消えた女
21.消えた女
半世紀以上も前の大分古い話である。それだのに、当時の出来事が木々の黑い梢に至るまで鮮明に目に浮かぶ。私には余程衝撃的な事件だったからだ。
けれども不思議な事が起きた。その後の女の子の動静の記憶は、ふっつり消えてしまった。普通なら、次の日に学校の教室で遭った筈だから、前日の「怖かった冒険」について、彼女と何か会話が持たれても、良さそうである。学校でなら極まりが悪ければ、帰り道に機会は幾らでもあった筈。同じ帰り道なのだからーーー。
が、あとには真っ白い画用紙のように、何の記憶のかけらも残っていない。翌日から、女の子の姿は私の視界から「忽然と消えた」のである、教室からも帰り道からも。あたかも、あんな事件はウソで、そんなものは初めから何も無かったかのように、である。私は魔法を掛けられたのだろうか?
学年が上がっても、その後中学生になってもーーー、彼女の姿は永久に消えてしまった。決して彼女に無関心ではなかったのにーーー、山の事件はまぼろしだったに違いないと、次第に私はそう考えるようになっていった。「消えた」原因は謎に包まれている。今もって奇妙で更なる研究が必要だが、この忘却が結果的に私を「不幸にさせないため」ではなかったかと、ずっと後になって思うのである。
しかし、この話を額面通りに受け取ってはいけない。彼女が死んだ訳ではないし、転校したのでもなく、教室に毎日居なかった訳でもないーーーと思う。「と思う」と書いたのは本当に推測する以外に無いからだ。この不可解な空白を埋める為に、後年になって私は無理にでも様々考えて見た。結果ーーー、恐らく間違いのない真実と推測されるものが、見えてきた。それは決して魔法ではない。
考えるのに、翌日から以後「ずっと」、私は教室で女の子と「目を合わさない様に」していたのだろうと思う。視線さえ向けず、帰り道も一緒にならないように避けていたに違いない。好きだのに「逃げていた」。いや、正しくは好きだからこそ、逃げていたのだ。これは最も有りそうな事である。
逃げていたから、女の子の姿を一度も目にする事が無く、視界から消えてしまったのだろうか? それ以外に説明が付かない。「人の脳というのは、見たいように認識したり、思いたいように解釈したりして、脳内の願望を叶えてゆく処がある」(池内祐二:脳神経学者)
自分の願望を優先し、見たくない物は(物理的に実際に目でハッキリ見ていても)「見えない」のである。聞いても「聞こえない」のだ。一種の自己催眠現象だという。
他人の目に不可解に映るかも知れないが、今の歳になってみれば、先の説明が最も真実に近いと私は確信している。何故なら彼女は確かに死んではおらず、ちゃんと存在していたからだ。それを改めて書くのは後になるけれども、五十数年後に山の上で、彼女の成年までの実在と痕跡を証明してくれる人に、「出逢う」からである。
つづく




