思考力の源泉
①身長が180と聴けば、(自身の身長と比較して)ああ私より大分背が高い、素敵な足長おじさんねーーー、友達になりたいなとなる。②町中で100坪の敷地と聴けば、(年収を聞かなくても)お金持ちに違いないーーーと推測し(自宅の敷地と比較して)そう判断している。③サランラップ50mがA店で200円と聴けば、3割は安いじゃないか、買わなきゃ損々ーーーと判断して、今日の買い物コースは遠回りだがA店でしようと思考する。
④中学生だって、自分の理科の得点がクラスの平均値(数字)と比べて高ければひとまずホッとして、やっぱり努力は報われるんだーーー、人生は捨てたもんではないと哲学的思考をする。
上に挙げた①~④の例に、共通して大切な事が二つ含まれているのにお気づきだろうか:
1.人は無意識に自分が手持ちしている基準の数字と比較して、喜んだりガッカリしたり判断したり、そして行動している。これが人の生活だという点である:「毎日の生活=数字の比較作業」
人間が犬や牛と違う処。
2.次に、数字を覚えている事(=例えば、自分の身長が157センチと仮定すれば)が、即ち誰かの身長(180の人)と比較する事に繋がり、結果として「友達になりたい」と思案したり思考している点である。
★ここで大事なのが:もし自身の身長の数字を知らなければ、巻き尺で計測して157センチと知るわけだが、その時点で初めて180の人を羨ましいと「思考を開始する」訳ではない。計測する間に本来の熱は冷めてしまう。
自分の頭の中にある「こなれた」数字と、調べて初めて判る数字との間には、結果的に同じ数字であっても違いがある点だ。だから先に言った「(知らなくても)ネットで調べたら判るじゃないか」は、次元の違う話でお話にならない: 「数字を知っている事=思考力の源泉」だからだ。とても大切な点で、もう一度出てくるから覚えておいて欲しい。
九九を覚えてなくても電卓で直ぐに計算できるじゃないかという人に、まともにスーパーで買い物が出来るか?というのと同じだ。




