成功物語の陰で語られる事は少ない
起業するために筆者は無論それなりに努力はした。けれども、①小さな会社に入り②セールスマンになるという運に恵まれなければ、トップセールスになるチャンスも与えられなかった。限られた長さの人生に、何度でも大きなチャンスがある訳ではない。
(本人は認めたくないが)筆者の成功は運が七割だった。本当は「人並以上の優れた才能さ」と言いたい処だが、多目に見積もっても才能の部分は精々三割程度で、決してそれ以上ではない。才能があっても才能だけではだめで、運に比べたら、大したランクではないと振り返って思う。無論ーーー、こっち側に運を引き寄せる様に努力はしたけれども。
世の成功者の多くが「(大なり小なり)運を掴んだ結果」と筆者は見ている。輝かしい戦果を挙げた時、私達は自分にその「資質があったから」と思いたがる。そんな見えを張るのは人生の楽しみの一つでもあるから、非難する程ではないにしても自覚の無い人は多い。
世に「偉い人」と評される人達を、どれもこれも筆者が大して尊敬しないのは、自分の人生と引き比べた結果である:なに、大した違いは無いと思ってしまうのだ。
運が七分で才能が三分としても、独立の道を歩むのはどの方面であっても苦労が多いのは確かだ。でも、やり甲斐があるよ、と安易な言い方はしない。それは上手く行った人だけが言える結果論で、七分の運を掴めなければ命までは取られないが、夜逃げで人生を失う事もある。
最後に、起業の成功物語の陰で語られる事は少ないが、人間だからこそ忘れてはならない大きなファクターがある:外でもなく、結婚問題である。パートナーが居るし家族も出来るから、少なくとも身軽ではない。結婚が起業の目的に大きな助けになる場合と、逆に障害になる場合の二通りある。起業が為に、家庭が不幸に至ったケースを筆者は身近に何件か見ている。痛ましいもので、成功しても意味が無くなる。起業に付帯する人生の複雑さである。




