女らしく・男らしく
例えば課長と言えば、(商社を例に採るなら)競争と戦いとストレスの最前線に立つことを意味する。それが好きで、ワーカーホリック(=仕事中毒)に見える事もある。基本的に女性の多くはそのような仕事振りや競争を好まないようだ。
これを眺めて、(女も課長になれるように)現状の(競争が大好きな)男達の働き方も改革する必要があると、もっともらしく言う人がいる。大抵出世していない人だ。世の中がぬるま湯つかってればいい、というみたいだ。
生物が出現した40億年の昔から現代に至るまで、地球や世の中が大なり小なり生存競争で無かった事は一度だって無い。これが本当の進化論だが、識者はまるで宇宙人みたいに無知に見える。
世の中は企業社会で、圧倒的に経営者は男が多い。けれども筆者の配偶者が指摘した通り、家庭や国の政治に資質として優れた女性がトップとして関わる(君臨する?)アイデアが悪くないのと同じように、企業でもそのような姿勢を筆者は想像しなくもない。即ち女性が社長となって会社を行政し運営する。けれども競争と激しいストレスは苦手だから、それを資質としてむしろ好む男性が補佐役として補佐し、副社長か専務として戦いの前線に立つ考えである。悪くはないと思う。
突拍子もない考えではない。事情があってウチでは子会社を設立した。適切な人材が居らず配偶者に社長の就任をお願いした。子供は成長して全く手が掛からない時代だった。仮に男だったら大喜びのはずだが、彼女は頑強に就任を断ったのである。止む無く筆者は妥協した:「君が社長をやってくれ、その代わり筆者が販売戦線やストレスの多い仕事の最前線に立つから、運営と経営だけをやってくれればよいからーーー」と。実際にそうなって、現実に上手く行っている。男女の棲み分けである。
やむを得ずそうしたのだし、また夫婦だから実行し易かった処があるが、この考え方を磨けば一般化出来ると思う。行政を行う優れた資質を有する女性を(メルケル前首相のように)会社のトップとして采配を振らせ、副社長として男性が競争面と闘争部分を引き受けるのである。会社全体として優れた経営が出来る気がしないでもない。
男女の本当の対等な関係と仕事の「棲み分け」が必要だと筆者は考えるが、最後にもう一度冒頭のS子の話に戻る:
真の男女対等が実現すれば出生率が自動的に上がると信じ、その目的の為に北欧フィンランドなどは仕事と育児が両立できるように様々な先進的な政策を行っている。しかし人口減少と少子化に歯止めはかかっていないのが現実である。我が国を含めた多くの先進国、言い換えれば「女性が強くなった国」が人口減に悩んでいる。
進化論に逆らっているからだと筆者は思わざるを得ない。女はやはり「女らしく」あるべきで、男は「男らしく」あるべきだと考えている。それが、お互い両性の最大の魅力となる筈で、そしてこれはごく当たり前の話だ。
お仕舞い
2022.1.15




