生きるのに積極的な人たち
本気に発明や新しい開発をやりたければ、機械や実験装置そのものを(他の人に頼むのではなく)自作したり自ら使いこなせて、適宜アドリブが出来る位で無いと物にはならないと分かる。汗を流す事。それでこそ本物の開発が出来ると悟ったのも、発見の一つである。
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話が変わるが、随分昔の話で、筆者がH社の企業営業マンだった四十前後の頃。筆者がしょっちゅう出入りしていた取引先に、Y社の加古川支店があった。ある時年配の支店長Mさん、恐らく50歳位か、からこう言われた事がある。思いもよらない指摘だったので印象深く、今でも良く覚えている:
「私はサラリーマン生活が長いが、今までにアンタみたいな人に出会った事が無いなーーー。アンタはまるでサラリーマンらしく見えないよな」
「じゃあ、どんな風に見えますかね?」
「アンタの仕事振りは普通じゃない、普通の人はそんな風にはならないーーー」
「ーーーー?」
こっちの怪訝な顔へ、Mさんはこんな風に例えた:
「飯を食う時、とても美味そうに食べる人がいるよな。見ていて気持ちがいい。反対に同じ飯を不味そうにちびちび食べる人も居る。アンタを見ていると、仕事をしているみたいに見えないんだよな。美味そうに飯を食べているみたいに見える。(販売の)仕事が面白くて堪らないみたいだね。え、そんなに面白いのかい、一体?」
先のウチのK君が代表例だが、社長は社長らしくなく、ウチの社員も一般世間の会社には収まらない風変わりなのが多い。ウチの会社では全員でなくても多くの社員が昔の筆者みたいな状態になっている:「アンタはまるでサラリーマンらしく見えないよな、うまそうに飯を食っているじゃないか。」
筆者は今は経営者だが、過去の自分を意識して、そんな風な人ばかりを狙って人事募集した訳ではない。が、特に神戸本社では筆者が直接面接をするので、「臭い」で何となく自分に近い人間だと嗅ぎ分けて、優先して採用したのは事実だ。一言で言えば、生きるのに積極的な人たちと言えようか。




