目標が大好き
大きくしたい、或いは会社の規模が大きいというのは創業者の単なるプライドか、と世の常識を疑ったのである。持ち物は高価なブランド品に限るというのに似て、一種の「見え」。同級生に逢った時に、300人の会社なんだと言うのと、社員20名と言うのとでは受けが違う。それだけの事かと。
因みに言えば、日本には創業200年以上の企業が酒造・菓子・工芸品など3900社余りあるそうで、これはドイツ(1800社)や英国(460社)を上回り世界で最も多い。
考えてみれば、社員300人が居ても、自分が死んだら墓の中まで一緒に付いて来てくれる訳でなし、親しく話をするとなると、観音様じゃあるまいし、相手が二人以上とは同時に出来はしない。親しくセックスするとしても愛するパートナーは何時もたった一人。どの場合でも、人数の競争は無意味なのである。
貴方が風邪をひいた時に、お粥を炊いて持ってきてくれるのを期待できるのは誰か、と自問自答する人(上野千鶴子)だって居る。
社員達の働き方についても考えるようになった。売上げ増を求めて、つるし上げるように社員達の尻を叩かなくてもいいのではないか。
会社は目標が大好きで、今期の目標はXXX億円、その達成にはXXXの実行がポイントだ。今年は残念にしてXXXの目標を達成できなかったから、XXXの反省会をやって原因を調べて、来年の新しい目標へ邁進しようーーー、目標達成の為に各自アイデアを出せ、てな具合である。常に何かを追いかけていないと気が済まないのだ。
目標を目指して課長も部長も会社も一心不乱に頑張っているけれども、社員も社長も楽しそうには見えない。考え直した結果が、(もう十年以上継続しているが)今の緩やかな管理になっている。数値も目標も撤廃した。多額な年収が欲しければ一所懸命働けばよいし、読書をしたければ本を持って喫茶店へ行けばよい。
以来ウチでは社員数も出来るだけ増やさないようにしているから、言うなれば小さいままだ。大きく成れないというより、むしろ「無駄に大きくしない」というのが正しい。




