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アカンタレ

22. アカンタレ


 けれども、先の二通りの挨拶だけでは数が足りなくなった。原因は心や憎し、あの女であった。山で尻尾を巻いて私が逃げ戻ったのがそれで、事件の性質上先の挨拶のいずれの美学にも属さない。確かに女の子の前で、私は涙を見せはしなかったものの、逃げ戻った行動は「泣いたも同然」の負け犬。

 事情を知らない他人は誤魔化せても、少なくとも彼女の目だけは、「泣いた」のをちゃんと知っているーーーー、という気がした。


 そんな弱虫に比べて、あの女はどうだったか。日頃クラスで決して目立たず、一番温和しく、むしろ弱い者にさえ見えていた。それがどうだ、狼の出そうな恐ろし気な山中で実に平然とし、びくともしなかったのである。私は心底恥じ入った。


 辛うじて残っていた最後のプライドが、根こそぎやられた。事件の翌日からこれが私を苦しめ、彼女の前によう姿を晒せなかった。女は思ったに違いない:「お前は、正真正銘のアカンタレ!」

 彼女は私の弱虫を、面白おかしく仲間におしゃべりする性格ではない。事実、級友へも女先生へも、無論親にも、この「泣いたも同然」の私の醜態はバレなかった。子供心ながら、強い恩義と女の情けを感じた。


 一方で彼女の姿を見るのは、自分の「アカンタレ」と正面から向き合うようなもので、これが辛い。出遭わないように学校から帰宅する道を変え、懸命に彼女の目から身を隠そうとした。同時に、山の事件を自分の記憶から消そうと努めた。


 けれどもーーー矛盾しているが、幾ら相手の姿を拒否しても、或いは拒否すればするほど、山の中の景色が一層鮮明に意識へ登り、自分に向けられた女の子の静かな瞳を、記憶から拭い去ることが出来なかった:アカンタレーーー、と私の心の中で女は言い続けたのである。


 ただ、後から思って、不思議な事が二つある。

 先ず、山の事件を境に以後、私は苛めっ子らに泣かされる事が無くなったのである。次に、医院でカルシウムの注射は依然として継続したが、右腕に刺さる針がグサリと震撼するほどの激痛でも、一切ベソをかかなくなった。むしろ、蚊が刺す位に平然となった。看護婦が不思議そうに呟いた:「この子は、急に大人になったーーー」


 女が私の中へ秘かな魔法で、何かを注入したのは確かであった。突然天から降ってきたような、幼い男女の間に起こったさざ波のような一瞬の恋。山へ導かれ、叩きのめされたはかない結末であった。


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