月に行く漱石
会社を潰さずに継続したい(=生き残る)とは考えている、二人の息子も入社しているのだから。設立以来利益を確実に出しているが、だからと言って(一人一人の社員の顔が見えなくなる程)会社の規模を大きくしたいとは考えていない。ましてや、(多忙で)家族を顧みず自分の奥さんの顔を忘れる位大きくするものではないと思っている。
そもそも会社というのは次第に規模が大きく成長し、社員数や事業所も増えて、行く行くは三菱重工みたいな大企業にならなければならないーーー、ような一種の思い込みが世にはある。
これは、我が国の人口が減少するのはいけない事だという思い込みに似ている。が、果たしてその考え方が正しいのか、と筆者は考えるのである。
例えば大きくならない例として:江戸期の時代から続く老舗旅館だとか、大正時代から細々と続く老舗のカフェとか、曽祖父の時からずっとこの地で農業を営んでいるというのもある。それらは規模が特に大きくなっている訳ではない。
資本主義というのを基本軸に取れば、大きく成長する企業は華々しく見えて恰好がいい。トヨタ自動車もソフトバンクも恰好がいい。
が一方で、人の幸せと言うのを基準軸にすれば、小さなままで大して成長しない老舗企業などは外見的にパッとしないが、(経営者も中に含めて)働く者にとっては案外幸せかも知れない。いや、全社員の顔が同時に眺められるだけでも、人として幸せかも知れない。
昔のサントリーのコマーシャルに「人間らしくやりたいなーーー」というのがあった。現代の多忙な社会でストレスゼロはあり得ないが、ウチの会社では(効率を追求するのも大事だが)出来るだけ「人間らしくやってゆきたい」と思う。人生を大切に生きたいと考えるのである。
「月に行く漱石 妻を忘れたり」(夏目漱石)という句がある:(筆者の解釈では)月と言う高い理念を追い求める熱情のあまり、もっとも大切で身近な足元を忘れてしまう。
世間では月を追う熱情の方が称賛されるが、肝心な点が本人に抜けている愚かさを皮肉っている、と筆者は解釈している。この場合月は無暗に会社を大きくする理念に相当する。




