁寧に説明してくる。
「最近は兵士を遠隔操作しながら、戦争をすることがポピュラーなのよ。自立式の人形を作ってね」
まさか、その思いで手がわなわなと震える。
「あなたたちはその実験体。まあ尤も成果はあまり良くないけれどね」
何も言葉が出てこない。いや、見つからないのだ。もうこれ以上は。
「その中でもあなたは優秀な方だったのは認めてあげる。でも秘密を知ってあなたが生きていけるほど、重宝もしてないけれど。だから」
そう言うリリエンス嬢の目は暗い光を宿しているように見える。手には小型リモコンのようなものが握られている。多分それは。
「さよなら」
そう言ってボタンを押す。その瞬間、身体中に激しい電撃が走る。
消えつつある意識の中、ある景色を見る。
リリエンス嬢が眼前にいる。どうやら自分は倒れているようだ。
その表情は先ほどと同じような嗜虐的な笑みを浮かべている。しかしその目だけは先ほどと違い、好奇心に満ちていて、明るさを感じる。……ああ、これはきっと。
そう思うもやがてその景色も色を失い、意識と共に流れ去ってしまう。もう、何も見えなかった。
自分は生粋のビビりなのでホラー作品を読んだ日には寝るまで震えあがっています。
そんな自分がホラー作品を執筆する……。今世紀最大のホラーです。
あとこの作品はなろう公式企画の夏のホラー2018に提出します! 評価のほど、よろしくお願いします!