大いなる不公平
自由とは言わば「一人経営者」みたいなもので、だから張り切って仕事をする結果になるのだろう。そんな人には会社が天国になる。
「まるで皆が、サラリーマンらしく見えないよな」
「じゃあ、どんな風に見える?」
「みんなが、経営者にみえる」
最後に話をピリッと締めくくろう。経営者である筆者には格別な楽しみがある:毎月の給与の支払い基準にはルールがあって、経営者と言えども自分の好き勝手で社員達の給与を上下させるわけには行かない。けれども、年に二回の賞与は、筆者が自由に配分を決められる。
例えば営業マンなら、賞与は個々の売り上げに比例するに違いないと人は思うだろうが、ウチではそうならない。工夫した特別な数式があり、それに従って計算される。一言で言えば指数関数的に増加し、指数関数的に減衰する。念のために言うが、数学なので筆者の情実は入らない。
多くを売った人は、本人が期待する以上の数倍を支給するから、本人は大いに驚嘆する。例えば全社員の平均支給額が仮に2ケ月分ならば、7ケ月分となる。全体の支給総額は決まっているから、あおりを食って下位の人はショッキングなしわ寄せを受けて(例えば)0.8ケ月となり、本人がこれまた死ぬほど驚嘆する。
ジェットコースターみたいだから、スリルを味わいたければウチに来ればいい。
筆者はこれを「極端な公平」と名付けている。先に「皆、一人経営者」と書いたけれども、経営者の報酬とは、元来昔からそんなものである。業績の悪い会社の経営者が高い報酬を受け取るならば、それは泥棒である。業績が見事に上がるなら、幾ら取っても良かろう。
彼ら社員が「一人経営者」であるならば、そっくり同じルールを適用するのが、公平というものではあるまいか。みんな仲良く比例配分で横並びは一見公平に見えていて、実は大いなる不公平だと考えている。
因みに日本の首相(例えば、前首相の安部さん)の年収は5200万であったそうだ。ゲッ、冗談だろ! 一桁違いの5億2千万円の間違いかと思ったくらいだ。世界第三位の経済大国日本国の首相ならば、50億円払っても安いものと筆者は思う。国民にそんな感覚は無いのか? 5200万円ぽっちなら、その程度の仕事しか出来ないものだ。
仕事は探してやるもので、自分が創りだすもの。与えられた仕事だけをやるのは雑兵だーーー、と織田信長が言ったかどうか。昔、親戚の人がウチへ入社したいと気軽に言って来た事があった。彼の言動を見て「極端な公平」に耐えられないと思ったから、丁寧に断った。
上役が居ない自由な組織で、皆が経営者扱いされる会社が天国かどうかは、本人次第なのだ。誰でもという訳には行かない。
お仕舞い
2022.2.16




