賢い女
「自己信頼」とか「自信」とは何かを見て来た。進化論の影響があるかもしれないが、曖昧なもののように見えて実際にはそうではないと判る。初めから自分の能力を信じる自己信頼が存在する訳ではなく、それは仕事を通じて得られる達成感という結果が自信であるようだ。
「一生の仕事を見い出した人は幸福である、他の幸福を探す必要が無いから」という言葉があるが、その中心には押しもおされぬ自信がでんと構えている。
手を広げず方向を見定めてエネルギーを集中するのも一つの手で、若くして自信を得た実話を紹介しよう:
もう十年以上も前になる。通っているジムのプールで筆者に水泳(主にクロール)を教えてくれたインストラクターが居た。お陰で筆者は恰好いいクイックターンも出来るようになった。鳥取県産で当年23歳の彼女は体躯も逞しく、県代表として水泳で国体にも出場した実力者。「自信」に満ちていたのは当然で、教えられながら筆者は貧弱な裸を彼女から見られるのが恥ずかしかったものだ。
筆者が教わったクロールのレクチャーとは別に、彼女の自己の得意競技、つまり専門はバタフライであって、国体出場もその種目だった。
「どうしてバタフライなんだい?」とある時筆者が訊くと、こう応えた。
「みんな、クロールや平泳ぎが好きよ。クロールなんてスピードが出て格好いいじゃない?」
「うん、確かにねーーー」
「でも、例えばクロールで人よりタイムで抜きんでようと思えば、そりゃ大変よ。なにせ選手が多いんだもの」
「なるほどーーー」
「バタフライの選手は、クロールに比べたら遥かに少ないわ。少ないから、ちょっと熱心に練習したら上位に行けるのよ。だから、バタフライを選んだの。ウフフーーー」
クロールがカッコいいのを知っていて、彼女は内心ではやりたかった筈だが、それを押し殺してバタフライに切り替えて国体出場の栄誉の「方向」を選択した。たまたまそういう巡り合わせだった、訳ではなかったのだ。彼女は確たる自信を「手に入れた」事になる。
チャンスは何処か分からない処にあるのではなくて、頭を使えば身近にあるのを教えて呉れた。賢い女だ。鍛えて均整のとれた美しい肢体を眺めて結婚したいと思ったが、歳が違い過ぎた。




