これ以上何をしたいのよ?
と書いたが、実はこの考えは受け売りで、筆者の配偶者の考え方なのだ。ずっと以前からこの女、事ある毎に筆者にそう説き続けていた。けれども筆者は(当初は)賛成せず、女の言を無視して社員を増員し続けた:「潰れない為には会社の成長が不可欠だ」と信じて。
筆者の働きも猛烈で、注文をくれると電話で聞けば、受話器を置くや否や夜行列車に飛び乗って500kmを移動して翌朝一番に顧客の前に座っていたし、食事中なら箸を投げ捨てて奔走した。死に物狂いで仕事をした。社員の尻を腫れ上がるほど叩き続けて10年以上が過ぎ、やがて業界で確固たる地位を占めるようになった。
三菱重工と未だ肩を並べるまでにはなってなかったものの、指で突いたら倒れそうな安普請の事務所も、移転していつしかニ階建て中古のビルとなったから、輝かしい戦果であった。
それでも女はなお説いた:「ビルのオーナーだし貴方はもう充分お金持ちじゃないの、潰れることはもうないわ。これ以上一体何をしたいと言うのよ!?」
そんな時期にこんな事が重なった:当時小学3年の息子の運動会の日曜日であった。溜まっていた仕事の処理を口実に、筆者は運動会に顔を出さなかった。多忙だったのは本当だ。
同日の夜女は言った:「子供の運動会の感動を味わえる日は、貴方の生涯に一度しかない。機会を逃したのは人生の大きな損失だわ。仕事の処理は何時だって出来るのに。」
何が人生で大切かを女は指摘した。
手もなくひねられた訳ではなかったが、「人生の損失」・「これ以上何をしたいのよ?」と言われて、天変地異が起きたみたいに考え込んだ。会社を手伝って貰っている配偶者に苦労を掛けているという自覚もあった。月を目指したい筆者の考えが時々盛り返しを見せながらも、女の言葉に次第に感化された:「大きくするのが、本当に正解なのか?」を考えるようになった。




