ベストを尽くせ、食らいついたら離すな
未だ生きる道も定まっていない若いS子だ。起業とは何かが分かっているか怪しいが、筆者の分野は機械の販売であり、S子は建築だから住む世界の違いは大きい。その意味で、起業のノウハウを教えるのは易しくはない。
第一、筆者の場合、若い時から長期的に綿密なプランを立てて独力で道を切り開いた結果の起業ではなかった。独立の意思は潜在的に一貫してあったけれども、本当の処は行きたりばったりで運の要素が大きいかったから、果たして教える資格があるかどうかも問題である。
四十少し前まで筆者は高知県の南国市にある外資系の会社に属していた。銃砲の部品製造の品質検査員としての仕事で、起業とは無縁の世界。南国市の名の通り太陽は明るく海は清くて、吹く風は全て追い風。大阪市にあった前職場とは鼻毛の汚れ一つ取っても天地の違いで、栄養状態も改善されたからセックスの回数が増加し離婚する可能性が低下した。証拠に二人目が生まれ、高知から採って知彦と名付けた。
のんびりした気候風土が筆者に合い、物価も平均的に安く給料も悪くは無かった。子育ての環境も良かったし仕事も好きで家も建てたから、生涯その地で仕事をやり続けていた筈だ。考え方も、どこかの会社の経営者みたいに「ベストを尽くせ、食らいついたら離すな」とか、「すぐやれ・必ずやれ・出来るまでやれ」なんて、世知辛いものではなかった。
現在の会社経営者の生活は収入面では多いが、ストレスまみれの仕事だし「すぐやれ、今日中にやれ!」と社員の尻を叩いたり、顧客の我儘も聞かねばならない。地方都市での暮らしのほうが生活にうるおいがあり天国とまでは行かないが、振り返って思えば、あれこそ人生の春であったろうか。何事も「すぐやる」必要はなかったし、今みたいに競合他社へひしひしと敵意を感じて、やっつける為に邪悪な発想を思い付く必要もなかった。
人の幸せはお金だけではない。




