七つ年下の女
それはさて置き元の話に戻す:卒業間近で就職を決定しなければならない重要な時期で、充分に考えるゆとりが私には与えられなかった。家が格別裕福だった訳ではなかったから、大学を卒業してルンペンになる訳には行かない。
止む無く選んだのは中規模な大阪の会社で、工業用チェインの専門メーカーT社であった。大手より小さいが、先のS社よりは大きかったから、中途半端なサイズ。中途半端でも、兎も角先の人事課長のアドバイスを生かした形になった。
この選択は結果的に見れば「当たり!」だった。人生とは分からないものだ。頭が柔らかい若い時代に、この会社で国内の販売店の扱い方や(工業製品の)売り方、実践的な英語の習得、海外との取引の仕方、旋盤やフライス盤の操作の基礎など全てを学んだからである。
この時の経験が起業と起業後の会社の運営に100%生かされた。無駄が何一つ無かったと振り返って知る事は、人生最大の驚きの一つである。
ついでに、そこで生涯の伴侶21歳も捕まえた。七つ年下の女。これもまた大当たりで、起業大好き人間という希少種で、後年起業する私を助けてくれた。文字通り得難いベター・ハーフで、有能な共同経営者となった。造船会社に就職しておれば、到底手に出来なかった知識と人材を得たのである。
昔のS社の人事課長へ深く感謝しており、今も忘れ難い人である。思えば、人生最大の分岐点だった。
お仕舞い
2022.3.26




