軌道修正をしやすい
随分と考えてみたが、冒頭の佐藤愛子やC・ヒルテイが言う通り「幸福とは何か」の答えは難しいようだ。そもそも「幸福」という言葉からして人が作ったものだから、幸福なんて世の中に本当にあるのかどうか疑わしいし、目に見えないだけにさらに疑わしい、と考えている。抽象的過ぎる。
証拠に世には宗教が「幾つも」あるではないか。宗教とはこの世に存在しない幸せを、掴みたいと願う団体の場ではなかろうか。宗教がはびこる(?)限り、不幸は世の中から滅びないだろう。
幸せとは一体どんな風なもので、何種類あるのか、ひょっとしたら数式で表せるかも知れないし、見つけたら人とやり取りや売買が出来るかも知れない。そうなれば便利と思ったりもするが、幸せの定義はやっぱり難しい。だったらーーー、と代案を考えてみた。幸せをひとまず横に置いて、違う方向からアプローチするのも一つの知恵だ。
もし幸福と言うものが本当に世に「存在するならば」と仮定をしよう。その「場所は何処か」の問いならば、案外易しく答えられるかも知れないと考えた。カール・ブッセの詩の通り、場所として「山の彼方」でない事が確かなら、何処の場所に在るのか?
「在りか」を知る考察は、決して無駄では無い。もし途中で道を誤って「不幸の方向」へ歩みかけたとしても、幸福の「在り場所」が分かっておれば正しい道に戻れる筈だから、暗闇でも軌道修正が出来るし、それだけでも値打がある。




