助教授へ払い下げ
同級生からも周囲からも、変わり者と見られた。一流会社を辞退した息子に親もがっかりした。
考えてみると「社長になりたい」というのは、どこかヘンではある。小児科の医者になりたいとか、癌の薬を発明する化学者になりたいなどという具体性に欠ける。どんな種類の会社の社長になって何をしたいのか、という訳ではなかったからだ。
「社長の椅子」なら、うどん屋の社長でも造船会社の社長でも構わなかったのだから、おかしいと言えば確かに自分でもおかしいと思った。
困惑した教授は、何よりも外に言う事が無かったからだったが、「大学に残ったらどうかね」と話を百八十度変えた。
学業成績が多少は良かったからで、助け舟を出してくれた積りである。今に思えば、「青っぽ過ぎる」私を眺めて、このまま世間の荒波に放り出すのは、如何にも過酷と思われたか? 或いは、もし大手の造船所なんかへ就職させると、難破船でも建造しかねないと、教授なりに別の心配もされたかも知れない。
けれどもーーー、今度はそれが私には突拍子もない提案であった。何故なら、先ず「大学で勉強して、延長戦で将来も大学へ残る」というのは、余りに変化が無さ過ぎると考えた。これからの人生が退屈そうに感じた。次にたとえ大学に残って研究しても自分の脳では、ノーベル賞の可能性は極めて薄いと別の心配もした。
そんな風に双方の思惑がすれ違ったが、教授の親心を知らず、申し訳ないと自覚しつつも、私は改めて研究室へのお誘いも丁寧に断った。相互に共通点が無く手に負えないと匙を投げられたか、この件は教授から助教授へ払い下げられた。




