より「人間らしい」
幼くして男の子は機関銃を持って遊びたがり、女の子はお人形を可愛がる。男児は遊びの50%以上を競争に費やしたのに、女児はわずか1%にとどまったという調査があるそうである。イスラエルでは女性も兵役があり殆ど完全に男女の差別や区別なく育てられるそうで、だから大学卒業後の職業の選択では本来なら五分五分になって良さそうだ。だのに、現実には女性は圧倒的に教師とか養護とか公務員とか医者とか、人と接する職業を選ぶそうである。そこでは競争が少ない。
例えば、工作機械でムシムシ物を加工する仕事(賃金が高い)を好む女性は少ないし、「課長に昇進させてやろう」と言ったら、男性なら100%大喜びだが、多くの女性(=全部とは言わないが)が消極的である。有識者とかいう人は、人を使って仕事をさせた事は無く、人を昇進させたこともないし、経営者になった経験もなく、社会を動かした事もない。
こんな時、男女対等・平等であるべしとして、女の味方の積りで無理に昇進させるのが、反って女性を傷つける結果になるかもしれないという発想が、識者とやらに欠落している。経済優先の競争原理や生産性の効率化は男社会特有のものだという点に、深く思いを致すべきだろ。
そんな分野へ関心を寄せる女性が数で少ないのは、決して女性が劣るからではなく、人生で何を優先させるか男女間で順位が違い好みが異なるからだ。競争や闘争というのは家族の絆を弱体化させ社会的なつながりを希薄にすると、女達は考えているみたいだ。女性は、より「人間らしい」と言えそうだ(★筆者は、これをとても優れた資質だと思っている)。




