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登山に病みつきになる

 小学生の時代は、卒業すれば(考えなくても)A中学に進学すると決まっていたし、中学生になればB高校を目指して勉強し、その次はC大学を目指すーーーと一般的にこんなプロセスをとる。このプロセスの中に住む限り、ちゃんとした目標が身近にあり、「進む方向が分からないから不安だ」という疑問は起きない。目標へは一本道で大抵の道には道しるべがあり、相談する親がいるし先生も居る。


 山登りがこれに似ている:登山をする時、目標無しに登る事はない。大概頂上を目指している。もし道が二手に分かれた分岐点で迷った時、谷へ向かいそうな方向は選択せず頂上らしい方向を判断して歩く。目標が分っているからこそ軌道修正出来るのだ。ここは重要な点だ。

 また、体が辛くなったから登山を途中でやめようかなーーー―という気に一般にはならない。これらは頂上という目標が何時も念頭にあるからで、何とかそれを貫徹したいと考えているからだ。


 老いも若きも多くの人が(筆者も含めて)登山に病みつきになるのは:目標があり進む方向が分っていて、達成感がある。この三拍子が、体が辛いという障害(=努力)を乗り越えさせるからだろう。


 けれども学校を卒業してついに社会に放り出された時、道はもはや一本道ではなく百本道となり、道しるべも無い。しかも、頂上が分からず向かうべき目標が分からないーーーとなる。これには可成り慌てて、「自信たっぷり」な人はめったに居ない。


 具体的に言えば、一旦大企業に就職すれば仮に自分には不本意な仕事だったと判明しても「よう飛び出さない(=辞めない)」人が多いのが現実だ。これは自分の中に確たる「自信が無い」せいと言える。(飛び出して)選りによって間違った選択をすると人生でスカを食いそうだと心配になる。多くの人がそうだと、つまり自分に自信がないのだと筆者は指摘したい。


 目標を目指して輝かしい戦果(=達成感)を挙げたいのに道を誰も教えて呉れない一方で、何もかも一人で決めないといけないのだ。社会へ出てから、少なくとも筆者の場合これは大きな不安で、自信の無さの表れであった。 


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