日本人の「すいません」文化
こんにちはthe August Sound です。今回は小説ではなくエッセイです。卒論の筆休めで書いたものですので、楽に読んでいただけたらと思います。
また、なるべく会話時の発音に近くするために「すみません」ではなく「すいません」と表記しております。
突然で申し訳ないが、読者の方は人に話しかけるときなんと声をかけるだろうか。あるいは、人に悪いことをしてしまって謝るときに何というだろうか。
すべて「すいません」と言うのではないだろうか。
この「すいません」の乱用は、これだけではないだろう。感謝を示すときに使ったりもするし、電車の中を移動するときにも使うし、それ以外でも使われている。恐らく、「すいません」は「大丈夫です」と並ぶくらいに使用度が高いと思う。確か前に語学者が「大丈夫です」の乱用に不快感を覚えると言っていた気がする。なるほど、「大丈夫です」は確かに言われてみれば不快感とまではいかないが、違和感を感じる。「レシート要りますか?」「大丈夫です」これを文字にすると異質さが浮かんでくる。何がどう大丈夫なのか全く理解できない。転んだ時などに「大丈夫です」というのはしっかりと「(転んだけれども立ち上がれないとかじゃないくらいには)大丈夫です。」ということにはなるが、レシートはなかなか成立しにくいと思う。もちろん無理やりにでも「(レシートを集めて家計簿をつけているわけではないし)大丈夫です。」とやろうとすればできないことではないが、ここまできたら素直に「結構です」、冷たく言えば「要らないです」のほうがしっくりくるだろう。
さらに言えば「飲み物お茶で大丈夫?」「大丈夫だよ。」こうした会話がなされているときがある。ただ、よく考えてみると質問に対する答えが謎すぎる。お茶で構わないとする「大丈夫」なのか、そもそも飲み物が不要とする「大丈夫」なのかがわからない。確かに会話だったら相手の様子や流れからわかることなのだが、こうして文字として考えてみると違和感を感じる。現にそういう曖昧さを回避するために書きものでは「大丈夫です」をあまり見ないと思う。
ただ、「すいません」の場合は「大丈夫です」に比べて軽傷というか、日本人の良さを表しているようにさえ感じる。「すいません」の使用されている場面は基本的に相手が何らかの行動を発言者のためにやる、もしくはやったときに使われている。つい先日、電車に乗ったときに僕の前に立っていた会社員風の男性のシャツの襟に虫が付いていた。僕はそれを指摘して、次の停車駅でそれを取り外に逃がしたのだが、そのときの会話を今考えなおすと非常に興味深い。
「すいません。首の後ろのあたりの襟に虫が付いますよ。」
「あ、ほんとですか。すいません。」
「僕が次の駅に着いたら捕まえて外に逃がすので、あんまり動かないでもらえますか?虫が逃げちゃいますし。」
「はい。すいません、ありがとうございます。」
―電車が次の駅に到着し虫を掴む―
「すいません。ちょっと動かないでくださいね。」→虫を取り外に出す
「すいません。ありがとうございました。」
さて、かなり「すいません」が出てきたが、それぞれどういう内容の「すいません」かは理解できるだろう。男性は別にどれも謝罪の意味で使っているわけではない。確信犯的に虫をつけていたのなら話は別だが、そういうわけではない。男性は基本的に感謝の意味すなわち「(虫が付いてることを指摘させてしまって・虫を取らせてしまって)すいません。」ということで使っている。一方僕は「(僕の話を聞かせてることになるから)すいません。」という最初の呼びかけと、「(虫を取るためとはいえ、一時的に自由を奪ってしまい)すいません。」という若干の謝罪の念を含んだときの二通りの使用法だ。「すいません」がこれだけ出てきても会話が成り立っているのだから、どれだけ使いなれしているのかがうかがえる。
英語で「すいません」というのを表すと、excuse meやthanks、sorryなどになってくる。excuse meは、話しかけるときや、電車の中を移動するときなど、比較的多くの場面で使うのでより「すいません」に近いのだろうが、でも、やはり日本よりかは確実に使い分けている。ある意味、ここまで単一の言葉で通じ合えるのは珍しいと思う。
この「すいません」の多用と「大丈夫です」の多用の差はなにか。それは、それに代わる言葉が少ないものと多いものということだ。「大丈夫です」に関しては、結構です、問題ないですなど探せば、その状況で的確に反せる言葉はいくらでもある。それに対して「すいません」は謝罪時のごめんなさいぐらいしか的確なものはないように感じる(僕の語彙力不足の可能性も十分にあります)。もちろん話しかける場合に「あの、ちょっといいですか?」などは可能ではあるが、短いもののほうが会話においては重宝されるので正解ではあっても的確ではないように思う。つまり、「大丈夫です」に関しては言葉を用いる側が楽をするためにそれを使い始めたのに対して、「すいません」はもともと選択肢が少ないものにそれをあてはめた結果であるのではないだろうか。
それにしても、「すいません」という言葉が、発言者が他人に何らかの影響を及ぼすときに使われるのはやはり日本人が他者を重んじるからなのだろうか。相手に話を聞いてもらう、何かをしてもらう、悪影響を与えたときに謝罪するなどなど、どのような場合においても他人が何らかの影響を受けている。そういう観点からみると英語のように場合分けせずに、謝罪の意味を持つ「すいません」を多用するのは日本人の他者中心主義の表れだと言える。
「すいません」の多用は、あるいはそこまで悪いことではないのかもしれない。