高知名産の大きな文旦
退屈どころの話ではなかったが、この時Lさんが手元のノートに何か描き始めた:ボールペンで落書きをしていたのだ。考えてもどうにもならない事態に、彼女の存在は損得に無関係に見えた。筆者の目にはそう見えた。
時々十センチばかりの手持ちの物差しも使って、数分でノートの中に描き上げたのは当の部品のスケッチ図らしかった。そんなものが何になる、描いても仕方あるまいにーーー。更に詳細な寸法も書き入れた後に、完成したスケッチをスマホでパシリと写し取ったのである。最近のスマホは高画質だ。
一体何をしているのかといぶかっていると、同じスマホを使って知り合いであるらしい大阪の鉄工所(ウチの会社は神戸市にある)へ電話を入れたのである。時間的に鉄工所は終業しかけていた筈だ:「社長! 図面を今すぐメールで送信するから、明朝までに作ってくれないかしら。お願い、緊急でそれが要るのよ。頼みたいのよ。明日朝七時に私が引き取りに行きますから」
鉄工所は恐らく社長の自宅と兼用だったのだろう、呼応して相手は直ぐにOKした。
一部始終を見ていて、手際の良さに「お主、見事!」と舌を巻いた。男であっても、機転を利かせたこれだけの仕事が出来るか!? 証拠に、同席していた年上の男たち(筆者も入れて)五名は、ボンヤリ口を開けていただけで何もしなかったのである。筆者は内心で感嘆の声を挙げた。
一ヶ月ほど経って、万が一に期待して、ウチへ来ないかと筆者はLさんへ打診のメールをした:「ええ、一緒に働きたいですわ、社長さん。今の会社を首になったらね」と、ユーモアで返して来た。相手は超大手の社員、筆者のメールが見当違いなのは初めっから判っていた。ただ、ちゃんと値打ちを見ている人間が離れた処に居る、というのを知らせたかった。
それから更に2ケ月が経ってから、筆者が忘れた頃に工事が完工した。吊り橋からの帰り道なんですと言って、Lさんがウチへ立ち寄った。高知名産の大きな文旦3ケを手土産に置いて行ったのは、先のメールへの礼だったと筆者一人がそう解釈した。人は己を知る者の為に生きる。
S子もやがてこんな風になるのだろうか。起業だけが人生を充実させる手段ではない。それとも、時代も状況も変わるからスタイルを変えて筆者のように、やはり独立と起業を目指すのだろうか。




