第二章: 消えた女
21. 第二章:消えた女
事件を切っ掛けに、私の人生はここから始まった:
1.男の美学
先に書いた通り、私は小二の当時腺病質でしょっちゅう大病し、苛めっ子に泣かされたり、カルシウム注射の痛さでべそかいた。自分が他の子供たちより劣っているのを、子供心に自覚していた。だから、子供時代、のどかな笑いを振りまく経験は決してなく、楽しいものではなかった。
自信が無く、何をするにも引っ込み思案。けれども、妙なプライドがあった。苛めっ子に泣かされた時、泣きながら内心で毎回自分にこう言い訳していたのを覚えている:
「自分が今泣いているのは、ぶたれた痛さの為に苦痛に耐え切れず、泣いているのでは決してない。実際、何処もヒリヒリせず、少しも痛くも痒くもない。自分は本当は弱虫ではないのだ、だから痛さという「低級な理由」で泣くなんて事は無い。泣くのは、バクテリアに蝕まれて病気ばかりして、やり返す「腕力の不足」の無念さに、悔しくて溜まらず、「男泣き!」をしているのだ。大元はどれもこれもバクテリアのせいである」
そんな風に、泣くのが反って男らしい「英雄的な現象」位に考えていたから、一旦泣き出すと「男らしさ」演出の為に、途中やめ出来なかったばかりか、シクシクとはやらず反って大声で泣いた。切ない「男の美学」が、さんさんとあったから小二にして早や私は、高等な哲学者の境地に達していたのだ。
次に、医者と看護婦の前で、カルシウムの注射でベソをかくのは、本当に耐えがたい物理的な激痛の為である。少なくとも他の子供は、こんな残酷な目に合わされる事はない。だから「痛さ」の為に他の子供が泣くか泣かないは、やって見なければ分らない訳で、比較するデーターも証拠も無い。
証拠が無いのなら、私が少々ベソをかいた所で充分許される。それどころか、子供一人対(看護婦を含めた)大人二人の対決姿勢として、相手に勝ちを譲ってやっても、男のプライドは傷つかない。そう考えて、医院で泣くのは大人に勝ちを譲る「美徳の精神」に基づいていた。
こうして同じ泣くに見えても、「男の美学」で泣くか、「謙譲の美徳」で泣くか二通りの挨拶を、私は使い分けていたのである。
 




