◎第九十一話:「幸せの(論理的な)在りか」の話
◎第九十一話:「幸せの(論理的な)在りか」の話
新聞を読んでいて新刊本「幸福とは何ぞや」(佐藤愛子)の広告を見た。確か著者はかなりの高齢だと思うから、今更「幸福」を究明したところでもう手遅れかと思うのだが、本人は書くのが仕事(商売)だからやっているのだろう。幸せな著者だーーー。
一方で筆者は最近充分幸福だから、読む必要はなさそうに思う。もし筆者の配偶者に尋ねたら、彼女は天邪鬼だから、「もう充分に不幸で取返しがつかない」から読まない、と言うに違いない。
若い頃C・ヒルテイ(スイスの思想家)の「幸福論」というのを、読んだことがあったが、内容は忘れてしまって、残っているのは書名だけ。大した感銘を受けなかった証拠だ。
覚えている詩がある。高校時代に国語の授業で強制的に暗記させられたから、筆者以外にも多くの人が知っていると思うが、ドイツの詩人カール・ブッセの「幸せ」の詩である。和訳は上田敏の名訳と言われている:
山の彼方の空遠く
幸い住むと人の言う
ああ、我ひとと求め行きて
涙差しぐみ帰り来ぬ
山の彼方のなお遠く
幸い住むと人の言う
こんな素敵な詩が書けたならいいなーーー、と思う。筆者の解説など蛇足とは思うが、詩心の無い人もたまには居るかと思い、解釈を試みる:
山の遥か向こうに幸福があると人が言うから、友達と探しに出掛けてみた。けれども、そこに幸福は見つからなかった。ガッカリして帰って来たけれども、人はやっぱり山のもっともっと向こうに幸福がある、と言っている。
この詩には人生の哀しみがある。
この歳になってもそらんじている位で、筆者はこの詩が好きである。
と言った処でーーー、さて質問:(山の彼方に無いならば)「幸せ(幸福)は一体何処にあるのか?である。幸せ探し、これが今回の解決すべきテーマで、主題の通り。




